ドイツ代表について徒然(後)

 さてこのシリーズも最終回ということで、無事ドイツ戦までに終えることが出来る笑。今回はEURO2004とドイツW杯について

 日韓W杯では望外の準優勝、またクローゼ、メッツェルダーなど次代を担う若いタレントも台頭し、フェラーも引き続き指揮を執ることになってドイツは順風満帆、と思いきやそうでは無かった。
 EURO予選では最終的に8戦5勝3分で1位突破こそ果たしたものの、スコットランド(監督はあのフォクツ)、アイスランドリトアニアフェロー諸島という組分けでは当然の結果で、むしろホームでリトアニアに引分け、フェロー諸島にも2-1で辛勝という苦戦ぶりが目立った。新たなエースとなったはずのクローゼはW杯の反動かあまり点が取れず、代わりに90年代に期待されながら伸び悩んでいたボビッチが30歳を過ぎてから代表復帰して貴重なゴールを連発し予選突破に導いた。
 またこの時期は強豪相手になかなか勝てない時期でもあった。親善試合でオランダ、スペイン、イタリアと対戦して3戦全敗。思えば日韓W杯でも勝ったのはサウジアラビアカメルーンパラグアイアメリカ、韓国で、アイルランドには引分けでブラジルには敗戦。強豪相手の勝利は2000年10月のイングランド戦(W杯予選、旧ウェンブリーのラストマッチでもあった)まで遡らねばならなかった。
 一方で若いタレントは継続的に起用され、90年代を払拭する新しいチームになった。前編でテクニックのある若手が不足していたと書いたが、丁度ダイスラー(1980年生まれ)の世代以降は徐々にパワーだけでなく一定の技術を備える選手が現れるようになり、クラニー(82年)、フライアー(79年)、ラーム(83年)といった選手が代表デビュー。そして本大会直前にはシュヴァインシュタイガー(84年)、ポドルスキ(85年)という20歳そこそこのタレントが代表に加わり、ベテラン中心のオッサン集団というイメージは完全に変わった。
 かくして世代交代に成功し、本大会はベスト8は堅く、ベスト4は行けるかなと思っていたのだが・・・。
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 初戦のオランダ戦を1-1で凌いだのでこれは行けるかなと思ったのだが、次のラトビア戦はまさかの0-0、そして最後のチェコ戦に敗れ敗退が決まった。まぁチェコネドベド、コラー、ツェフ、バロシュといったタレントが年齢的にもピークの状態にあり最終的にベスト4入りする強敵ではあったが、それでもGL敗退するとは思わなかった。
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 この大会の敗因としてよく言われるのが守備面。CBを組んだノボトニー、ベアンスのベテランコンビはスピードに欠けるため、4バックのDFラインではリスクが大きいというもの。この頃になると完全にリベロシステムとは決別して後ろは4人になっていたのだが、選手達は3バックのマンツーマン守備で育っていたのでまだ適応し切れていなかったんだろうな。

  • ドイツW杯(3位)

 EUROの敗退でフェラーは辞任し、再び監督探しが始まったのだが、後任はクリンスマンに決まった。そして例によって戦術面を補佐するアシスタントにはシュトゥットガルトオーストリア、トルコで実績を積んだレーヴが就任。
 今振り返ってもこの2004~06年の2年間が今のドイツを形作ったと言っても過言では無い。クリンスマンは現役時代から他のドイツ人選手とは少し違って引退後はアメリカに住んでドイツサッカー界とは距離を置くなど、良く言えば国際的視野を備えた、言い換えれば主流派に属さない変わり者という印象があった。日本に例えるなら中田英寿本田圭佑が代表監督になるのに近いイメージ。常識に捕われないチームマネジメントは、例えばフィットネスの専任コーチを他国から招聘、GKはカーンとレーマンのローテーション制にして最終的な正GKを決定、など多岐に渡る。サッカーそのものもレーヴの指導の下、4バックのラインディフェンスとテンポの良いボール回しを徹底して仕込み、それに適応すると判断すれば年齢、実績にかかわらず代表に呼んだ。それで抜擢されたのがCBメルテザッカー(招集当時20歳)やSBヤンセン(同20歳)など。こういった改革は当然反発も生み、GKローテーション制、つまりカーンを絶対的正GKの座から外すことに抗議してGKコーチのマイヤー(74年W杯優勝メンバーでバイエルンのコーチも兼任していた)が辞任したりもしたが(後任は同じく元代表GKのケプケ)、予選の無い開催国の特権をフル活用して試合をこなしていった。
 この時期で思い出深いのは2004年末に来日し横浜で日本と対戦した試合。
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 12月という時期故に日本は中田、中村、小野ら海外組をあまり呼べず、0-3で敗戦。この試合は観に行ったのだが写真が残っていないという・・。まぁ横浜国際の1階ゴール裏中央の最上段という位置だったので非常に見づらかったのは記憶にあるのだが(しかも1階スタンド上段は映像装置が見れない代わりにTVモニターが配備されているのだが、このゴール裏中央だけはそれが無く、一々腰をかがめて反対側の映像装置を確認しないといけなかった)。上の画像で思い出したが、アウェイユニを↑の様な赤(情熱の赤という位置付けらしい)にしたのも改革の一環だった。

