ユーラシア⇒西欧、そして何時ものパターン

 遊牧民から見た世界史杉山正明
 十字軍物語までの繋ぎに1冊。ユーラシアの遊牧民が歴史上果たした役割を再評価すると共に、西欧視点の“世界史”像を見直しましょう、というお話。
 近世以降における科学や文明の西欧の優位が未だに影響している、という事だが、つくづくこの地域の運の強さは一体何なのかと思う。本書に出て来るモンゴルでいうとバトゥの征西軍はロシアからポーランドハンガリー方面に侵攻して、当地の軍団をあっさり撃破し、さぁ次は西欧へ、という所で大ハーン・オゴタイの急死によってモンゴルに帰還命令が下り、その後は東欧に現れる事無くウクライナ辺りに本拠を構えるにいたった。その少し前でいうと、イスラム軍がイベリア半島を制覇してピレネーを越え、フランス(当時はフランク王国)に侵攻したものの、トゥール=ポワティエ間で敗れてその後はイベリア半島から北上する事は無く、また時代は下ってオスマン朝の時代に2度もウィーンを包囲されたけど、そこで踏ん張ってそれ以上の侵攻を食い止めた。中国から西アジアに至る大国の中で西欧など微々たる存在だったのが、こういう強運の末に近世以降優位を得る幸運(?)を見るにつけ、歴史にifは無いと言うけども、ついその“if”を考えずにはいられない。

 今のサッカー界を見たって、欧州(特に西欧)が世界のサッカー界をリードしている訳で(まぁ競技の発祥地だから、という面も大きいが)、では一体その源は何かを考えると、1つに“小国の集まりである事による多様性や競争力の向上”かなと思う。UEFA加盟53協会の中には人口数千万のドイツやフランス等の大国もある中でその殆どは人口千万未満の小国なんだが、そういう国がCL、ELなりで切磋琢磨し合う事、また人や情報の交流によって競争力が向上し、例えば人口が500万に満たない(横浜と川崎を足した数より少ない)アイルランドクロアチアがEURO本戦に出れたりするのかと。狭い地域とは言え北欧、東欧、南欧で明らかにスタイルが違うように、そういった多様性も戦術の精錬に寄与してる面もあるかもしれない。

 という感じで例によってサッカーに置き換えて少し考えてみましたよ、と。もう今年も残り3週間で、サッカー的にもそろそろ色々と振り返りたい時期だけど、時間が無いわ・・。取り敢えず今週末にJ予想反省会から始めてみたい。