前都知事の著作をば。

二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?ー人口減少社会の成長戦略ー猪瀬直樹
 本作は元々別タイトルで刊行されていたが、文庫化する際におそらく当時流行っていた「さおだけ屋はなぜ〜」を意識して改題されたもの。「少年時代から仕事と勉学に励んでいた」という道徳面が強調された従来の二宮金次郎のイメージではなく、「今に通じる経営、金融概念を持ち、荒廃した農村を再生させる経営コンサルタント」という姿を提示し、人口減社会に入った現代日本へのヒントを見出そうとしている。本作の主題はかくの如しではあるが、自分の関心は途中からその「江戸末期」という時代そのものに移っていた。
 金次郎は農家の出だが、後に幕臣に取り立てられる。これだけでも「士農工商」が厳格に適用された身分固定社会というイメージを変えるに十分だが、本作に出てくる他の藩士幕臣の仕事ぶりというのがどれも所謂「帯刀し、戦闘員たる“武士”」というよりも公務員、あるいは官僚という描写が相応しいのが印象的だった。まぁそういう点に焦点を当てた本だから、という側面はあるにせよ、幕府や藩を政府や自治体に言い換えればそのまま今に通じるほどの。
 金次郎が亡くなった1856年当時は既にペリーが来航した後で、「幕末」に突入していた訳だが、既にこの少し前から、明治以降(とある意味現在まで)に続く近代化の萌芽というか地ならしが出来ていたんだろうな。ちょんまげから洋装に変わった類の大変化はあくまで表面的なもので、何も幕末期の10数年間で全てが一変した訳では無く、実際は徐々に水面下で変化が進行していたと。勿論従来の身分制や体制は揺らぎつつも一定の力を持っており、故に幕末期に多くの犠牲があったのだが、見方を変えると明治維新というのは変革の「最後の一押し」だったと捉える事も出来る。

 本作を読んだのは結構前になるが、日曜の都知事選を踏まえてここで前都知事の著作を。今回の立候補者の顔ぶれを見て、失った大きさを感じずにはいられなかった。まぁ脇が甘かったと言えばそうなのかもしれないが、勿体無かったわ。やはりトップではなく副知事の立場で有る程度自由に活動した方が良かったということか。

 体調は70%程度からなかなか上がらず。昨日はどうにか会社に行って、今日が休みなのは絶妙だった。