 その後2005年のコンフェデ等で経験を積んでついに本大会を迎える訳だが、開幕戦のコスタリカ戦は衝撃的だった。友人宅に集まって視ていたのだが、この試合で見せたテンポの良いパス回しと前に突き進む積極性は、それまでのドイツサッカーのイメージを完全に覆すものだった。この試合に4-2で勝った後は次戦ポーランド戦を終了間際のゴールで制するなど完全に勢いに乗り、アルゼンチンとの準々決勝もPK戦を制してついにベスト4へ。
 だがそこに立ちはだかったのがイタリアで、ブッフォンカンナバーロを中心とした守備を崩せず、延長後半も終わりに近付いた時にグロッソの巻くようなミドルが決まってついに失点、そして終了間際にカウンターからデル・ピエロに止めを刺された。若さと勢いで突き進むドイツを老練なイタリアが上手くいなした、そんな試合だった。それでも最後の3決はポルトガルに3-1で快勝して3位。
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 この大会はそれまでの闘争心、フィジカル、不屈といったドイツサッカーのイメージを完全に変えた大会で、それが今に至る。今回はあまり触れなかったが、EURO2000の惨敗後、当時の代表アシスタントコーチであるスキッベを中心に育成システムの改革も行われ、その成果はドイツW杯の後から本格的に現れる。4年後の南ア大会ではこのシステムで育てられたノイアーミュラーエジル、クロースといった若い選手達が躍動。
 そうした成果を受け継いだのはドイツ大会後に辞任したクリンスマンの後を受けてコーチから昇格したレーヴで、この時アシスタントに指名されたのが現代表監督のフリックなのだった。レーヴはどちらかというと戦術指導者で手段が目的になりやすい傾向(例えばボール回しのスピードを突き詰めればどんな試合にも勝てるという思考)にあったが、それを上手く実際の試合に落とし込んでセットプレーのデザインなどを担当していたのだがフリック。このコンビによって2014年にはついにW杯優勝も果たしたが、大会後にフリックが辞任するとそのバランスが崩れて徐々に勝てなくなっていく。EURO2020でベスト16に終わりレーヴが辞任すると、その後任に就いたのは、代表を去った後バイエルンでCL優勝という実績を積んだフリックだった。なので今のドイツは去年のEUROの様なボール支配する割に割に点が取れず、その間にカウンターで失点するようなチームではなく、より実際的なアプローチのチーム。お互いどんなメンバー、布陣で11/23の試合を迎えるのか楽しみでならない。勿論日本の勝利を願っているけど。

ドイツ代表について徒然(中)

 あまり深く考えず前回は(前)と前編ということにしたが、前中後の3回だとどこで区切るか悩ましい。監督で区切ると全4回になり、期間もバラつきが出てしまう。色々考えた結果、単純に時間軸で区切ることにして、今回は1998年フランスW杯の大会後から2002年日韓W杯まで。

  • EURO2000(GL敗退)

 前回に続く準々決勝敗退で辞任すると思われたフォクツだが結局留任となった。W杯後最初の試合は9月にマルタに遠征してのマルタ、ルーマニアとの2連戦だったが、ベテランが大量に去り、自分が見たことの無い「若いドイツ」を見れるのかと期待していたら、GKはようやく代表レギュラーの座を手に入れたカーン(29歳)と新キャプテンビアホフ(30)はまぁ分かるとして、中盤に追放したエッフェンベルク(30)を復帰させてバスラー(29)と組ませ、ビアホフと2トップを組むのはキルステン(33)という。そこにバッベル(26)、イェレミース(24)、ノボトニー(24)、ネルリンガー(25)ら中堅世代が絡んでスタメンを組む構成だった。若手として前シーズンにカイザースラウテルンのリーグ優勝に貢献したバラック(21歳)やライヒ(20)、そしてトルコ系のドーガン(22)を初招集したが、この2試合では出場機会無し。親善試合ですら若手の起用を躊躇うような、この期に及んでも年功序列を覆せない旧態依然のチームマネジメントで、限界は明らかだった。
 戦術的にもリベロシステムを止めて4バックにしたのだが、ドイツはクラブチームも殆どがリベロ(スイーパー)を置いた3バックなのでこれに対応出来る選手が少なく、予想通りマルタに先制を許しながらどうにか逆転して2-1辛勝、ルーマニアには押されながら追い付いて1-1引分けとパッとしない成績に終わり、この遠征終了後、フォクツは辞任した。

 後任はヒッツフェルトバイエルン)、レーハーゲルカイザースラウテルン)といったブンデスの現役監督には勿論断られ、監督経験の無いブライトナー(74年W杯優勝メンバー)に口頭で承諾を得るも公表前にマスコミを前にして独自の(過激な)改革案を喋った為にご破算、最終的に2年半前に監督を引退していたリベックに決まり、アシスタントに元代表のシュティーリケ(後に韓国代表監督も務める)が就いた。正直95-96シーズンにレバークーゼンを率いていたことも覚えてないくらい初耳の人物だったが、就任緒戦のEURO予選トルコ戦で相手に対ドイツ戦初勝利を献上するなどパッとしない試合が続き、11月の親善試合オランダ戦ではマテウスやメラーを復帰させるも若いオランダにホームで圧倒され、相手がチャンスを逃しまくったのにも助けられて1-1引分け。この試合では24歳のFWツィックラーが代表デビューしたが、オランダはそれより若いクライファートセードルフらが既に主力で、険しい道が待っているだろうなとは思ったが、その後を考えればこの試合はまだマシだった。
 そこからは怒濤の不名誉が続く。翌年2月の北米遠征ではアメリカに0-3で完敗、夏のコンフェデは1クラブ3人までという制限付きで主力は数名という構成ではあったがブラジルに0-4で大敗しアメリカにも再度敗れてGL敗退、EURO予選だけは手堅く勝点を積んでいったが、最終戦のホームトルコ戦では、現地のトルコ移民にミュンヘンオリンピア・シュタディオンをジャックされ、圧倒的「アウェイ」の中でどうにか0-0で予選突破という有様だった。

 この当時のメンバーを見ると旧東独出身者が多い。統一当初はザマー、キルステンなど東ドイツ代表の主力が中心だったが、この頃になると統一当時はユース世代か若手だった世代が増えてくる。イェレミース、ヤンカー、ツィックラー、リンケ、レーマー、B・シュナイダー、ハインリヒ、バラックなど。前編で当時の育成の失敗について書いたがあれは旧西独の話で、旧東独のシステムで育った最後の世代がその穴を埋める形になっていたのだろう。穴を埋めるというか、それでも↑の通りの結果なので、いかに危機的な状況だったかが分かる。
 EURO本大会に向けてまだ騒動は続き、2000年に入るとイェレミースが采配を批判して親善試合を選外となり、アシスタントのシュティーリケがリベックと対立して辞任、そして本大会メンバーには主力のノイビル(27歳)が外れクラブで好調という理由で何と34歳のへスラーが復帰した。
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 そして本大会だが、1分2敗でGL敗退。ルーマニア△1-1、イングランド●0-1も大概だったが、最後のポルトガル戦は相手が既に突破を決めていた為に控え中心で、フィーゴルイ・コスタもベンチだったにもかかわらずS・コンセイソン(現FCポルト監督)にハットトリックされて0-3という。
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 後で知ったが大会中ハマン、ツィーゲバッベルが中心となってクーデタを起こしてリベックを追放し、マテウスを監督に据える計画すらあったらしい(マテウスの拒否で未遂に終わった)。他国はアンリ、トレゼゲオーウェンなど次代を担う若いタレントが躍動する中で世代交代出来ないまま惨敗。数少ない期待の若手として23歳のバラックと20歳のダイスラーだったがどちらも準レギュラークラスに止まりチームを救うまでに至らず。落ちるところまで落ちたというのが正直なところだった。
 話は飛ぶが、2018年ロシアW杯後に当時のレーヴ監督がミュラーフンメルス、ボアテンクのベテラン(といっても当時まだ29~30歳)を今後招集しないと宣言したが、これはこの90年代の世代交代の失敗とこのEUROでの惨敗がトラウマになっていたのではと推測している。ベテランを強制排除することで世代交代を進めようと。ドイツは過去に学ぶというと聞こえは良いが、かなり反動的な形でそれを実行する極端な面があるし。

