今の住環境の源流

 土地の神話猪瀬直樹

 今では信じられないが、都内の東急沿線は大正末期には長閑な田園風景が広がる場所だったらしい。今では一面の宅地で、点在する寺社や公園、後は多摩川沿い(二子玉川多摩川)に昔の面影が僅かに偲ばれる、てな程度。
 本書のテーマは、郊外に住み、電車で都心に通勤する―――今では当然のように受け入れられているライフスタイルの源流を探るもの。その直接的な源は、東急の創業者である五島慶太が推進した、鉄道の敷設と郊外の不動産開発を一体化させたビジネスモデルに突き当たる。さらに辿ると渋沢栄一の息子が設立した「田園都市株式会社」なる企業が存在するのだが、この東急が今でも使う(都心に比して住環境豊かな意を含む)「田園都市」とはそもそも英語の「Garden city」の訳語で、本家イギリスではロンドン郊外にある緑(グリーンベルト)で囲まれた職住一体の街であって、ベッドタウンを意味しない。作中ではこの職住一体の「Garden city」がいかに日本の「田園都市」となったのかという点も、田園都市株式会社が五島に飲み込まれていく様を通して検証されている。

 源流がこうだからか、一般的に日本の都市開発はベッドタウンのそれであって、イギリスの様な職住一体型ではない、という意見(批判)はよく聞かれるが、港北ニュータウンはGartden Cityの理想を少し意識してるのかなとは思った。勿論、その名も田園都市線東横線で都心に通う人が住まう、紛れもないベッドタウンの側面はあるが、エリア内に企業も多いし、特に南側はグリーンベルトよろしく農地や森で他地区と隔てられている。(よく利用する都筑スポセンはまさにそのエリア内にある。)小学生の頃は今のセンター南、北の辺りでさえ区画整理だけされた土地が広がって、高層マンション(今の基準からしたら“中層”レベルだが)が点在する何も無い陸の孤島だったのだが、今や地下鉄も2本通り、第三京浜や東名のICも出来たし、大型SCが幾つも並ぶ随分立派な街になった。読みながらふとそれが頭に浮かんだ。