とあるフットサル場にて

 学生時代、とあるサッカーサークル、というか団体に所属していた。その団体の特色は多々あれど、年齢による壁がない点も大きな部分を占める。所属「していた」と過去形にしたが、今でも自分では活動に参加してる(つもりだ)し、そのおかげで新生活の合間の「癒し」として随分助けられた。もちろん、学生時代のように、とはいかないが。

 しかし最近、見慣れた風景が変わりつつあるように思えてきた。自分のような社会人になる者もいれば、新たに大学生になり、活動に参加する者もいる。当然新たな仲間が増える分、慣れるまでに時間がかかるというのは当たり前だ。だが、それ以外にも理由があるように思えてならない。それは何か?少し考えてみた。そして導き出した結論が

 同じような人間が増えてきた。

 俺がまだ参加し始めた頃はもっと色んなキャラを持った人間が多かった気がする。年齢も、性格も、全てが違うのに、ただサッカー好きという点で集まっていた、一応組織として成り立っていたある意味奇跡的な状況。そんな気まぐれだが楽しい環境が失われつつあるように思えてならない。今、団体をまとめている人々を批判する気はないけどね。ただ、今述べたような(俺が美点だと思っている)部分が失われるたらどうするか?割り切ってキビシー社会人生活から癒してもらう為に参加するor一歩引いて参加を限定させる、もしくは行かない――――――――――後者だな。基本的に俺は(というより一般的に人は)自分が居心地悪いと感じた場所に居続けることはないからね。今日ほどそう感じた日は無かった。一刻も早く、あの場から逃れたかった。で、京成線で↑みたいな事考えてましたwww

 いつも思い出は美しく見えるものだ。これもある意味その一種なのだろう。こんな事言うなんて俺も年取ったな〜。