  • 日韓W杯(準優勝)

 EUROの後、リベックは当然辞任し後任探しは難航したが、最終的に当時レバークーゼンブンデスの優勝を争うまでに導いたダウムに決まり、クラブとの契約が残る1年間は暫定的に同クラブのSDを務めるフェラーが率い、アシスタントにドルトムントを率いた経験も有る若いスキッベ(現広島監督)を付けた。この「監督はカリスマ性のある元代表スター選手+アシスタントはそれを戦術面で補佐」という組み合わせはベッケンバウアー以来のドイツの伝統であり、代表が危機に陥った時は大体この人選となる。就任緒戦でスペインを4-1で破るなど結果も出して(8月の親善試合で相手のコンディションが整ってなかった面はあるが)、W杯予選でも順調に勝利と、完璧な形で引き継ぐと思われたが、ダウムがコカイン陽性反応で国外逃亡というまさかの展開でフェラーがそのまま留任した。
 この頃になると徐々にネットや携帯も普及して雑誌以外にもサッカーサイトや現地の公式ページにアクセス可能となって、入手出来る情報は増えていった。試合毎に招集メンバーを把握できるようになったのもこの頃だな。それまではサカマガ、サカダイ、ワールドサッカー系雑誌でも招集メンバーを全て掲載してくれず(他国は載ることが多かった)、招集されるも出場無しに終わった若手など、自分が気になる情報を知ることが出来なかった。
 そんな中で2001年9月にW杯予選でホームでイングランドと対戦、勝てば予選突破という試合だったが結果はご覧の通り。
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 ドイツが5失点した衝撃の試合だったが、後に試合を通しで視ると、あまりスピードの無い3バックを高く上げ、その裏をオーウェンに好き放題突かれた形で、実力というより戦術的な敗北であった。ドイツは最終的に予選POに回ることになり、予選敗退もチラついたが(この予選はオランダが敗退、ブラジルも大苦戦しており、当時の感覚としては何が起こってもおかしくなかった)、ウクライナを相手にアウェイで1-1、ホームでは最初の15分で3-0と圧倒し、4-1勝利で予選突破を決めた。
 
 この当時、前線はビアホフが衰え、ヤンカーはポストは上手いがシュートは下手、ツィックラーは速いだけで代表レギュラーには物足りず、ノイビルはあくまでサイドを切り裂くチャンスメーカーという具合で、予選途中にデビューしたクローゼもまだ若くレギュラーでは無かった。そんな中で得点力を補ったのがバラックで、レバークーゼンで2列目から飛び込むゴールゲッターとして覚醒した後、代表でも得点力を発揮。これが無ければ予選突破も怪しかったし、代表はトップメラー(当時のレバークーゼン監督でバラックの攻撃性能を開花)に足を向けて寝れない。

 そして本大会はその結果からは想像出来ないことだが、直前から離脱者が連続する大会でもあった。ショルが負傷で早々に大会を断念すると、直前にはダイスラー、ハインリヒ、ベアンス、ノボトニーが負傷やコンディション不良で離脱。守備と攻撃の核を同時に失う形になった。そんな中で中盤のラメロウを3バックの中央に移し、ヤンカー、クローゼの2トップにバラックがその後ろから攻撃に絡み、B・シュナイダーが右サイドからチャンスメイクする布陣にすると、初戦のサウジ戦で8-0圧勝。
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試合終了後に(ドイツが好きなのは知られていたので)友人達から祝福のメールが届いたのは今でも覚えている(笑)その後はアイルランドに終了間際に追い付かれたり、大会途中で左MFベーメが負傷離脱、準決勝韓国戦ではバラックが累積警告で次戦出場停止が決まるなど順風ではなかったが決勝まで辿り着き、最後は敗れたものの負傷者の多さを考えれば十分過ぎる結果だった。EURO96然り、こういう時の方がドイツは良い結果を出すのかもしれない。クローゼが大会5ゴールと活躍してDFにも21歳のメッツェルダーという新星が台頭したが、個人的に印象に残っているのはMFフリンクスとシュナイダーの中堅2人。中盤で堅実に相手をブロックして攻撃にも顔を出すフリンクスと、まるでブラジル人の様なテクニックで右サイドからチャンスを作り出すシュナイダーは決勝進出の陰の立て役者。

 日本開催だったのもあってこの大会のドイツは色々と思い出深いチーム。決勝は横浜だったが、宿泊していたのは横浜駅前のベイシェラトンだったらしい。当時のユニはホーム、アウェイ両方買ったけど、中でもアウェイ=緑が当たり前だった中でのグレーがベースのユニは格好良かった。

2002年ドイツ代表・アウェイユニフォーム

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ドイツ代表について徒然(前)

 いつもと違う11月開幕、日本はシーズン直後、欧州はシーズン中ということもあってまだ実感が湧かないが、今週末からW杯が始まる。今回はドイツ、スペインと過去最高に難易度の高いGLとなり、ドイツはサッカーを見始めた当初から好きだったのもあってついに来たかという感じなのだが、この機会に自分の目を通したその当時からのドイツ代表について書いてみたい。現在まで書くととてもW杯までに終わらないので、現在のドイツの原型が作られた2006年ドイツW杯まで何回かに分けて。

