珍しく政治の話

 退陣を仄めかして不信任の勢いを削ぎ、否決されたら無かった事に―――あまりに手口が小者過ぎて言葉も無い。いや第三者的に嘆くより、この程度の男が宰相の座にある事を恥だと思わないといけない。選んでしまったのは突き詰めれば有権者なのだから。
 大体「居座る」、「居座らない」という表現が当人達から出てくる事自体、今首相の座にある事に(少なくとも幾分かの)後ろめたさがある証左なんじゃないのかね。震災復興に責任を持って対応する意欲があるのならば、別に期限を意識せず、政策を実行すれば良いし、過程はどうであれ、不信任案は否決されたのだから、公式に「信任」されたと捉える事も出来る。日本の首相に任期は無いのだし。
 にも関わらず毎日のように発言がブレるのは、つまりは世論の顔色を伺っているからで、「何をするかはともかく政権は担当し続けたい。けど世論(の冷たい視線)には対応しないといけない。」とばかりにその場その場の対応に終始するから、こういう結果になる。
 この状況の先には何があるのだろうか。あくまで最悪のシナリオだが、丁度両大戦間のドイツに似てきているのが気になる。ワイマール体制下ではリベラル系政党が政権担当能力の無さを露呈し、小党に分裂、そしてその間隙を縫うように無名の極右政党が国民の人気を得て躍進、そしてその政党は民主主義の手続きを踏んで政権の座に就いた瞬間にその民主主義を抹殺する動きを見せる―――後は歴史が示す通り。
 では何をすべきなのか?別に何か凄い政策を期待する訳では無く、最初に書いたが行政、立法府の中に居る人がこの状況を恥と思える感覚を持つ事、ここから始まるのかなと。恥を恥とも思わなくなったら人間おしまいなんで、そういう人物が議員バッジを付ける資格は無い。と書いてて真っ先に前首相が思い浮かんでまた溜息が出るのだが・・・。