今も続く物語

ミカドの肖像猪瀬直樹
 著者の作品は過去何冊か読んできたが、やはり代表作たる本作を読まねばという事で。文庫本で800ページ以上にもなる大著で、話は“MIKADO”の名を持つフランスの音楽デュオの来日から始まって、その名の由来となった西欧のゲーム、そして西欧で大流行したイギリスのオペレッタ“ミカド”、皇籍離脱した旧皇族の土地を次々に買収していった堤康次郎の話等々、多岐に渡る。あまりに話題が広範囲なので一見まとまりの無いように見えるのだが、各章はそれぞれキーワードで結ばれて一定の繋がりを保っており、読後に全体を振り返ると日本人にとって“中心であり、かつ空虚な”『天皇』の輪郭が浮かび上がる―――というような構成。

 本作に登場する様々な話の中でも、特に有名なのが堤康次郎によるプリンスホテル建設の経緯―――皇籍離脱で経済的に困窮した旧皇族の土地を安価で手に入れた―――なのだが、本作が著された当時(1987年)はまさに西武王国、そしてバブルの絶頂期であり、堤義明は世界一の富豪とさえ呼ばれていた、そんな時代だった。だからこそ著者も

堤家の‘土地本位制’経営は、天皇家と同様に、万世一系のなかに受け継がれてゆきそうな気配

などと述べているのだが、その後の経緯を知る自分は(後出しジャンケンながら)地価上昇を前提としたその仕組みがバブル崩壊とそれに伴う地価の暴落で立ち行かなくなり、コクドを通じて西武グループを支配する基本構造すらも有価証券報告書の虚偽記載という違法行為に基いたもので、ついにその体制は瓦解したのを知っている。だから自分も偉そうな事は言えないのだが、著者が文庫版の後書き(2005年記)で

鬼の亡霊に衝き動かされた歪んだビジネスはいずれ破綻が待っている、その予感が筆を走らせた

と書いていたのはさすがに苦笑せざるを得ない。確かに本文中からは堤康次郎の生き様、土地に対する執着に一種の畏怖を感じているのが伺えるとは言え。
 西武グループの土地取得の話になるが、プリンスホテルのある街で個人的に最も身近な地である新横浜は旧皇族の土地では無いが、その取得のからくりは似たようなものだったのだろうと思う。新幹線駅が出来るまで横浜郊外の農村に過ぎなかったあの辺一帯の地価はかなり廉価だったはずだが、ここでも“安価で手に入れた土地をベースに開発する”という原則が適用されたのが推測できる。更に言えば他社の機先を制して土地(それも新幹線で将来の価値上昇が見込める場所)を手に入れる為には相応の“努力”もしたはずで、新幹線のルート選定、駅の設置場所にも一枚噛んでたのでは無いかと想像する。(堤康次郎は実業家であると同時に衆議院議長も務めた程の政治家でもあった。)何よりこの土地はライバル東急の沿線に近い事を考えれば・・・その努力の程は想像に難くない。
 ちなみに横浜市内にあったもう一つのプリンスホテル「横浜プリンスホテル」は今は売却されマンションに建て替えられてしまったが、磯子の海を望む丘の上にあり、日韓W杯では日本やブラジルも宿泊した。その立地の良さからここも皇族や華族他上流階級に関わる土地だったのだろうなと思ったのだが、やはり元は旧皇族の別邸だったらしい。

 そういう突っ込み所もあるにはあるのだが、その一方で本作は未完のまま現在も続く物語であると言う事も出来る。それは日本人に生まれた以上どんな態度であれ向き合わざるを得ない「ミカド」を扱っているが故に当然なのかもしれないが。特に昨今の2020東京五輪招致を見ているとそれを痛感する。
 高輪プリンスのある土地の元の所有者は竹田宮という旧皇族だったのだが、土地の売却を決断した竹田宮恒徳王(竹田恒徳)は皇籍離脱した後にスポーツ界の名士として活躍した。その名を見ておや、と思ったのだが、やはり現JOC会長竹田恒和氏の父だった。(恒徳氏自身もJOC会長経験者)そして2020年五輪招致活動において開催都市のトップとしてこのJOC会長と活動を共にしていたのはーーー現都知事である著者なのだった。更に言えば堤義明(この人もJOC会長だった)はサマランチ(父)と太いパイプを持ち、長野に冬季五輪を招致した立役者なのだが、父康次郎の悲願は軽井沢での五輪開催だったという。もう1つ付け加えれば、招致を決めたブエノスアイレスでのIOC総会で戦後初めて(旧皇族では無い、言わば現役の)皇族である高円宮妃殿下が出席され、スピーチされたというのも話が出来過ぎているようにも思うが、これ以上深入りしない。堤親子の関係、堤家と旧皇族の関係、そしてその関係性の中心に座するミカドとそれを描かんとした著者―――本作中に描き出される複雑な人間関係とその物語は著者をも巻き込んで未だ続いていると言う事か。著者の行動を見ていると、他著(道路公団民営化関連の話等)含めその辺りはかなり自らの著作を意識しているのが伺えるのだが。ただまさか本作を書いた当時に自分が政治家になるとは思ってなかっただろうけど。