ドイツ代表について徒然(後)

 さてこのシリーズも最終回ということで、無事ドイツ戦までに終えることが出来る笑。今回はEURO2004とドイツW杯について

 日韓W杯では望外の準優勝、またクローゼ、メッツェルダーなど次代を担う若いタレントも台頭し、フェラーも引き続き指揮を執ることになってドイツは順風満帆、と思いきやそうでは無かった。
 EURO予選では最終的に8戦5勝3分で1位突破こそ果たしたものの、スコットランド(監督はあのフォクツ)、アイスランドリトアニアフェロー諸島という組分けでは当然の結果で、むしろホームでリトアニアに引分け、フェロー諸島にも2-1で辛勝という苦戦ぶりが目立った。新たなエースとなったはずのクローゼはW杯の反動かあまり点が取れず、代わりに90年代に期待されながら伸び悩んでいたボビッチが30歳を過ぎてから代表復帰して貴重なゴールを連発し予選突破に導いた。
 またこの時期は強豪相手になかなか勝てない時期でもあった。親善試合でオランダ、スペイン、イタリアと対戦して3戦全敗。思えば日韓W杯でも勝ったのはサウジアラビアカメルーンパラグアイアメリカ、韓国で、アイルランドには引分けでブラジルには敗戦。強豪相手の勝利は2000年10月のイングランド戦(W杯予選、旧ウェンブリーのラストマッチでもあった)まで遡らねばならなかった。
 一方で若いタレントは継続的に起用され、90年代を払拭する新しいチームになった。前編でテクニックのある若手が不足していたと書いたが、丁度ダイスラー(1980年生まれ)の世代以降は徐々にパワーだけでなく一定の技術を備える選手が現れるようになり、クラニー(82年)、フライアー(79年)、ラーム(83年)といった選手が代表デビュー。そして本大会直前にはシュヴァインシュタイガー(84年)、ポドルスキ(85年)という20歳そこそこのタレントが代表に加わり、ベテラン中心のオッサン集団というイメージは完全に変わった。
 かくして世代交代に成功し、本大会はベスト8は堅く、ベスト4は行けるかなと思っていたのだが・・・。
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 初戦のオランダ戦を1-1で凌いだのでこれは行けるかなと思ったのだが、次のラトビア戦はまさかの0-0、そして最後のチェコ戦に敗れ敗退が決まった。まぁチェコネドベド、コラー、ツェフ、バロシュといったタレントが年齢的にもピークの状態にあり最終的にベスト4入りする強敵ではあったが、それでもGL敗退するとは思わなかった。
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 この大会の敗因としてよく言われるのが守備面。CBを組んだノボトニー、ベアンスのベテランコンビはスピードに欠けるため、4バックのDFラインではリスクが大きいというもの。この頃になると完全にリベロシステムとは決別して後ろは4人になっていたのだが、選手達は3バックのマンツーマン守備で育っていたのでまだ適応し切れていなかったんだろうな。

  • ドイツW杯(3位)

