U23

 もしこの試合に負けていたら相手の右ウイング・ルコキは05年U20W杯でのオウス=アベイエみたいな“圧倒的な個”の象徴みたく扱われて勝手にトラウマにされてたんだろうな。あの05年の試合は確かにオウス=アベイエにサイドを支配されたけど、結果は1−2と1点差、しかも終盤に2度ほど決定機を作っていた。相手は開催国かつ元々サイド攻撃や個人能力に優れた相手で内容的に押し込まれるのは予想が付く訳で、それでも決定機を作った事実は何故か顧みられず、日本サッカーの課題を“個の力不足”に求めたい(そう書きたい)人々によって必要以上に誇張された感がある。
 その一方で昨日の試合は05年とは違ってよりシンプルに左SBの能力不足とかチーム全体の守備組織の甘さとか現実的な課題に目が向けられてるのはなかなか良い傾向。展開的には似た様なものだったはずだが、勝つと負けるでこうも違うものなのだな。

 しかし試合を通してあれだけ左サイドを突破され、そしてそれに対して特に何も手を打たないのを視ている内に“これはもしかして何か意図があるのでは?”と勘繰った。戦国の世に薩摩の島津軍は“釣り野伏”という一種の囮戦術で数々の戦いの勝利し、九州を制覇したが、この試合も敢えて左サイドを空けて相手の思うままに攻めさせてバランスを崩した隙を見計らって前線の4人がカウンターでチャンスを作るという高度な戦術だったのだろうか(笑)

 守備、特に山村、比嘉は色々言われてるけど、敢えて擁護するとすれば大学サッカー関係者のアピール活動に利用されてしまった感はあって少し同情。永井を含め“安易に高校からプロ入りせず大学を経由して伸びた成功例”の材料にされ、サッカー界の先輩/後輩の人間関係の中で過保護にされ過ぎてしまった感じ。確かに大学時代は出番の無い同年代のプロ選手より試合経験を積んで成長していたのだろうし、大学経由のキャリアルートもそれ自体は十分有効と思うんだが、プロと大学リーグという別の分野をあくまで仮定的に比較していただけなのも事実。で、プロ入りして同じ舞台で戦って今まで見えてこなかった粗や甘さが見えてしまったと。
 面白かったのは山村のポジションで、これまで大学の監督が“ボランチで大成させたい”とか言ってるのを関塚氏は忠実に守って、中盤より守備の層が薄いにも関わらずボランチで使い続けてきた中で、鹿島はそんな事お構いなしに純粋にチーム事情から判断してCBで起用して、結局U23でもそうなったという。CBの方が余程可能性はあるから今後もポジションを上げ無い方が本人の為と思うのだが・・・。

 今の状態だと、本大会はアテネの様になる予感がする。パラグアイに3−4、イタリアに2−3みたく攻撃はある程度通用するけどそれ以上に失点して敗戦という展開。さすがに守備に1人はOAが要るな。それもアテネの曽ヶ端程度の格では無く、より大物を。A代表含めても層は厚く無いポジションで、しかもザックはA代表兼任に難色を示している中でなかなか良い人材はいないのだが、ここに1人、代表クラスの実力と経験を備え、しかも現在代表に入って無いと言う絶好の人材がいる。

 という事でこれを言うのもこれが最後か。闘莉王を呼べ。

大宰府・柳川行(初日)

 初日といっても今日は大宰府の祖母宅に親戚が来ているから挨拶に行っただけなのだが(前はそんな事気にも止めなかったが、最近はさすがに考えるようになった。歳だな。)、夕暮れ時に散歩ついでに近くの大宰府政庁跡と観世音寺まで。
 大宰府は高速が走り住宅が立ち並ぶ中で道路一本越えると山や林が広がっているのだが、この政庁跡地も今は建屋の場所を示す柱石と碑があるのみで一見して原っぱ同然の状態。その中でキャッチボールや犬の散歩で人が集っている、言わば公園同様の機能を果たしているのだが、その光景から以前“ローマ人〜”絡みで見た写真を思い出した。
 それは夕時のローマの大競技場(チルコ・マッシモ)跡地で子供たちがボールを蹴って遊んでいる光景なのだが、かつては威容を誇った建造物が廃墟となり、今は遊び場となっているという構図がこの政庁跡地とシンクロする。どちらも夕暮れ時というのがまた良いんだな。古代と現代の繋がり、そして今は亡きかつての栄華の儚さが同時に感じられるというか。

 帰る頃には丁度陽が沈まんとする時で、大きな夕陽が目の前に見えた。福岡は夕日がより大きく、綺麗に見える気がする。