ドイツ代表について徒然(前)

 いつもと違う11月開幕、日本はシーズン直後、欧州はシーズン中ということもあってまだ実感が湧かないが、今週末からW杯が始まる。今回はドイツ、スペインと過去最高に難易度の高いGLとなり、ドイツはサッカーを見始めた当初から好きだったのもあってついに来たかという感じなのだが、この機会に自分の目を通したその当時からのドイツ代表について書いてみたい。現在まで書くととてもW杯までに終わらないので、現在のドイツの原型が作られた2006年ドイツW杯まで何回かに分けて。

  • きっかけ

 サッカーそのものはトヨタカップを日曜の昼に父親と見た記憶は薄らあるし(91年レッドスターvsコロコロ)、W杯という大会が存在するのも認識していたが、ドイツ、というか海外サッカーに興味を抱くきっかけは92~93年頃。きっかけはサッカー誌やTVの試合では無く、偶々家に置いてあったサッカーとは無関係の雑誌だった。名前は覚えてないが父親の仕事の関係で航空会社の機内誌だったかもしれない。世界各地の風景など写真も多かったので眺めていたら「世界のベストイレブンを選ぶ」みたいなタイトルの記事に出くわした。記憶してる限りではそのベストイレブン

※?マークは記憶曖昧
GK:シュマイケルデンマーク
DF:マルディーニ(イタリア)、バレージ(イタリア)、コーラー(ドイツ)、ジョルジーニョ?(ブラジル)
MF:レドンド(アルゼンチン)、へスラー(ドイツ)、フリット(オランダ)
FW:バティストゥータ(アルゼンチン)、ファン・バステン(オランダ)、R・バッジョ?(イタリア)

 この中で、誌面を飾る選手の試合写真の中でもadidasのドイツユニが子供心に響き、特にスウェーデンで開催されたEURO92の後だったので、夏の北欧特有の夕景に照らされた姿が強く印象付けられて、気になるチームになっていった。まぁ丁度当時の世界王者だったのも大きかったと思うが。
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 この時期は日本もオフトの下でアジアカップ優勝、アメリカW杯予選を勝ち進んだ時期でJ開幕と相まり、こうしてサッカーにハマっていった。だから自分の中では今でも国内/海外の区別は無く、どちらが上とかの概念は無いのだが、日本とドイツが対戦すれば当然日本を応援というスタンス。

 こうしてドイツを追うようになったのだが、雑誌やTVで色々情報が入るようになると、ドイツは主力が高齢化しているのを知った。マテウスブッフバルト、ブレーメ、フェラーといった90年大会の優勝に貢献した33~34歳の選手が残り(今は30代後半でも代表で活躍する選手は多いが、当時は30歳を過ぎたらかなりのベテランという感覚)、特にフェラーは一度代表引退していたにもかかわらず大会直前で復帰。それにより高齢化が更に印象付けられた。また個人的にもこの大会のユニはその前に比べてデザイン的に響かず、イマイチな印象だった。
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 大会が始まると、ドイツは順当に勝ち進むものの(TV放映の関係で現地の昼に開催された影響もあって)アメリカの猛暑に苦しめられ、GL韓国戦は3-0にしてから後半足が止まって1点差まで追い上げられ、決勝トーナメント1回戦のベルギー戦ではブッフバルトがエリア内で相手を後ろから思い切りタックルして倒しながらノーホイッスルという「幸運」にも助けられ3-2勝利とあまり良い内容では無かった。またその間エッフェンベルクが観客に中指を立てて代表追放される事件もあった。
 それでも準々決勝のブルガリア戦は勝つだろうと思っていたが、ストイチコフのFKとレチコフのヘッドでまさかの逆転負け。思えばこれで世界王者という肩書きが外れた以上に、最後は何だかんだ勝つというドイツのイメージが崩れ始めたように思う。

  • EURO96(優勝)

