日本サッカー界の生き字引

90歳の昔話ではない。 古今東西サッカークロニクル/賀川浩

 著者は90歳を越えた今も現役で活動するサッカージャーナリストでW杯取材歴も10度を数え、昨年にはその功績によりFIFA会長賞を受賞したほどの人。以前からその名は知ってはいたもののFIFA会長賞を受賞するまでは失礼ながら「サッカーマガジンに連載を持っていたベテランサッカー記者の人」以上の認識は無かった。改めて経歴を見るに、選手として記者として、またはユース代表選考委員という協会の担当者として日本サッカーに様々な形で関わり、まさしく生き字引きと呼べる存在である事を実感。
 「(三浦カズは)釜本以来最も美しいキックフォームを持つアタッカー」という表現、あるいは南アW杯の本田とメキシコ五輪での釜本を比較して論じられる(2人とも海外で技術を磨き、当たり負けしない身体の強さを手に入れた、という観点)のは数多いるサッカージャーナリストでもこの人ぐらいだろう。全編を通じて(日本)サッカーへの愛に溢れているのだが、同時に既に鬼籍に入った仲間達の歩みを後世に残さんとする思いも伝わってきた。

 という様な本なのだが、いつもの癖でメインテーマ以外の面にも目が行ってしまう。著者はスポーツ紙記者として活動する傍ら前述の協会での仕事もこなしていたのだが、その記載を読んでふとあのナベ●ネも一般紙の政治記者でありながら番記者を務めた自民党大物代議士のゴーストライターを務めるなど政界に深く関わっていた話を思い出した。2人はほぼ同世代なのだが(賀川氏:1924年生まれ、■ベツネ:1926年生まれ)、両名とも担当業界に取材者という立場以上に深く入り込み、それはこの時代(1950〜60年代)ならではで今では考えられないが、戦争で多くの若い人材が失われた一方で生き残った有能な人々は希少故にとにかく徹底的に活用された、という側面もあるのかな、と。そんな当時の時代背景にも想像が飛んでしまった。
 時代背景と言えば、本作からは著者が過ごした戦前の(まだ戦争が激化する前の)神戸の雰囲気も垣間見えて興味深い。著者の回顧の中で時折、サッカー以外の当時の文化、風俗が伺える箇所が出てくるのだが、神戸の旧制中学で仲間達とまだマイナーだったサッカーにのびのびと取り組んでいた事実と併せて鑑みても、著者は阪神間モダニズムと言われる当時の関西の洗練された文化を享受した一人だったのだろう。余談だが動画で著者のインタビューを視た時に、その関西弁(神戸弁というのだろうか。)がとても上品で聞き入ってしまったのだが、こうした点からもこの人の歩んできた背景というものが垣間見えるように思う。更に言えば、そうした文化に触れながら同時に戦争も経験するという(特攻隊員として朝鮮半島に配属され、そこで終戦を迎えた。)あまりに落差の大きい体験を経たが故にサッカー記者として稀有な人物が形成されたのかもしれない。ある意味でこれはナ◎ツネも同じだな。(この人物も東京の旧制高校で学び、学徒動員で戦争を経験、その後共産党入党を経て保守転向というかなり振り幅の広い経験をしている。)

 という感じで昨今の見出しでアクセスを稼ぐネットメディアや逆張りで興味を引かせるライターに辟易していた中でサッカーメディアの王道を見た思いがして、読後は非常に清々しかった。是非ロシアW杯も現地で取材出来る事を願って止まない。