“どうなるか見てみよう”

 海外サッカーの移籍関連のニュースを読むと、選手や代理人のコメントで大概この表現が出てくる。例えば「移籍期間終了までまだ3日ある。どんな事でも起こり得るし、残留する可能性もある。まぁどうなるか見てみよう。」てな感じで。おそらく英語で言う“Let's see what happens.”を直訳したのだと思うが、毎度毎度直訳丸出しな↑の表現が連発されるので感覚が麻痺して違和感が消えつつある(苦笑)本来は「まぁ様子見ですね。」「状況を見守ろう。」程度の表現と思うが、こういう所に訳者の表現力が出るな。そう言えば高校時代に英語科の恩師が言っていた。「英語は国語力」だと。

 さて、昨晩yah○oトップページにこのようなニュースがあった。この手の事件は何時か起きると思ってたので特に衝撃でも無かったが、逮捕者に私がよく見ているチーム関連でよく見かける名があったのに驚いた。
以下はあくまで私個人の推測に基くもの。

 この人はサポーターが立ち上げたNPO法人の中心人物ではあるものの、あくまでクラブとの関わりで見れば1人のサポーターに過ぎないのだが、実態は殆どクラブ内部の人間と変わらないだろうし、その影響力は一クラブ職員以上のものがあると思う。言い方を変えると、クラブはその存在無くしては運営もままならない程にこの人(とその関係団体)に依存しているはず。
 このクラブは例えば近隣の川○やFC△京等に比べフロントの企画力に劣り、ホームタウン活動等のフットワークも重かったが、ここ数年は(その成否はともかく)色々と新しい試みを繰り出す様になった。フロントが変わった影響も有り得るが、多くはこの人(とその関連団体)の影響と見ている。(参考記事)この人の活動はこのクラブに止まらず、例えば震災後にサポーター有志で被災地に物資を送った企画があったのだが、そこでも中心人物として活躍していたのを覚えている。(参考webサイト

 数あるこの人の功績の中で最大のものはクラブのイメージ戦略(への貢献)にあったと思う。何故かこのクラブは他のクラブに比べ選手、サポ共に品行方正なイメージが付いている。大昔(合併前)はダービーで横●Fの選手に向けて物を投げる、なんて事もあったし、合併後も日産で試合後にスタンドから投石された事もあった。選手にしたって金○の件は事件そのものに加えて親会社の業種的にもシャレにならないレベルなのだが、何故か(これが他クラブなら未だに指弾/揶揄されるレベルの話であるにもかかわらず)そういった事は忘れられ、むしろこのクラブから他クラブの“不祥事”を指弾するパターンが多い。決してそれが全てでは無いが、前述した活動を通してそういった良好なイメージの醸成が図られたというのが私の推測。

 ただ、こうしたイメージ戦略(の成功)と現在の好調なチーム状況は一方で強烈な副作用も生んでいる。このクラブに関連する掲示板、blogを眺めていると、特に最近ファンになった人(タイトル獲得を知らない人)に顕著なのだが、他クラブとの関係において道徳性、善悪論を強調する人が多い。具体的には“浦○、鹿■、ガ●バサポに比べて品行方正な(善である)自分達”、“ラフプレーや時間稼ぎをするような所とは違う我がクラブ”と言うような形で発露するのだが、それはあたかも朱子学における華夷秩序の如く、狂信的とさえ言えるほど。
 こういった道徳性の強調の何が問題かと言うと現実を直視出来なくなる点にある。スポーツには勝ち負けは付きもので、敗北してもその結果・内容を直視して次に生かすのが重要なのだが、善悪論で語ると(極端な言い方をすれば)「本来善である自分らが絶対悪である相手に負けるはずが無い」という思い込み(信仰)に支配され、敗北を直視出来なくなる。結果どうなるか?大概の場合において敗戦の原因をジャッジ等に求めたり、内容を見て見ぬふりをして試合内容とは無関係な相手サポのマナー等に矛先が向かう事になる。つまり自省という行為そのものが消失してしまう。

 全く関係ない様に思われる2つの事象はある点において繋がっている。今回の件がこの人の剄から解放され、現実を直視する一歩になる事を願わずにはいられない。2位と言う心地よい結果だけでなく、平均年齢が高いチームの将来性や、仮にタイトル獲得やACL出場を果たした場合に今のチームがそれに耐え得るのかという懸念を直視出来るチームに。