  • きっかけ

 サッカーそのものはトヨタカップを日曜の昼に父親と見た記憶は薄らあるし(91年レッドスターvsコロコロ)、W杯という大会が存在するのも認識していたが、ドイツ、というか海外サッカーに興味を抱くきっかけは92~93年頃。きっかけはサッカー誌やTVの試合では無く、偶々家に置いてあったサッカーとは無関係の雑誌だった。名前は覚えてないが父親の仕事の関係で航空会社の機内誌だったかもしれない。世界各地の風景など写真も多かったので眺めていたら「世界のベストイレブンを選ぶ」みたいなタイトルの記事に出くわした。記憶してる限りではそのベストイレブン

※?マークは記憶曖昧
GK:シュマイケルデンマーク
DF:マルディーニ(イタリア)、バレージ(イタリア)、コーラー(ドイツ)、ジョルジーニョ?(ブラジル)
MF:レドンド(アルゼンチン)、へスラー(ドイツ)、フリット(オランダ)
FW:バティストゥータ(アルゼンチン)、ファン・バステン(オランダ)、R・バッジョ?(イタリア)

 この中で、誌面を飾る選手の試合写真の中でもadidasのドイツユニが子供心に響き、特にスウェーデンで開催されたEURO92の後だったので、夏の北欧特有の夕景に照らされた姿が強く印象付けられて、気になるチームになっていった。まぁ丁度当時の世界王者だったのも大きかったと思うが。
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 この時期は日本もオフトの下でアジアカップ優勝、アメリカW杯予選を勝ち進んだ時期でJ開幕と相まり、こうしてサッカーにハマっていった。だから自分の中では今でも国内/海外の区別は無く、どちらが上とかの概念は無いのだが、日本とドイツが対戦すれば当然日本を応援というスタンス。

 こうしてドイツを追うようになったのだが、雑誌やTVで色々情報が入るようになると、ドイツは主力が高齢化しているのを知った。マテウスブッフバルト、ブレーメ、フェラーといった90年大会の優勝に貢献した33~34歳の選手が残り(今は30代後半でも代表で活躍する選手は多いが、当時は30歳を過ぎたらかなりのベテランという感覚)、特にフェラーは一度代表引退していたにもかかわらず大会直前で復帰。それにより高齢化が更に印象付けられた。また個人的にもこの大会のユニはその前に比べてデザイン的に響かず、イマイチな印象だった。
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 大会が始まると、ドイツは順当に勝ち進むものの(TV放映の関係で現地の昼に開催された影響もあって)アメリカの猛暑に苦しめられ、GL韓国戦は3-0にしてから後半足が止まって1点差まで追い上げられ、決勝トーナメント1回戦のベルギー戦ではブッフバルトがエリア内で相手を後ろから思い切りタックルして倒しながらノーホイッスルという「幸運」にも助けられ3-2勝利とあまり良い内容では無かった。またその間エッフェンベルクが観客に中指を立てて代表追放される事件もあった。
 それでも準々決勝のブルガリア戦は勝つだろうと思っていたが、ストイチコフのFKとレチコフのヘッドでまさかの逆転負け。思えばこれで世界王者という肩書きが外れた以上に、最後は何だかんだ勝つというドイツのイメージが崩れ始めたように思う。

  • EURO96(優勝)

 アメリカW杯以降は(今に比べれば限られているが)サッカー誌、TV等でインプットも増えていったが、ドイツに関してはずっと「若手探し」が個人的な関心事だった。当時イタリアにはデル・ピエロ、スペインにもラウールという次代のスターが台頭していた中でドイツはW杯後に何人かのベテランが代表引退したにもかかわらず、相変わらずクリンスマン、メラー、へスラーなど中堅、ベテラン中心。一応ショルが次代を担う若手とされていたが、当時既に24~5歳。他国なら既に主力でもおかしくない年齢だった。他に当時10代だったドルトムントのリッケンもいたが代表には呼ばれず。
 この90年代半ばのドイツは若手、特に創造性のある選手が皆無で、速い、強い、高いといった身体的特徴を前面に出したタイプばかり。最近、ドイツの新聞のアーカイブページで(翻訳機能を使って)当時の記事を読んだりしているのだが、その頃から代表監督に世代交代を訴え、また若手が育たない原因として幼い頃からボールスキルよりフィジカルを重視している点が指摘されていた(ハンブルクの新聞だったので当時HSVに所属していたブルガリア代表レチコフの「自分は子供の頃練習ではずっとボールを蹴っていたがドイツはそうではない」というコメントを引用しながら)。
 そんな中でもEURO96は優勝してしまうのだが、これはリベロのザマーとクリンスマンキャプテンシーに負うところが大きい。リベロのレギュラーかつ主将のマテウスが94年末にアキレス腱断裂の重傷を負い、代わりに起用されたザマーが穴を埋める以上の活躍を見せたので、マテウスは怪我が回復しても代表復帰を見送られたのだが、ベテラン重視の当時の代表監督フォクツにしては珍しい判断だった。
 このリベロというシステムが当時のドイツの象徴であり限界でもあったかなと。ザマーは最終ラインを統率するだけでなく、特に攻撃の起点となり、また相手ゴール前まで上がってゴールにも絡む活躍でその年のバロンドールまで獲ったのだが、今の日本で言えば遠藤航と田中碧、鎌田大地を合わせた様な超人的な選手は歴史上何人もおらず、偶々旧東独が生んだ最高の才能がいた幸運。またこの大会のドイツは負傷者が続出し、決勝は出場停止も2人いてGKにフィールドプレーヤー用のユニを用意し、UEFAから特別に1名の追加招集選手を認められるほどだったのだが、ここで度々怪我に泣かされたザマーは無事だったのも幸いした。
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 この大会ではショル、ツィーゲバッベルという20代半ばの選手も優勝に貢献し、ようやく世代交代が始まった印象もあった。

  • フランスW杯(準々決勝敗退)

