帰りの電車内にて

 Jも終わって一区切り付いてしまったせいでそう感じるのか、どうも仕事の方が雲行きが怪しい。前々からあまり楽観的な予感はしていなかったが、時が経つほどにその予感は強まり、漠然とした不安感だけがオフィス内に漂っている。
 大雑把に不安感と述べたが、正確には2つに分けられる。1つ目はプロジェクトそのものが成功するか否か、という不安。そしてもう1つは俺自身の(近)未来に対する不安だ。
 プロジェクト成功の可否については、勿論自分の力もその結果に大いに関ってくる訳だが、チーム作業である以上、どうにもならない部分があるというのはこの半年間見聞きしてきたので、最低限の成功(≠赤)は確保する為の努力を大前提として、仮にそうでは無かった時もその結果を受け入れられるというのはある。もっとも、火を噴いたら被害を被るのは真っ先に自分だから、そんな目に遭うのは御免だが。
 では後者は何を意味するか?未来に対する不安とはすなわち未だ自分が知り得ぬものに対する怖れであり、暗闇に向かって進み続けるが如くの心境である。これまで1年半色々な部署を経験し、その度に妙な自信が沸いて来たものだが、同時に、1つの山を越えたと思ったら眼前により高い山がそびえ立っている事に愕然とする―――毎回、この繰り返しなのも事実なんだよな。だから、こればっかりは時間が解決する他無いだろうと思う。プロジェクトが無事に、あるいはそうでなくても終わった時には、また何か得たような気になっているだろう。ただ、漫然と過ごしているだけでは何も吸収出来ないのもこの1年半で思い知らされてきた事でもある。そんな時に“好奇心”という言葉が思い浮かぶ。未知への怖れを越えた、興味、関心というポジティヴな意味を含むこの言葉を拠り所として前に進みたい。
 まぁ関連とは言え他社に放り込まれたので、他社からみた自社という視点を養えただけでかなり+にはなってる。自部署の人を見る目も、随分冷静になった気もするし。


 帰りの電車内でこんな事を考えるのは今思えば非常に危ない姿を晒してたはずだが、そこまでに至った理由としては携帯も本も家に忘れて通勤時間が暇過ぎたからでも、昨日のシリア戦で寝不足だったからでも、最近働き始めた友人が早くも社会の洗礼を浴びているからでもなく、今日が月曜であったからに違いない。

 今日は本当に寒い一日だった。駅から家に帰る道すがら、空を見上げると、この曲が思い出された。・・・・・・・・・まだ天皇杯、選手権があったんだった。また大晦日に観に行ってしまいそうだ。