チーム別ユース年代最高傑作は誰か(クラブ:東日本編)

 さて、クラブユース編をば。選出基準は高校と同じだが、クラブユースで留意しなければならないのは、あくまでトップチームへの人材供給を目的としている点にあり、またトップチームのJ2生活が長いために必然的に下部組織出身者でもJ1経験が少なくなり、単純に試合数の大小で他チームと比較出来ないという面がある。なお下部組織と一口に言っても小学生からチームを持つ所も多い訳だが、ここではあくまでそのクラブの高校年代(U18)のチームを卒業した選手のみ対象とする。例えば中学時代はマリノス、高校は桐光学園だった中村俊輔はここではカウントしない。

【北海道】
■札幌U−18(Jユース1)

西大伍(1987/8/28)
代表:1試合
 J1:164試合8ゴール
※次点)新居辰基(1983/11/22)
 J1:94試合12ゴール

代表はともかくJ1実績が他の強豪校、ユースに比べてやや少ないのは、トップチームのJ2在籍期間の長さ故だろう。ここ数年毎年多くの選手がトップ昇格し、今季のトップチームにはアジア大会の代表だった荒野を始め、深井、奈良といったリオ五輪代表候補の選手が何人かおり、例えチームが昇格出来ずとも、西のようにJ1チームに引き抜かれる可能性は十分にある。
ここは北海道で540万、札幌だけでも194万という人口を抱える中で他にJクラブが無い。首都圏や関西圏で人口2000〜3000万、また九州も1300万の人口を抱えるが、その分Jクラブや高校が多数ひしめき合っている事を考えれば、これこそが他のクラブに無いアドバンテージだと思う。

【関東】
■鹿島ユース(Jユース2)

曽ヶ端準(1979/8/2)
代表:4試合
 J1:436試合
※次点)野沢拓也(1981/8/12)
 J1:330試合61ゴール

ここは高校の有望株を獲得して育てる印象が強く、下部組織出身者でトップ昇格した選手の数はそれなりに多いが大成したのは少ない。ただ、その数少ない事例である上記2名の実績が素晴らしいのも事実だ。最近はまた下部組織にも力を入れ始めたらしく、22歳の土居(J1:51試合10点)はトップチームのレギュラー。

■浦和ユース(クラブユース1、高円宮杯1)

原口元気(1991/5/9)
 代表:3試合
 J1:167試合33ゴール
 独 :5試合
※次点)山田直輝(1990/7/4)
 代表:2試合
 J1:50試合2ゴール

代表を基準にすると上記2名なのだが、J1実績では鈴木慎吾(J1:244試合35ゴール)が最高となる。この人はブレイクしたのは確か京都サンガで、浦和Y出身者と知って驚いた。ここはJのオリ10ながらユースが整備されたのはここ10年ほど。現トップチームの宇賀神(J1:122試合8ゴール)、矢島(U21代表。J1:12試合1ゴール)、関根(U19代表。J1:17試合1ゴール)、濱田(J1:33試合)、その他エスクデロ(現FCソウル。J1:81試合7ゴール、韓国:65試合10ゴール)、高橋(現千葉。J1:77試合2ゴール)など。トップチームは「買う(買える)クラブ」なので、下部組織出身者がレギュラーに入り込むのは多くて1〜2枠かと思うが、00年代半ばのここの黄金期はワシントン、ポンテ、三都主闘莉王ら補強選手だけではなく、実は高校、大学から獲得した選手達(山田、長谷部、鈴木、田中(達)、坪井、平川、堀之内)の存在も重要だったと考えればしっかり下部組織を充実させるに越したことは無い。
 
■柏U−18(クラブユース1)

明神智和(1978/1/24)
 代表:26試合3ゴール
 J1:472試合26ゴール
※次点)酒井宏樹(1990/4/12)
代表:19試合
 J1:42試合1ゴール
 独 :47試合1ゴール

その他古くは酒井直樹(代表1試合、J1:147試合17ゴール)に始まり、大谷秀和(J1:239試合9ゴール)、工藤壮人(代表:4試合2ゴール、J1:124試合46ゴール)、茨田陽生(J1:99試合2ゴール)ら現在トップチームで活躍する選手や、指宿洋史(現新潟。J1:11試合2ゴール)など。この明神がまさに典型なのだが、Jのユースと言えは昔はボランチ生産工場という印象が強かった。ガンバの稲本、ジェフの酒井、阿部などで、高校がFW、CBを育てるのと住み分けが成されていたのだが、上記工藤、指宿などFWが他のユースでも育っているのを見ると、そういう区分は無くなりつつあるのだろう。

東京Vユース(Jユース2、クラブユース14、高円宮杯1)

都並敏史(1961/8/14)
 代表:78試合2ゴール
 J1:205試合5ゴール
 JSL :61試合
※次点:中村忠(1971/6/10)
代表:16試合
 J1:257試合4ゴール