 という中でのフランス大会だが、この途中でザマーは負傷で長期離脱し、W杯後にそのまま引退してしまう。後任のリベロはスイーパータイプのヘルマーではハマらず、ザマーと同じく元MFで32歳のベテラン、トーンを復帰させて予選はどうにか帳尻を合わせたが、最終的に本大会では37歳のマテウスを復帰させた。
 これに象徴されるように、この期間のドイツは若手、中堅が伸び悩み、ベテランばかりが目立つ形で世代交代はむしろ後退した。その数年前から期待されていたリッケンは予選終盤でやっと初招集(本大会は落選)、その他ブンデスで活躍していた若手MFのハマンとイェレミースも予選後にようやく初キャップという有様。思うに当時のドイツは監督のフォクツを始め80年代以前の常識から抜け出せていなかったように思う。「若手はブンデスから自然と育ってくるもので、数試合、数ヶ月ではなく数年活躍して初めて代表に呼び、呼んでも最初はベンチに置いて馴染ませた後にやっと試合で起用」という流れ。これは外国人枠が3人の時代ならまだしも、ボスマン判決EU内国籍の選手が大量流入してドイツ人の出場機会が減った時代には合わないものだった。また上記のように、当時のドイツは育成からフィジカル重視で技術のある選手が育っておらず、余計にその傾向に拍車を掛けた。
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 こうしてフランス大会はスタメンの平均年齢が30歳を越える超高齢メンバーとなった。サッカーも2年前のEUROの頃は中央からの崩しだったりまだ色々パターンがあったが、この大会はサイドからのクロスとセットプレーばかりでかなりワンパターンだったな。GLのユーゴスラビア戦では0-2から追い付き、決勝トーナメント1回戦メキシコ戦では先制された後アーリークロスからの2点で逆転勝ちしたが、準決勝、決勝ならともかく、この段階からギリギリの試合を強いられている辺り視ていて不安を覚えた記憶がある。そして準々決勝のクロアチア戦は例によって堅い展開だったが、DFベアンスがスーケルを倒して一発レッド。そこから3点取られて0-3の完敗に終わり、これまで数的不利でもリードされても粘るのがドイツという神話も崩れ、明らかに衰退期にあるのが印象付けられた。
 ただ当時の自分はこれでようやくベテランが去って世代交代が始まるという期待もあった。まだインターネットが普及し始めたばかりで情報は相変わらず雑誌メインだったが、どんな新しい選手が入るのだろうと。また余談ながらこの大会のユニのデザイン↑は好きで、後に初めて自分の金で買ったレプリカユニはこれ。

フランスW杯ドイツ代表ユニ(ホーム)

 こんな感じで11/23ドイツ戦までには書き終えたい(笑)

阿部勇樹引退試合(埼スタ)

 J1も終わり、今週末はJ3や選手権の都道府県決勝など観に行こうかなと考えていたが、数日前に阿部の引退試合が土曜に開催と知ってこちらに決めた。試合は17時からということだったが、その時間に合わせて埼スタ直行直帰も面白くないので昼前に家を出て城北エリアを散策しつつ北上することに。今日は天気も良かったし。

  • 城北エリア散策

 まずは護国寺へ。ここは何度か訪れているが、御朱印を拝受しようと思ってなかなか出来ずにいた。境内では骨董市も催されていた。

護国寺

 来る度に思うがこの辺りはさすが文京区というか街並みに他のエリアとは違った落ち着きが感じられる。
 
 続いてバスで巣鴨へ。護国寺の前から上野に行くバス路線があり、途中の千石で降りて徒歩で向かう。この辺りは15年ほど前に仕事で通っていたのもあって多少は馴染みのある場所。当時は事務所周辺のランチの店を開拓していたが、先日偶々当時メモっていたそのデータが発掘されて今もあるのか調べてみたらやはり何軒かは既に閉店していた。一方で当時開店して今や超人気店になったハンバーグ屋もあったりする。今日もあわよくばと思ったが行列が出来ており断念。そのまま巣鴨駅方面に歩いてこちらへ。

とげぬき地蔵尊 高岩寺

 実は行くのは始めて。仕事で通っていた当時は千石~巣鴨間しか移動しておらず、駅の北にあるここや「おばあちゃんの原宿」で有名な商店街は行ったことが無かった。既に14時近かったが蕎麦屋があったので昼食を摂り、参拝後は埼スタでの軽食用に大福を購入。そこからは隣の駒込駅経由で浦和美園へ。

  • 試合

 例によって浦和美園からはスタジアムシャトルバスも出ていたが今日は歩きを選択。

浦和美園駅からスタジアムへ

 ↑の様に、このスタジアムは歩いていると彼方にスタジアムが見えてくるってのが良いんだな。地下鉄を長く乗ってはるばるやって来た感があって。今日の席はメインアッパーだったが指定出来ずホーム側になった。普段のJではバックアッパー、それもアウェイ寄りが殆どなのでこの場所で観るのも代表戦くらいでなかなかレア。埼スタはアッパースタンドはエスカレーターあるのが嬉しい。

 今日の試合はURAWA ASIAN KINGS vs JEF・JAPAN FRIENDSの名の通りACL制覇した07、17年メンバー主体の浦和とジェフや代表で共にプレーした選手達という構成。今は浦和のイメージが強いが、元々この人はジェフユースの最高傑作と呼ばれる逸材だった。高2でJデビューし、当時Jのトップストライカーだった韓国代表の黄善洪を完封して「年齢を知ってショックを受けた」と言わしめたという話は媒体名などは思い出せないが確かに雑誌で読んだ記憶がある(当時買ってたのはサッカーダイジェストだったんでそれかもしれない)。一方で1999年ナイジェリアワールドユース飛び級での選出が濃厚だったが必須条件となる予防接種を受けられず断念、2000年のU19アジアユース、2001年ワールドユースは負傷で欠場と、若い頃は国際舞台に縁の無い不運な選手という印象もあった。当時はまさか40歳まで現役とは思わなかったな。
 等々色々この選手に関する記憶も呼び起こしつつの試合だったが、試合そのものも面白かった。特に前半は浦和の闘莉王が盛り上げ役で、最終ラインからオーバーラップ、味方(特に右サイドを走る岡野)への大きな身振り交えた指示、相手ゴール前でファール貰ってそのままユニを(前半はJEF・JAPAN側で出場していた)阿部に着せてFK蹴らせる演出など、一流のエンターテイナーぶりを発揮していた笑。しかも2ゴール。JEF・JAPAN側も播戸が上手いこと盛り上げてたな。JEF・JAPANはスタメンだけで中西永輔中澤佑二栗原勇蔵中村俊輔坂田大輔と元マリノスが5人もいたのだが、榎本哲也が浦和側でスタメン出場していたというのがちょっと面白かった&あの移籍からもう5年かと思ったりも。
 後半は選手も交代してやや落ち着いた展開。浦和側には槙野が入り、JEF・JAPAN側は松井大輔(昼にJ3の試合に出た後のハシゴだったらしい)が入ったが、闘莉王、俊輔よりかは少し大人しかったかな。そんな中で後半半ば頃に2人の息子さんも出場。長男君は右サイドハーフ、次男君は中盤から前線までフリーポジションといった感じだったが、長男君の上手さはちょっと驚いた。細かい足技見せつつ右サイドからクロス中心にチャンスメイクというプレーはベッカムぽかったし、父も若い頃はそのFKでアベッカムと呼ばれていたのを思い出したりもした。後で知ったが今は浦和のジュニアユースらしい。息子さん達2人ともゴールを決め、終了間際、最後のゴールは長男君のクロスに父が合わせるという美しい締めくくりだった。8-2で浦和の勝利。