 アメリカW杯以降は(今に比べれば限られているが)サッカー誌、TV等でインプットも増えていったが、ドイツに関してはずっと「若手探し」が個人的な関心事だった。当時イタリアにはデル・ピエロ、スペインにもラウールという次代のスターが台頭していた中でドイツはW杯後に何人かのベテランが代表引退したにもかかわらず、相変わらずクリスマス、メラー、へスラーなど中堅、ベテラン中心。一応ショルが次代を担う若手とされていたが、当時既に24~5歳。他国なら既に主力でもおかしくない年齢だった。他に当時10代だったドルトムントのリッケンもいたが代表には呼ばれず。
 この90年代半ばのドイツは若手、特に創造性のある選手が皆無で、速い、強い、高いといった身体的特徴を前面に出したタイプばかり。最近、ドイツの新聞のアーカイブページで(翻訳機能を使って)当時の記事を読んだりしているのだが、その頃から代表監督に世代交代を訴え、また若手が育たない原因として幼い頃からボールスキルよりフィジカルを重視している点が指摘されていた(ハンブルクの新聞だったので当時HSVに所属していたブルガリア代表レチコフの「自分は子供の頃練習ではずっとボールを蹴っていたがドイツはそうではない」というコメントを引用しながら)。
 そんな中でもEURO96は優勝してしまうのだが、これはリベロのザマーとクリンスマンキャプテンシーに負うところが大きい。リベロのレギュラーかつ主将のマテウスが94年末にアキレス腱断裂の重傷を負い、代わりに起用されたザマーが穴を埋める以上の活躍を見せたので、マテウスは怪我が回復しても代表復帰を見送られたのだが、ベテラン重視の当時の代表監督フォクツにしては珍しい判断だった。
 このリベロというシステムが当時のドイツの象徴であり限界でもあったかなと。ザマーは最終ラインを統率するだけでなく、特に攻撃の起点となり、また相手ゴール前まで上がってゴールにも絡む活躍でその年のバロンドールまで獲ったのだが、今の日本で言えば遠藤航と田中碧、鎌田大地を合わせた様な超人的な選手は歴史上何人もおらず、偶々旧東独が生んだ最高の才能がいた幸運。またこの大会のドイツは負傷者が続出し、決勝は出場停止も2人いてGKにフィールドプレーヤー用のユニを用意し、UEFAから特別に1名の追加招集選手を認められるほどだったのだが、ここで度々怪我に泣かされたザマーは無事だったのも幸いした。
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 この大会ではショル、ツィーゲバッベルという20代半ばの選手も優勝に貢献し、ようやく世代交代が始まった印象もあった。

  • フランスW杯(準々決勝敗退)

 という中でのフランス大会だが、この途中でザマーは負傷で長期離脱し、W杯後にそのまま引退してしまう。後任のリベロはスイーパータイプのヘルマーではハマらず、ザマーと同じく元MFで32歳のベテラン、トーンを復帰させて予選はどうにか帳尻を合わせたが、最終的に本大会では37歳のマテウスを復帰させた。
 これに象徴されるように、この期間のドイツは若手、中堅が伸び悩み、ベテランばかりが目立つ形で世代交代はむしろ後退した。その数年前から期待されていたリッケンは予選終盤でやっと初招集(本大会は落選)、その他ブンデスで活躍していた若手MFのハマンとイェレミースも予選後にようやく初キャップという有様。思うに当時のドイツは監督のフォクツを始め80年代以前の常識から抜け出せていなかったように思う。「若手はブンデスから自然と育ってくるもので、数試合、数ヶ月ではなく数年活躍して初めて代表に呼び、呼んでも最初はベンチに置いて馴染ませた後にやっと試合で起用」という流れ。これは外国人枠が3人の時代ならまだしも、ボスマン判決EU内国籍の選手が大量流入してドイツ人の出場機会が減った時代には合わないものだった。また上記のように、当時のドイツは育成からフィジカル重視で技術のある選手が育っておらず、余計にその傾向に拍車を掛けた。
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 こうしてフランス大会はスタメンの平均年齢が30歳を越える超高齢メンバーとなった。サッカーも2年前のEUROの頃は中央からの崩しだったりまだ色々パターンがあったが、この大会はサイドからのクロスとセットプレーばかりでかなりワンパターンだったな。GLのユーゴスラビア戦では0-2から追い付き、決勝トーナメント1回戦メキシコ戦では先制された後アーリークロスからの2点で逆転勝ちしたが、準決勝、決勝ならともかく、この段階からギリギリの試合を強いられている辺り視ていて不安を覚えた記憶がある。そして準々決勝のクロアチア戦は例によって堅い展開だったが、DFベアンスがスーケルを倒して一発レッド。そこから3点取られて0-3の完敗に終わり、これまで数的不利でもリードされても粘るのがドイツという神話も崩れ、明らかに衰退期にあるのが印象付けられた。
 ただ当時の自分はこれでようやくベテランが去って世代交代が始まるという期待もあった。まだインターネットが普及し始めたばかりで情報は相変わらず雑誌メインだったが、どんな新しい選手が入るのだろうと。また余談ながらこの大会のユニのデザイン↑は好きで、後に初めて自分の金で買ったレプリカユニはこれ。

フランスW杯ドイツ代表ユニ(ホーム)

 こんな感じで11/23ドイツ戦までには書き終えたい(笑)