J1第14節 鹿島×横浜M(カシマ)


■鹿嶋行
 3年半振りの鹿嶋行、マリノス戦なら5年半振り。今日5/15は1993年にJリーグが開幕した日ということで、この記念日にオリ10&降格を経験していない2チームが対戦するのも何かの縁か、と思ったが、今節の他のカードを見ると横浜FC×湘南(神奈川県)、清水×名古屋(東海)、神戸×セレッソ(関西)の様な同県、同地域でのダービーだったり(それで気付いたが柏×FC東京も“金町ダービー”か)、ガンバ×浦和のようなタイトルを争う一時代を築いた因縁の対戦が多いので日程君が敢えて設定したんだろうな(笑)
 鹿嶋へはこれまで過去4回行ってるがいずれも友人車に同乗しての移動で、今回は初めて高速バスを利用することにした。試合日はスタジアム直行便(完全予約制で2500円)もあるが、スタジアムを始め市内各所に停車する便(こちらは自由席。交通系ICカードなら通常2000円のところ1850円)も1時間3本となかなか多い。まぁ新幹線や特急が直通するエリアではなく東関道という高速が通っている以上、メインは高速バスになるか。観戦前に鹿島神宮に行きたかったので定期便にしたのだが、10:15頃に東京駅八重洲口のバス乗り場に着くと、10:20発の定期便が満席かつ更に20名以上並んでおり、あと10分遅かったら次の10:40発も危うかった。今の状況でこれなら普段はもっと並ぶんだろうな。
 乗車から2時間ほどで鹿島神宮着。思えば前回参拝時はまだ御朱印を意識していなかったので、今回改めて拝領。

 こんなグッズもあった。目の付け所が渋い。

アントラーズ御朱印

 ここからスタジアムへは神宮から徒歩10分弱の鹿島神宮駅前から出ているバスがあり(試合日のみ?運行で1時間2本程)、試合開始の1時間程前に到着。

■試合
 ここに来たからには季節に関係無くやはり、ということで試合前にモツ煮込みとリブロース牛串を堪能し試合開始。中5日のマリノスに対し鹿島は水曜にアウェイ名古屋戦を戦ったばかりでスタメンを6人入れ替えた中での試合だったが、開始から押し気味なのは鹿島でマリノスはカウンターでチャンスを作るという展開だった。ただ最近のマリノスはバランスが取れているというか、無理にボールを支配してカウンターを浴びるというよりは堅い守備をベースにショートカウンターで先制して主導権を握り、その後はボールを支配して有利に進めるというような戦い方も出来ており、実際前半半ばに先制。今にして思えば前半終わり頃までは最近の戦い振り同様の盤石さだった。その中で1対1において鹿島の選手の脚が伸びてノーファールで止められていたのは気になったが。
 そんな展開ではあったが、前半40分頃の鹿島のCKで高丘がキックをキャッチしきれず後ろに逸らし、そこから土居に同点弾を浴びて流れが変わった。直後にレオシルバにバーをかすめるシュートを浴びて前半が終わり、後半は開始早々に再び土居に決められて逆転され、その数分後にPKを与え土居にハットトリックを許し、更にその数分後に荒木にも決められて1-4。この前後半挟んで15分程の間は他にもサイドを攻略されて何度もシュートに持ち込まれており、4失点目直後の一挙4枚替えもそれを断ち切る狙いがあったとは思うが、ここ最近連勝&ほぼ想定通りの戦い振りだった中で予期せぬ事態に出くわした戸惑いは明らかだった。
 今日の鹿島はサイドからのクロスにおいてマークが曖昧でマリノスの選手がフリーになることが多かったのだが、そこを突いてCKから1点返して2-4。もう1点返せればもしかしたらとは思ったが、その数分後に鹿島のロングパスに対して高丘がエリア外で処理をミスして上田に拾われ、そのまま流し込まれて2-5と追撃の機運を萎ませる形に(チアゴがゴールをカバーしていた中で上手くカーブをかけてゴールに入れた上田のキックは素晴らしかった)。その後は後半45分頃に再びCKから最後は天野が押し込んだがそのまま試合終了。
 これまでの観戦歴でマリノスの5失点なんて記憶に無いなと思って調べたのだがやはり初めてだった。あの15分間が魔の時間だったということなのかもしれないが、観ていて気になったのは前述した1対1での劣勢。マリノスのサッカーは局面(特に相手陣内深く)で勝ち、かつ組織としても連動することによって試合を支配できるのが強みだと思っているが、今日はその前提(の1つ)である局面での戦いで劣勢だったが故のこの結果だったのかなと。しかも鹿島は中2日で若手中心のターンオーバーだった訳で。点を決めた荒木、PKを得た松村は高卒2年目だが、期待された逸材をしっかり育てるこのクラブの強さも改めて感じたし、Jリーグの記念日という点も併せて鑑みれば、これまでの鹿島戦ーーー負ける時も決して一方的では無いが、弱みを炙り出され、強かさや若手の躍動など相手の総合的な強みを改めて感じさせられる試合が多いーーーを象徴する試合ではあった。(今日の結果でリーグ戦での対戦成績はマリノスの22勝8分33敗)