 こういった引退試合を観に行くのは5年前の永井秀樹の時以来だが、
barcaw.hatenablog.com
 かつてそのチームのユニを着た選手達が時代を越えて同じチームでプレーするというのは良いなぁと。闘莉王、岡野、田中達也、梅崎、武藤、興梠といった浦和で一時代築いた選手達がゴール裏から当時のチャントで迎えられるシーンもあったが、以前平塚でベルマーレマリノスのレジェンドマッチが開催された際、石川ナオがマリノスのユニを着てプレーする姿が無性に嬉しかったのを思い出した。自分の隣席は恐らく自分より年上の年季の入ったサポだったが、上記の選手達のチャントが始まるととても嬉しそうに手拍子していたのが印象深い。いつも思うが、浦和はこうした去りゆく選手達への送り出し方が上手いなと思う。何というか選手との距離感が良いんだな。選手もスタッフもサポも皆フラットな仲間という感じがして。

 試合後のセレモニーまで観て帰宅。セレモニーで花束を贈呈したのはご家族の他に俊輔だった。

阿部勇樹中村俊輔

この人も先日引退表明したし、段々と自分と同世代~少し上の世代も現役は減ってきたな。昨日は駒野が引退表明したし。と言いつつ今日出たメンバーでは稲本、松井、林、山瀬、今野はまだ現役だし、40越えた今ではまだこれだけ現役がいると言えるのかもしれないが。

W杯メンバー予想答え合わせ(4年越し回答編)

 予想答え合わせの2つ目。当blog的には本来こちらの方がメインで、2006ドイツ大会後から4年後のメンバー予想をしており過去の結果は以下の通り。
◆2010南アフリカ大会:的中12/23名
予想 → 結果

◆2014ブラジル大会:的中11/23名
予想 → 結果

◆2018ロシア大会:的中12/23名
予想 → 結果

毎回11~12名と的中率は約50%となっているが、では今大会、4年前はどんなメンバーを予想していたか。
◆2022カタール大会予想(2018年7月実施)
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予想メンバー

GK中村、権田、川島
DF吉田、昌子、長友、酒井宏、植田、富安、杉岡
MF柴崎、大島、原口、香川、堂安、中島、中山、守田、久保建
FW大迫、武藤、久保裕、鈴木優

それではポジション別に結果を見ていく。昨日の記事と同じく黒太字は的中、取り消し線は予想したが落選、赤太字は予想してなかったが選出されたメンバー
GK:権田川島中村シュミット
 2人的中。4年前当時J1で試合に出てる若いGKは中村航輔くらいだったし、カタールでは正GKと思っていたのだが・・。この人材不足で川島が4年後もエントリーされる予感は当時からあったな。今は少し状況改善し、谷、大迫、鈴木彩艶など東京世代以降の若いGKが台頭しつつあるが、カタールには少し間に合わなかった。ちなみに4年前はシュミットに全く言及していない苦笑。当時は仙台の準レギュラークラス(18年はリーグ18試合出場)だった。

CB:吉田冨安昌子植田谷口板倉
 冨安が4年後に台頭しているのは容易に予想出来た。ただ当時はSTVV所属で「4年後はステップアップして欲しい」と書いていたが、それより1年早くアーセナルまで到達したのは想像を越えていたな。昌子、植田の鹿島コンビは負傷だったりビルドアップの面で厳しかっただろうか。にしてもずっと国内でプレーしカタール大会は31歳で迎える谷口がここまで代表で重宝されるとは思わなかった。最終予選後半の代表フロンターレ化という流れに乗れた面もあったかな。板倉は18年に仙台にレンタル移籍してようやく継続的に試合に出始めたという時期。

SB:長友酒井宏杉岡伊藤山根
 中山は中盤で選んでおり、そこで改めて書くとして、SBメンバーとして予想的中は長友、酒井宏樹の2人だけ。川島と同じくこの2人の経験、メンタリティ、実力は簡単に追い越せるものではないなと。ロシア大会での酒井の活躍を見て、SBはある程度高さ、強さないとW杯レベルでは厳しいと思い、杉岡を選んだ。180cm近くあって湘南でサイドを上下動する運動量や献身性も鍛えられてるし「左の酒井宏樹」になれる・・・と思っていたらまさか中山、伊藤(当時は2人とも中盤だった)がそうなるとは。余談だが、市船出身者はU19~21の頃は世代トップでU代表常連でも、U22以降になると同世代に追い越されて代表から縁遠くなるパターンが非常に多いのだが、この選手だけでは19年のコパアメリカにも出たし順調に伸びていると思っていた。しかし・・鹿島移籍後あまり出番に恵まれずそこからこのジンクスにハマってしまった感。

MF:柴崎守田中山大島遠藤田中碧
 守田のメンバー入り予想は今回最も自画自賛したい笑。当時大卒1年目だったが早い段階で試合に出ていたし、中盤の潰し役をこなしつつ時々驚くような足技で局面を打開したり、川崎のパス回しに適応しているのを見て、ひょっとしてとんでもない逸材なのではと。と同時に何故遠藤航のメンバー入りを予想出来なかったのかと我ながら思ってしまうが、当時はデュエルキングの印象は無く、中盤やSBこなす便利屋のイメージであまり特徴が見えてなかったんだよな。何度か書いているが、湘南、浦和時代は強さよりも最終ラインからのフィードの正確さの印象が強く。だからこそ似たタイプでより若い中山がメンバー入りすると思っていた。田中碧は当時まだ高卒プロ2年目で殆ど試合に出てなかったので、正直川崎でレギュラーになるのも厳しいのではと思っていた。

