ユース代表の記録

 ユース代表の誇り/国吉好弘
 本日、JFAから手倉森氏のリオ五輪代表監督就任が正式にアナウンスされた訳だが、同氏の経歴を見ると現役時代にユース代表の経験があると記載されている。アトランタ世代以降の選手ならある程度年代別代表の経験は分かるが、それ以上の世代になるとそういった情報に乏しいので、時々こういう情報に出くわすとなかなか面白い。そういう自分の様な人間をターゲットにしたかは分からないが、本著はJFAが1959年に初めて年代別代表を組んでから現在に至る迄のU17、U20、U23代表を各年代の単位(U17、U20ならアジアユース毎、U23なら五輪毎)に紹介するもので、元々サッカーマガジンに連載されていた企画に加筆の上、再構成したもの。

 各世代の記録や顔ぶれを見るだけでも面白いのだが、アトランタ世代(1973年生〜)より上の世代の代表選手も、実は高校や大学時代にユース代表を経験していたという事実は興味深い。名波、井原、中山、黒崎、堀池、長谷川健太などは高校時代から有名だったらしいからまぁ分かるとして、一番意外だったのは現NHK解説者小島氏と昔マリノスにいた神田勝夫が84年ユース代表だったと言う事。(ちなみにこの年は飛び級であの武田もいた。)2人とも代表に入った時は“無名ながらJで台頭して代表に登り詰めた”という印象が強かったのだが、実は若い頃から同世代では上位に位置する選手だったと知ると、また違った印象を受ける。またアトランタ以降の選手でも、例えば川口や城はU23での活躍が有名で、後強いて言えば川口は92年のアジアユースであと一歩でワールドユース行きを逃したのがたまに触れられる程度だが、実は2人とも90年のU16アジアユースのメンバーだった。(他に松波、広長、松原良香らがいた。)

 例外もあるとは言え、やはりA代表になる程の選手は基本的にユース年代から有望視されているものだなと思う一方で、同時にU17、U20なら95年まで自国開催を除いて世界大会に出られず、五輪もU23化された92年バルセロナで予選敗退した事実も考えさせられる。上記の90年U16代表もそうだし、92年の五輪代表は相馬、名良橋、沢登、名波、三浦(文)といった後の代表選手を擁したが最終予選は6チーム中5位という結果。
 やはり指導者の影響が大きいのだろうな。90年代以前のユース代表監督は同じ人が何年も続けるパターンが多いが、本著で紹介されている当時のコメントを読む限り、課題を認識してはいるものの、解決する術を持たない、というような状況が見てとれる。勿論今ほど強化に恵まれておらず、少ない時間と資金でチームを作らねばならなかった事情はあるのだが。プロ化以降の世代も、あの79年組はアジアユースでは清○が監督で個人技に頼り切ったサッカーだったのが、トルシエになって世界2位という事例があるし、U20がここ3大会世界大会に出れていないのも同じ事だ。昔と違うのは、高校やユースで実績を積んだ人が代表監督、コーチになるパターンが出来つつある点で、それは好材料かもしれない。

 本作は資料集といった側面が強いのだが、淡々とした事実の連なりを眺めるだけでもこのように色々と思う所はある。