 帰りは事前に予約していた東京駅直行バスにて。やはり潮来で高速に乗るまで混雑して50分ほど掛かったが、そこからはスムーズに流れて2時間半後に東京駅着。

J3第7節 宮崎×今治(ユニスタ)


■南九州行
 今年初の未踏スタジアム制覇行をば。この状況なので体調管理や行動に気を付けつつまずは鹿児島に飛んだ。2年半前と同様、ここに赴任している友人に、今回は主に薩摩半島を案内して貰った。↓のJR最南端の駅(沖縄にモノレールが出来るまでは日本最南端)や

西大山駅

指宿の砂風呂など。また地元のスーパーにも連れて行って貰ったが、

“技に酔う”

思わず土産に買ってしまった。以前名古屋に行った時、名古屋駅前に吉田麻也が出ている地元証券会社(だったかな?)の大きな広告看板を見たことがあるが、地元での存在感の大きさというのをこういうところで感じたりする。
 
 2日目は宮崎に移動し、レンタカーで日南方面を中心に。
青島神社や鬼の洗濯岩

鵜戸神宮

等々。9年前に行った日向岬もそうだったが、長い海岸線とその先に何も無い広大な太平洋が広がる景観には島が連なる景色とはまた違う迫力がある。

 3日目(今日)は試合までにチキン南蛮は食べておこうと思い宮崎市内で人気店に行こうと思っていたのだが、11:57宮崎発の電車に乗れなければOUTという状況だったので念のため開店20分前の10:40頃に行ってみたらやはり既に行列が出来ていた。ただ約4~5組、10人目くらいだったのですんなり入れて11時前にはオーダー、11:05頃に料理提供という早さ。

味のおぐら本店

 こうして余裕を持って電車に乗り、ユニリーバスタジアム新富へ。

■観戦記
 宮崎駅から20分ほどで日向新富駅に着くと、駅舎で地元のおばちゃん達がお茶と菓子を振る舞っており、有り難く頂いた。スタジアムは駅から徒歩15分弱あるがルートはシンプルで歩道にチームの幟が立てられてもいるので迷うことは無い。
 こうして無事到着して入場口に並んだところで事前に買ったチケを発券してないことに気が付いた。ここ最近QRチケなので紙で発券という行為自体無かったのもあり、てっきりこの試合もQRコードチケと思い込んでしまっていた。さすがに焦ったが現地で当日券を販売していたので助かった。

 メインスタンドのホーム側は埋まっていてアウェイ側の端の方に座り(元々こういうスタジアム目的の試合では比較的空いているメインのアウェイ側に座る事が多い)、ほどなくして試合が始まった。
 思えば宮崎も今治も初めてこの眼で観るチーム。今治は岡田さん絡みのニュース、一方で宮崎は今季J3参戦ながらここまで6戦3勝と健闘しているなという位しか情報が無い中での観戦だったが、開始から宮崎が前から追い込んでボールを奪って今治ゴールに近付くシーンが目立った。丁度メインスタンドから見て左から右に強風が吹いており、風上に立った優位性はあったと思うが、後ろはしっかり繋ぎつつ前に展開して相手ゴールに迫るバランスの良さが印象的だった。宮崎の監督は内藤就行氏ということでどこかで聞いた覚えがあったのだが90年代に鹿島で活躍したあの人と知り、目の前のサッカーに物凄く納得(笑)鹿島系の監督は、ボール保持orカウンターメインみたいな二項対立ではなく、今いるチームが勝つためならボールも繋ぐし、必要とあらば蹴り出すし、と全ては勝利のために何が最適かを考え、細かい点も突き詰めてサッカーを組み立てる印象がある。前半は強風の風上という後押しもあってこれがハマり、1-0で折り返し。

