ありのままに見よ

 十字軍物語3/塩野七生

 シリーズ最終巻は、サラディンvsリチャード獅子心王の第3回十字軍に始まり、神聖ローマのフリードリヒ2世による(交渉による)エルサレム奪還を経て、最後はキリスト教側最後の拠点であるアッコンの陥落、そしてその後の地中海世界を叙述して終幕、と。
 序章である“絵で見る十字軍物語”と合わせても、この最終巻だけやたら分厚く、そして値も張ったのだが、↑の通り最後に駆け足に叙述していく様な内容だけにさもありなんかな。

 本作は前半の主役が獅子心王なら、後半の主役は神聖ローマ皇帝であるフリードリヒ2世。一応“第6回十字軍を率いてエルサレムの支配権を得た”事になっているが、その実イスラム側のアイユーブ朝君主アル・カーミルとの交渉で獲得したものだった。今の常識で考えれば最小の犠牲で最大の成果を得たという事で賞賛されこそすれ非難される謂れは無いが、実際は異教に対する妥協的な態度がローマ教皇に非難され、生涯で2度も破門されたのだった。

 知れば知るほどこの人は興味深い。そのドイツ的な名前とは裏腹に、生まれはシチリア島パレルモで、当地はキリスト教イスラム教、ユダヤ教、そしてノルマン人、アラブ人、ユダヤ人等様々な民族、文化が共生していたという当時では珍しい場所だった。そのような背景から宗教や民族の違いを超えた幅広い視野を持つに至ったのだろうが、配下にムスリムのアラブ人も何人も従えていたり、エルサレム入場後もイスラムの聖地をまるで観光でもするかのように見学したりと現代人であるかのような行動には驚かされる。いやこの21世紀でもそのように偏見無く振る舞える人は(特に指導者層には)そう多くない。wikiを見てみると、(イスラム圏で発達していた)鷹狩りの愛好者でもあったらしいが、その著作に“ありのままに見よ”という記述が何度も出てくるらしい。簡単なようで難しいそのような視点を持つ人だからこそ、交渉の余地はあるのに、わざわざ血を流して聖地を奪回する行為の馬鹿らしさに気付いてしまったのだろう。
 “玉座の最初の近代人”という言われ方もするそうだが、少なくとも500年は生まれてくる時代を間違えた稀有な人物。13世紀の中世真っ只中の欧州で、このような人がいた事にちょっと感動してしまった。そしてそのような人物が常に支持されるとは限らない、今に続く普遍的な事実もまた考えさせられる。