2列目:堂安久保建香川原口中島伊東南野相馬鎌田三笘
 堂安は前年にオランダに渡っていてロシア大会も選ばれる可能性あったし、久保もカタールでもまだ21歳だが思い切って予想した記憶。香川はロシア大会で黒子役のトップ下として一定の貢献はあったしカタールが最後の舞台されるだろうと結構本気で思っていたが、そもそもこの4年殆ど試合に出ておらず、今STVVでようやく落ち着いた段階。トルコ、ギリシャにいたのは覚えていたが、サラゴサ(スペイン2部)いたのは記録を見て思い出した。最後は日本でのプレーをまた見たい気持ちもあるが、ピッチを広く使って技術やパスセンスを見せる清武、乾と違って、ゴール前の限られたエリアの閃きや技術で勝負するタイプだけにJで違いを見せられるのか正直疑問に思ってもいる。
 その他鎌田は当時17-18シーズンにフランクフルトで殆ど出番が無かった故に候補から外していたと記憶。それがこの予想の直後のシーズンにレンタル先のSTVVでブレイクしてそのまま一気にフランクフルトの主力になった。今はどれだけやれるかというより、W杯での新たなキングのプレーが楽しみでならない。

FW:大迫武藤久保裕鈴木優浅野前田上田
 FWは全員外れた。大迫は今回も候補だったと思うが、残り3名は理由もそれぞれ。久保裕也は前回まさかの落選からゴール数も激減してアメリカでは中盤でプレーしているという話もあったし、4年後こうなっているとは思わなかった。武藤はプレミアで試合に出られず、鈴木優磨は一定の活躍見せているが代表には縁遠いまま今に至る(一度招集されたが負傷辞退)。ただこの予想を見て思うのは皆1トップや2トップ向きのタイプで今のような3トップの中央で機能しそうなのは大迫くらい。久保はハリル時代に3トップの右だった記憶があるが、サイドアタッカーという訳では無い。この4年で前線はよりウイング的な選手、サイド起点に仕掛けてチャンスメイク出来る選手、そのチャンスを中央で押し込める選手の需要が増して、その結果が三笘や伊東、前田の選出に繋がっている様に思う。しかし浅野は前回も最終候補だったが、前田は18年時点でJ2松本所属でリーグ戦29試合7ゴール。そこからポルトガル経由してマリノス行って得点王→セルティックなんて予想出来ん苦笑。上田も同年は法政大2年で関東大学1部が主戦場だった。この頃は立ち上がったばかりの東京五輪代表で幾つかゴール決めてる大学生いるな、名前は何て読むのか、キヨ?と思った程度。

◆結果
的中:11/26名
 毎度思うが4年という月日の長さよ。実生活ではあっという間だがサッカーにおいては遠い昔の様に感じる。中島が代表の10番背負って活躍していたのが遠い昔の様だし、堂安、南野と並んでMNDとか呼ばれていたのを何人覚えているだろうか。更に今回は途中コロナ禍という予想だにしなかった事態となり、交代5人制の定着、本大会エントリーメンバーの増員などサッカーそのものに影響を与える変化もあった。そんな中で的中したのは11名と例年通りだが、やはり4年前時点で大学生、ユース、高卒1~2年目であまり試合に出てないメンバーから見出すのは至難の業だし既存メンバーベースに考えると必然的にそれくらいの数に落ち着くのだろう。
 ただ予想の言い訳用に若手の名前を何人も挙げておいて誰もメンバー入りしなかったのは我ながら苦笑せざるを得ない。その名を挙げると
※当時の所属⇒現所属

菅原由勢(名古屋⇒AZ)、中村敬斗(G大阪⇒LASK)、安部裕葵(鹿島⇒バルサB)
橋岡大樹(浦和⇒STVV)、郷家友太(神戸)、田川亨介(鳥栖サンタクララ
山田康太(横浜M⇒山形)

中には五輪メンバー入り、代表入りした選手もいるが、W杯には少し遠かった。菅原、中村、橋岡辺りはカタール後に本格的にA代表に絡んできそうだが。田川も高さ、強さ、スピードを備えたポテンシャルは大きいだけに起用次第では化けると思ってるのだが。
 今大会が終われば当然次回北米大会メンバー予想を行う。次はもっと攻めた予想するか。

W杯メンバー予想答え合わせ(直前予想編)

 今日はW杯メンバーの発表日。ここまで18年7月、今年6月、9月の3度カタール大会メンバーを予想してきたが、予想というのは結果が出た後の振り返りも含め楽しむもの、ということでその答え合わせをば。まずは9月の最新予想から。
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黒太字は的中、取り消し線はメンバー入り予想したものの落選、赤太字は落選予想からの選出
GK:川島、権田、シュミット
 ここは予想通り。E1終了後は谷が入るかなと思ったが、9月の試合で出番無くそこでシュミットが活躍してこれは堅いなと。川島をチームのまとめ役として連れて行くのは確実だと思ったので、上記3人で決まりだと思った。有り得るとすれば9月のアメリカ戦や最近のJでも負傷で途中交代した権田のコンディションが万一整わなかったら、という程度。
 ただその権田はリーグの結果次第で11/13の参入POに出る可能性がある。まぁ海外組もリーグ戦はその日まである選手が大半だから合流が特別遅れる訳では無いが、通常のリーグ戦はともかくプレーオフというギリギリの試合を戦った10日後にW杯初戦というのはかなりタイトなスケジュール。

CB:吉田、谷口、板倉、冨安
 ここも予想通り。まず26人という枠を考えればCBは4人連れて行くと思ったし、板倉の負傷という不確定要素はあったが、間に合う見込みという情報が多く、ここまでの出場状況からこの4人だろうと。

SB:長友、酒井、山根、中山、伊藤
 SBも的中。まぁここまでは代表での起用を考えればそうなるよなという選考。伊藤は初代表だった6月にブラジル戦以外の3試合フル出場でこれはもう本大会選ぶの前提でテストしてるなと思ったし、山根も5人目のSBとして選ぶと思った。特にベンチスタートの試合でもビハインド(ブラジル戦)、同点時(エクアドル戦)の終盤に途中投入されており、点が欲しい時のテコ入れ役として期待されてるのが窺えたし。

MF:柴崎、遠藤、守田、鎌田、田中原口
 中盤から前は色々予想外だったが、まず中盤。今回の発表はGK、FPそれぞれ年長者から順に読み上げる形だったが、酒井の(1990年生まれ)の次が柴崎(92年生まれ)で、ん?と。91年生まれの原口がいない。予想でもこの位置は最低限6人、もしかしたら追加で1人呼ぶかと思っていたがまさか5名とは。遠藤、守田フル稼働必至だが、板倉、あるいは伊藤も中盤兼用で考えているのかな。

WG/2列目:伊東、相馬、三笘、堂安、久保南野
 ここは概ね予想通りではあった。南野は落選を予想していたが、10番背負ってここまでレギュラー格でやってきた選手ではあるので選考は意外という程ではない。けど本職トップ下で鎌田が立場を固めつつある今、どこで使うのだろうか。もしかしたら鎌田との併用体制で、鎌田はドイツ、スペイン戦、南野は2戦目のコスタリカ戦用とか?