 ハーフタイムにスタジアムを少し見学。スタンドがあるのはメインのみでバクスタは無く、両ゴール裏は芝生席という構成。映像装置は無く、出場選手やスコア、時間も手動の看板というシンプルさだが、これは今後チームの成長に合わせて、ということなのだろう。

スコア/選手紹介ボード

 とは言え放送ブースやベンチなど(目で見える範囲では)必要な設備は整っており、また要所で木材が使用されていてコンクリや鉄筋メインだとどうしても無機質になる中で温もりを与えていた。
 

 後半は逆に風上に立った今治が押し返したのだが、ロングボールの処理でCBとGKの連携ミスから追加点は宮崎に。今治は右SB駒野と中盤の橋本英郎がスタメンで2人とも試合の流れを読んで的確に判断する様は経験を感じさせたが、体力的にはやはり少し厳しかったかな。それでも後半半ばに駒野のクロスから最後はエリア外から橋本が決めたのはさすがだった。
 橋本が今治の司令塔なら宮崎の司令塔は7番の千布で運動量とパスセンスを備えた好選手だった。それこそ鹿島時代の柴崎みたいなタイプ。他にも面白い選手は何人かいて、こうした個々の選手もさることながらお互いチームとしても意図は伝わってきて、これまで観たJ3では一番面白かったし試合のレベルも高かったと思う。最後は今治GKもCKで上がってきたが宮崎が凌いで2-1勝利。

 試合後は宮崎駅まで戻り、少し早めに空港まで行って夕飯や土産購入など時間を潰しつつ帰宅。最近は他にも栃木や女川など5000人規模の専スタが各地で出来つつあるが、これがJ3だけでなく全国の地域リーグ都道府県リーグ(少なくとも1部クラス)のスタンダードになって欲しいなと改めて感じた。


 

J1第11節 横浜M×横浜FC(日産)


 この試合は今季初の年チケ対象試合ということで久々にホームゴール裏2階で。思えばここでいつもの様に友人達と飲みながら試合を見たのは去年2月の開幕戦だったが、僅か1年2ヶ月前の出来事が遠い昔に感じられる。

 リーグ戦のダービーはこれまで通算4戦2勝2敗の五分ではあるものの、マリノスホームでは8-1、4-0と大勝が続いており、今日もその通りの結果に。前半半ばまではチャンスの数はほぼ同じだったが、半ば過ぎのPKが分かれ目だったかな。先制して数分後にCKから追加点を挙げたが、六反が弾いた後誰も寄せて無かった横浜FCの守備を見るに、勝てない中で先制されるダメージは思った以上に大きかったということだろうか。
 後半は序盤こそ途中出場のマギーニョの突破でマリノスゴール前に迫るもクロスに対しては中央のチアゴが締め、決定機も高丘が上手くセーブしてゴールを割らせなかった。高丘は横浜FCユース出身だし、古巣相手に燃える部分もあったんだろうな。このところオビに代わってスタメンが続いているが、キック力を始め身体能力はあれど基本的なキャッチミスなどポカも多いオビより、安定感で明らかに上に思える。
 後半半ば以降は裏に抜け出したオナイウのゴール、クロスに飛び込んだ前田のゴール、そして前田と交代で入っていきなりゴールを決めたレオセアラなど5-0で大勝。
 レオセアラはいきなり結果を出した訳だが、出場した15分ほどのプレーを見ていて、去年のジュニサンみたくボールを集めて守備をこじ開けて点を獲るスタイルになる予感もする。やはり今は仲川の負傷もあってサイドアタッカーに事欠いており(前田も今日点に絡んだのはやはり中央でクロスに飛び込んだシーンで、サイドに居た時はそれほど脅威足り得てなかった)、サイドを深くエグるパターン化された攻撃ではなく、去年の様に水沼辺りが早めにクロスを中央に入れてそこから強引に、て感じになりそうだし、その方がエウベルも活きそう。その場合レオセアラと前田はどう共存させるのかとも思うが、まぁ前半→後半のリレー方式でも十分相手にとっては嫌だろうな。
 横浜FCは↑で書いたように、チームとして自信を失っているのかなと。時間帯によってはピッチを広く使ったいい攻撃を見せていたのだが、そこで点を取れず失点する度に消極的になってしまっていた。そうそう後半途中に渡邉千真が入って伊藤翔との新旧マリノスCF2トップが実現。思えば2人とも久保竜彦の系譜を継ぐ、エリア外から弾丸ミドルを打てる(ほどの身体能力を持つ)CFでロマンを感じたものだった。他にも武田、六反、杉本などマリノス所属歴のある選手も何人か。