読売ユース時代から数え切れないほどの選手を輩出しており、あの松木安太郎(代表:12試合、JSL:208試合7ゴール)がその最初の世代という。今も森本貴幸(現千葉。代表:10試合3ゴール、J1:40試合5ゴール、イタリア:104試合19ゴール、UAE:13試合6ゴール)、相馬崇人(現神戸。J1:150試合9ゴール、ポルトガル:27試合2ゴール)、富澤清太郎(現横浜M。J1:116試合9ゴール)、高木俊幸(現清水。J1:116試合20ゴール)、高木善朗(現清水。J1:9試合、オランダ:43試合6ゴール)、河野広貴(現FC東京。J1:57試合8ゴール)らが活躍中で、五輪世代でも中島(現FC東京)、ポープ・ウィリアム、吉野(現広島)がアジア大会の代表に選ばれている。ただそれでも代表で最高の実績を残したのは年配OBである都並というのも事実。また現在は上記選手の大半、U21世代ですらも3名中2名が他でプレーしているように、厳しい経営状況故か逸材をすぐに手放してしまう(手放さざるを得ない)状況でもある。ユース世代ではまだまだ確固たるブランドを維持している中で残念な事だ。特にFC東京に移籍しているのを見るのは、まるでサテライトクラブになったかのように思われて、諸行無常

■FC東京U−18(Jユース2、クラブユース2)

李忠成(1985/12/19)
代表:11試合2ゴール
 J1:190試合52ゴール
※次点)武藤嘉紀(1992/7/15)
 代表:4試合1ゴール
 J1:30試合12ゴール

代表試合基準だと実質プロ1年目の武藤が2位になるという。李は柏のイメージが強く、ここの出身なのを忘れていた。その他意外だったのは仙台の鎌田(J1:184試合9ゴール)が李の同期。現トップチームにも数多く下部組織出身者が在籍しているが代表的な所では武藤の他に権田(代表2試合、J1:158試合)、梶山(J1:222試合16ゴール、ギリシャ:7試合)など。
本調査はあくまで日本人選手を対象としたものだが、国籍のしばりを無くせばここの下部組織出身者で最高の実績を持つのは実は韓国の呉章銀(現水原。韓国代表:14試合、J1:13試合、韓国:275試合23ゴール)となる。この人も1985年度生まれなので、この世代は李、鎌田、梶山と結構な逸材が揃った世代だったんだな。

■横浜Mユース(Jユース1、クラブユース5、高円宮杯1)

栗原勇蔵(1983/9/18)
 代表:20試合3ゴール
 J1:278試合15ゴール
※次点)ハーフナー・マイク(1987/5/20)
代表:17試合4ゴール
 J1:58試合17ゴール
蘭 :79試合26ゴール
 西 :5試合

代表試合数基準だと上記となるが、J1試合基準ならば1部リーグ200試合以上出場者だけでも他に田中隼磨(現松本。代表1試合、J1:355試合15ゴール)、石川直宏(現FC東京。代表:6試合、J1:279試合48ゴール)、谷口博之(現鳥栖。J1:270試合46ゴール)、坂田大輔(現福岡。代表:1試合、J1:247試合46ゴール、ギリシャ:6試合)、榎本哲也(J1:202試合)がいる。その他飯倉大樹奈良輪雄太齋藤学端戸仁佐藤優平ら現トップチームに多くの選手が在籍し、他クラブでも長谷川アーリア(現C大阪)、水沼宏太丹羽竜平(共に現鳥栖)などJ1で100試合以上の実績を持つ選手がいる。
歴史の長さでは三菱養和東京Vに次ぐだけにさすがとは思うが、一方で他クラブで開花した選手が多い。齋藤学にしても愛媛へのレンタルによってブレイクした選手だし。特に1987〜1990年度生まれには逸材が多かっただけに、これらの選手を殆ど放出してしまったのは勿体無かった。何度も言っている事だが、もしオシムオリベイラ級の指導者に恵まれていれば、これらの選手は更に化けていただろう。栗原も南アとブラジルの内、少なくとも1度はW杯に行けたはず。

三菱養和SCユース(クラブユース3)

永井雄一郎(1979/2/14)
 代表:4試合1ゴール
 J1:289試合52ゴール
※次点)田中順也(1987/7/15)
 代表:4試合
 J1:114試合34ゴール
 ポルトガル:2試合

Jクラブ以外の「街クラブ」の名門。マリノスの元監督木村浩吉氏もOBなのを今回知った。Jの下部組織だけで一都三県(神奈川、埼玉、千葉)に10以上のチームが点在する中で今年クラブユース選手権で優勝。OBは他に西村卓朗(元浦和、大宮。J1:67試合1ゴール)、土岐田洸平(現大分。J1:72試合4ゴール)など。