 EUROの敗退でフェラーは辞任し、再び監督探しが始まったのだが、後任はクリンスマンに決まった。そして例によって戦術面を補佐するアシスタントにはシュトゥットガルトオーストリア、トルコで実績を積んだレーヴが就任。
 今振り返ってもこの2004~06年の2年間が今のドイツを形作ったと言っても過言では無い。クリンスマンは現役時代から他のドイツ人選手とは少し違って引退後はアメリカに住んでドイツサッカー界とは距離を置くなど、良く言えば国際的視野を備えた、言い換えれば主流派に属さない変わり者という印象があった。日本に例えるなら中田英寿本田圭佑が代表監督になるのに近いイメージ。常識に捕われないチームマネジメントは、例えばフィットネスの専任コーチを他国から招聘、GKはカーンとレーマンのローテーション制にして最終的な正GKを決定、など多岐に渡る。サッカーそのものもレーヴの指導の下、4バックのラインディフェンスとテンポの良いボール回しを徹底して仕込み、それに適応すると判断すれば年齢、実績にかかわらず代表に呼んだ。それで抜擢されたのがCBメルテザッカー(招集当時20歳)やSBヤンセン(同20歳)など。こういった改革は当然反発も生み、GKローテーション制、つまりカーンを絶対的正GKの座から外すことに抗議してGKコーチのマイヤー(74年W杯優勝メンバーでバイエルンのコーチも兼任していた)が辞任したりもしたが(後任は同じく元代表GKのケプケ)、予選の無い開催国の特権をフル活用して試合をこなしていった。
 この時期で思い出深いのは2004年末に来日し横浜で日本と対戦した試合。
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 12月という時期故に日本は中田、中村、小野ら海外組をあまり呼べず、0-3で敗戦。この試合は観に行ったのだが写真が残っていないという・・。まぁ横浜国際の1階ゴール裏中央の最上段という位置だったので非常に見づらかったのは記憶にあるのだが(しかも1階スタンド上段は映像装置が見れない代わりにTVモニターが配備されているのだが、このゴール裏中央だけはそれが無く、一々腰をかがめて反対側の映像装置を確認しないといけなかった)。上の画像で思い出したが、アウェイユニを↑の様な赤(情熱の赤という位置付けらしい)にしたのも改革の一環だった。

 その後2005年のコンフェデ等で経験を積んでついに本大会を迎える訳だが、開幕戦のコスタリカ戦は衝撃的だった。友人宅に集まって視ていたのだが、この試合で見せたテンポの良いパス回しと前に突き進む積極性は、それまでのドイツサッカーのイメージを完全に覆すものだった。この試合に4-2で勝った後は次戦ポーランド戦を終了間際のゴールで制するなど完全に勢いに乗り、アルゼンチンとの準々決勝もPK戦を制してついにベスト4へ。
 だがそこに立ちはだかったのがイタリアで、ブッフォンカンナバーロを中心とした守備を崩せず、延長後半も終わりに近付いた時にグロッソの巻くようなミドルが決まってついに失点、そして終了間際にカウンターからデル・ピエロに止めを刺された。若さと勢いで突き進むドイツを老練なイタリアが上手くいなした、そんな試合だった。それでも最後の3決はポルトガルに3-1で快勝して3位。
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 この大会はそれまでの闘争心、フィジカル、不屈といったドイツサッカーのイメージを完全に変えた大会で、それが今に至る。今回はあまり触れなかったが、EURO2000の惨敗後、当時の代表アシスタントコーチであるスキッベを中心に育成システムの改革も行われ、その成果はドイツW杯の後から本格的に現れる。4年後の南ア大会ではこのシステムで育てられたノイアーミュラーエジル、クロースといった若い選手達が躍動。
 そうした成果を受け継いだのはドイツ大会後に辞任したクリンスマンの後を受けてコーチから昇格したレーヴで、この時アシスタントに指名されたのが現代表監督のフリックなのだった。レーヴはどちらかというと戦術指導者で手段が目的になりやすい傾向(例えばボール回しのスピードを突き詰めればどんな試合にも勝てるという思考)にあったが、それを上手く実際の試合に落とし込んでセットプレーのデザインなどを担当していたのだがフリック。このコンビによって2014年にはついにW杯優勝も果たしたが、大会後にフリックが辞任するとそのバランスが崩れて徐々に勝てなくなっていく。EURO2020でベスト16に終わりレーヴが辞任すると、その後任に就いたのは、代表を去った後バイエルンでCL優勝という実績を積んだフリックだった。なので今のドイツは去年のEUROの様なボール支配する割に割に点が取れず、その間にカウンターで失点するようなチームではなく、より実際的なアプローチのチーム。お互いどんなメンバー、布陣で11/23の試合を迎えるのか楽しみでならない。勿論日本の勝利を願っているけど。