CF:前田大迫古橋浅野上田
 という中で最も予想を外したのはこのCF。大迫では無く上田というのは監督の「若い選手の野心に期待」というコメントにもあった通り、まだ24歳という年齢、そしてあのシュート技術やボールの収まりに期待したんだろうなと。古橋の落選と浅野の選出は意外だったが、ただ先ほどの鎌田/南野併用でふと思ったが、先日のエクアドル戦でそうだったように、本大会は1、3戦と2戦目でかなりメンバーを代えるつもりで、それを前提にした26名なのではないかと。鎌田同様に前田は1、3戦メイン、そして2戦目に浅野を考えているのかなと。予想では出来るだけタイプの異なる選手を選んだが、実は3試合で2つのチームを編成するにあたり出来るだけ違いを無くすこと、つまり近い特徴を持ったメンバーを選ぶことに主眼を置いたのでは、という推測。
 そう考えると原口の落選、そして色々言われる柴崎の選考も見えてくる。恐らく柴崎は田中碧との併用を考えているが、原口はそのドリブラーであり中盤の働き者というプレースタイルが独特であるが故に優先度が下がったのではないかと。

的中:23/26
と見てきたように、メンバー選考は単に好調な順、試合に出てる順だけではなく、本大会の対戦相手や日程も含めて考慮されるであろうことを考えると、今回の条件で監督が選んだのがこの26人だったということ。上記の本大会Wチーム編成はあくまで推測だが、冨安、三笘が負傷明けで試合に出たり出なかったりでメンバーやり繰りに苦労し、麻也、遠藤に負荷が掛かった五輪の経験も反映されているようにも思う。ずっとベンチ外で過ごすFPを出来るだけ作らない編成とも言えるが。メンバーは決まったが、実際にどの11人がピッチに立つのか、どういった配置なのかはまだ分からないが、それは本大会の楽しみにしておこう。

J1第33節 横浜M×浦和(日産)

 この2週間カップファイナルが続いたため、3週振りのマリノス戦。10/1名古屋戦の後で「10/12の32節ホーム磐田戦で決まりそう」と書いたがそこから(今季無敗だった)ホーム2連敗で川崎に勝点2差まで詰められたという。ただ残り2試合の対戦相手である浦和と神戸は残留を決めていると同時にタイトルの可能性も無く、G大阪、磐田の様な割り切った戦いはしてこないだろうとは思った。

 スタジアムに着いたのは前半5分過ぎだったが、前半半ばまでは浦和が右サイドを上手く使ってチャンスを作る場面が多かった。マリノス左SB永戸が上がったスペースを浦和の右サイド大久保が突く形。ここで無失点で凌いだのは大きかったかな。まぁ浦和は右サイドでフリーになってもクロスの前にゴール前の味方を確認して?数秒費やしてしまい、その間にマリノス守備陣が対応してクロスを体に当ててCKにしたり決定機までは作らせなかった。そんな展開の中でマリノスが右サイドから攻めて最後はファーサイドに詰めたエウベルが押し込んで先制。前半の終盤にもAロペスがこぼれを押し込んで2-0でハーフタイムへ。

 後半も10分過ぎに浦和の自陣ゴール前でのビルドアップをカットしてエウベルがそのまま持ち込んで3点目。その後もCKからAロペが決めて4-0として試合をほぼ決めた。正直3-0時点でも前回対戦時(3-0から追い付かれた)が脳裏にチラついて1点返されたら分からないなと思っていたがさすがに4点なら、と。4点目の直後にユンカーに1点返されたがその後は上手く試合をコントロールして4-1で快勝。

 今日はエウベルがスーパーだったな。この選手は加入当初はあまりフィットしていなかったし、プレースタイルも典型的なウイングとは言い難いのだが「サイドにいる2列目、トップ下」とでも言うべきスタイルで左サイドからチャンスメイクとゴールに絡むプレーが独特。と書きながら遠藤渓太を思い出した。遠藤も本来はこのスタイルと思うが、そのスピード故かマリノスでもドイツでもウイングと見做され、それが今の状況(ウニオン・ベルリンで結果を出せず今季レンタル先のブラウンシュバイクでも主にカップ戦要員)に繋がっているのかなと。

 浦和は冒頭で書いた通り、一戦必勝の気迫はあまり感じられなかった。今季は最後まで最適解を見付けられず、試行錯誤のまま終えようとしている印象。開幕後も五月雨式に外国人選手を補強したが、今日出場出来たのは昨季からいるユンカー、ショルツだけというのが象徴的というか。リカ将の去就もチラホラ記事になっているけど、そこは難しい判断だよなぁと思う。リーグ戦の結果だけなら期待値より低いが、去年天皇杯を獲って、今季もACL決勝進出を決めているのを考慮すると、という。

 ホーム最終戦なので試合後はセレモニー。

ホーム最終戦試合後演出

恒例の監督、主将からの挨拶があったが、喜田の安定のコメント力よ。ただこういった言葉の端々から感じられる知性、人間性と実際の試合結果は別物だとは認識しておきたい。言葉でタイトルが取れるならガンバ、ジュビロに勝って今頃優勝していたはずなので。

 今日は久々観戦仲間が集い、子供も含め計6名での観戦だった。最終節は神戸までは行けないが、かといって家でDAZNなのも味気なくどこかスタジアムでリーグ戦の終わりを迎えたい思いもある。埼スタに行こうか思案中。