九州行(最終日)

 最終日はまず朝から天満宮へ。従姉妹に車で送って貰ったのだが、朝9時過ぎと言うのに既に結構な人だかりで、その少なくない数が中国、韓国からの観光客だった。熊本、鹿児島も同様で、九州の近さは魅力的なんだろうなと。距離的には福岡―上海orソウル間は東京より近いくらいだし。
 
 天満宮の後は恒例の光明寺の石庭へ。前回は冬だったが、今回は夏の緑の濃さが庭に映え、また別の美しさが。この時点で周囲の山々からの蝉の鳴き声は相当だったのだが、この空間だけは不思議と騒々しさが無く、まるで遠くの方で響いているような、あるいは適度なBGMにすら思える。芭蕉が“岩に染み入る蝉の声”と詠んだ時もこのような情景だったのだろうか。
 
 駆け足で大宰府を巡り、次は博多から特急で最終目的地大分へ。大分は別府には行った事があるが、「大分市」に行くのは初めて。着くと駅前には大友宗麟像があったけど、この人は自分の中では島津勢に押されっぱなしだった人、というイメージ。
 
 それはともかくとしてここに行った目的は大分銀行ドームなのだが、試合開催日ではない為、バスが1時間に1本という有様。バスに乗った後も40分ほど揺られ、市街地から一昨日のKKウイングよろしく山の中に入ると、眼前にドームが。ついに日韓W杯日本開催地制覇行の9番目、大分に到達。
 前もって電話で確認していたのだが、ここは日産スタジアムの様な有料のツアーは無く、試合開催日や休館日以外なら都度案内してくれる方式で、管理事務所の方がマンツーマンでスタジアム各所を案内してくれた。
 ロッカールームやマッサージ室、トレーニング室等の内部施設を見せて貰った後はピッチのすぐ傍まで連れて行ってくれた。ホーム側ロッカールームには過去に開催された代表戦での選手の配置がサイン付きで紹介されていたのだが、03年カメルーン戦での中田英、土肥、三浦といった名前が懐かしい。ピッチに降りると巨大扇風機が何台もピッチ脇で稼動していたが、ピッチがスタンドより掘り下げられている構造上、空気が籠って芝の生育に良くない為、らしい。確かにスタンドは風通しが良く、涼しかったのにピッチに下りるとそれが無かった。
 
 
 
 その後は貴賓席や併設されている日韓W杯、トリニータ、数年前に開催された国体を紹介する展示コーナーも見せて貰ったが、案内してくれた親父さん曰く、大分が降格したのはやっぱりナビスコを取って浮付いたから、らしい(苦笑)この人はスタジアムが出来た10年前からボランティアで働いているとの事だったが、おそらくサッカーに興味があるというよりは、地元の為に何かしたいという動機だったのだろう。トリニータ同様、スタジアム建設に伴う自然破壊(建設に伴い、周辺の土をそっくり入れ替えて新しい苗木を植えたらしいんだが、その場所では発育が悪いらしい。)でも多少シニカルな言い方をしていたけど、やはり根底は地元が好きで、だからこそこうしてスタジアムで働いているのだろうという事もまた十分に伝わってきたので。
 小一時間案内して貰い、大分駅に戻ろうとしたら1時間に1本しかないバスがその時間だけ全く無いという事が発覚。飛行機の時間もあるのでタクシーでも呼ぶかと思っていたら、別のスタッフのおばさんが、丁度勤務時間終わりという事で、帰るついでにバスの多い幹線道路まで車で送ってくれる事に。
 車に乗り込んだら丁度ラジオで甲子園の横浜と智弁の試合が始まる所で、早々に負けた大分代表の話とか、大分の名物料理とかを教えて貰ったりして特にサッカーに関係の無い話をして別れた。案内してくれた人もそうだが、ここにいる人はW杯が開催されたから、トリニータというチームが出来たからこうして今に至るという人で、言葉は悪いが地元のごく普通のおじさん、おばさんばかり。だが、そういう人に支えられてこのスタジアムやチームは存在しているのだなというのもまた痛感させられ、旅の最後に思わぬ所で人の暖かい心情に触れてしまった。


 てな感じで旅も終わりを迎えた訳だが、最後、国東半島にへばり付く様に沿岸を埋め立てて出来た大分空港の展望ロッジからは別府湾の対岸だけでなく、四国最西端である佐田岬も見えて、晴れていれば瀬戸内の島々も見えるという。日が落ちて暗くなりながらもかすかに見える四国を遠望しながら、次の旅に思いを巡らしつつ飛行機へ。