もしこの人がサッカーに出会っていなかったならば

■I AM ZLATAN ズラタン・イブラヒモビッチ自伝
 過去にも書いたが、サッカー本の中でも特に日本人選手の自伝、評伝というのは基本的に読まない事にしている。イメージ戦略があからさまなのと選手と“密接な”ライターが絡んで内容的に全く面白く無い為だ(代表例:かつての中○英寿と金■達仁)。長谷部の本はあれ位突き抜ければ面白そうとは思うが、しかし読んでいない(苦笑)
 一方で海外の選手が自伝を出すとそうでも無いようで、よくニュースに“○○が自伝で△△を痛烈に批判”だの“◆◆の過去の行動を暴露”てな話が出てくる。昔読んだマラドーナの自伝も終始一貫強烈な自己主張が続き、最後はペレからジダンまで古今東西の名選手100人をぶった切って締めるという代物だった(笑)

 前置きが長くなったが、この本もそういう類のもの。いきなりバルセロナ時代のグァルディオラとの確執をロッカールームや練習場での生々しいやり取りを暴露しつつ明らかにし、バルセロナのスタイル(本人曰く「学校の様な」)に合わない自身の性格を強調した後で、ルーツから順を追って語りだすという、なかなか上手い構成。まぁこの人の人間性というのは別にこの本を読まずとも、プレースタイルやこれまでの遍歴を眺めればよく分かるので、そこに新しい発見なり驚きは無かった。むしろ新鮮だったのはプロ選手として階段を駆け上がってからではなく、そこに至る、生まれてから本格的にサッカーを始めるまでの期間。
 そこでイブラはただ自身の幼少期を率直に語っているだけなのだが、それが実はスウェーデンに移民した旧ユーゴ人(とその家族)の1つの事例となっている。本人曰く、両親は幼少期に離婚したものの複雑な事情で両親の家を行き来する毎日で、父は70年代に移民したものの、祖国での紛争のトラウマからか人間不信となって酒に溺れ、3人の姉の内上2人は今でも疎遠で、1人は薬で捕まった事すらあるという。本人もマルメ近郊に生まれながら市街地に出かけたのは17歳になってからで、それまでずっと移民達が暮らすコミュニティ内でサッカーや万引きに明け暮れ、サッカーで対戦する所謂従来のスウェーデン住民達を別世界の人々と思っていた。最近は欧州で移民がルーツの代表選手が増えているが(特に旧ユーゴの選手。ボスニア紛争から20年が経って当時生まれた子が成人した側面が大きいのだろうな。)、程度の差こそあれ、皆似たような境遇だったのだろう。

 この本は1人のサッカー選手の自伝であって、移民問題を語る本では無いが、得てして主題、主目的では無いが故に、特に注意を払われずに余計な意図、誇張、虚飾が取り払われた姿、あるいはそれに近い姿が描写される事がある。この場合、特に移民が受ける差別にフォーカスされてもおらず、一方で移民の増大に不安を覚える従来の住民の視点も無い。ただ移民の子弟として生まれた少年から世界はどう見えていたかありのままに描写しているだけなのだが、逆にそれがかえって現実感を増す結果となっているのは皮肉と言うべきか。

 最初から最後まで何の遠慮も無く語っているのだが、一番ゾッとしたというか、この人の人間性を現した個所があった。それはアヤックス時代に経済的にも豊かになり、家族・友人らとIKEA(この点がスウェーデンらしい)に買物行った時の事、友人のカートがたまたまレジを通り過ぎてしまい、この人はアイコンタクトの後、その友人の背中を押してそのまま通り抜けたという。曰く

金の問題じゃ無かった。身震いするんだよ。アドレナリンが吹き出してくるんだ

この人にサッカーがあって社会はどれ程救われただろうか。ここまで負の側面を見て来たが、一方で勝利への執念など、生まれながらのリーダーとしての資質も感じられる。まぁそれが暗黒面に堕ちたらそこらのチンピラレベルではなくとんでもない大悪党になりそうなのだが。

 不思議なのは今でもスウェーデン代表として、しかも主将としてプレーしている事。スウェーデン代表というのは実力的にはクラブに例えればヨーロッパリーグを狙えるかどうかの中堅レベルで本人の野心を満たすものではなく、年齢的にも30を越えてあっさり代表引退してもおかしく無いのに。本人が語る所では現監督が一般的なスウェーデン人監督らしくなく、故にフィーリングが合うのかもしれないが。