 久々にいつもの場所での観戦だったが、また以前の様に観戦出来るのは当分先かな。そんなことを思いつつ帰宅。
 

出場・招集記録から当時を回顧する(アギーレ時代)

 先日のザック時代に続いて今日はアギーレ時代を。僅か半年足らず、10試合だけだったが招集メンバーだけ見ても当時の状況が見て取れる。

・期間:2014年9月~2015年1月
・勝敗:10試合7勝1分2敗(Aマッチ)
・招集:41名

・最初の2試合(ウルグアイベネズエラ)では坂井達弥皆川佑介森岡亮太武藤嘉紀柴崎岳の5人が代表デビュー。坂井と皆川の招集はサプライズだったが、その時限りの招集となったのを見るに、恐らく協会のリストにはなくアギーレ(かそのスタッフ)が視察して独自に選んだんだろうな。まぁCB、CFとしていきなり主力が揃ったウルグアイを相手にするのも荷が重かったとは思うけども。この他試合出場は無かったが林彰洋松原健も招集され、特に先日のモンゴル戦で代表デビューした松原はこのアギーレ時代に2度(15年9月、11月)に招集されていたのだが出場機会は無く、それから5年以上経てのデビュー。

・記録を追っていると先日書いたようにジーコとザックのW杯3戦の流れがほぼ同じように、歴史は繰り返す事例を見かけるのだが、アギーレに関してはファルカンのデジャブかというくらいよく似ている。

・就任から約半年でアジアの大会でベスト8に終わり契約解除
 →ファルカンアジア大会、アギーレはアジアカップ
・上記の坂井、皆川の様にファルカンも独自に選んだと思しき招集メンバーがいて、同じくその時限りの招集となる。
・批判されつつも最終的にはそこそこ良いチームを作るが、最後は惜敗。
 →ファルカンは終了間際のPK失点、アギーレはPK戦敗退

アジアカップは最後PK戦という結果になったがあの試合自体は押し込みつつも決めきれず、PKに「持ち込まれてしまった」試合。サッカーそのものより初戦からメンバーを固定して主力の消耗を招き、最後のUAE戦では交代枠を使い切った後に長友が負傷してほぼピッチにいるだけの状態になるなど、チームマネジメントに課題があった。まぁ本来ならパレスチナ戦は主力を休ませても十分勝てる相手だったが、初戦ということで手堅く行ったのと、2戦2勝で終えてもGL突破を確定できず、3戦目も同じ面子で臨んだということなのだろう。

・このようにアジアカップではメンバーは固定されていたのだが、全4試合でスタメンが全く同じなのにはさすがに驚かされる。

GK川島
DF酒井高徳、吉田、森重、長友
MF遠藤、長谷部、本田、香川、乾
FW岡崎

これに後半途中から武藤(4試合)、清武(3)、豊田柴崎(2)、今野(1)と23名中16名しか起用されず、サブGKの西川東口はともかく昌子源植田直通太田宏介小林悠塩谷司らは出番無く大会が終わってしまった。勝ち進めば出場機会があっただろうが(特に長友が負傷したので太田は次戦スタメンの可能性が高かった)、アギーレにとって信頼に足る選手はそこまで多くなかった、後にW杯メンバーに選ばれる昌子、植田も未だその域には達して無かったということなんだろうな。植田は内田の負傷辞退による追加招集だったので尚更に。


・ザックの項で書いたように、この時期の日本はそれまでの固定化されたメンバー構成の反動で、新戦力、特に若い力が望まれていたと思うが、可能性を感じさせたのは柴崎と武藤ぐらいで、他に強いて言えば酒井高徳、清武、乾といったザック時代からの常連ながらそれまで出番の限られた中堅世代が、戦力になりつつあったという程度。UAE戦でPKを勝ち抜いていればまた違ったかもしれないが、最後にPKを外したのが香川というのはある意味で象徴的だった。リオ五輪世代もロンドン世代に比べると小粒で当時はクラブでレギュラーという選手自体が少なく、アギーレに呼ばれたこの世代は松原と植田の2人だけ、いずれも出場機会無しという辺りに当時の立ち位置が覗える。

・とは言え現有戦力で手堅いチームを作ったのはさすがだなという思いもある。アジアカップでの失点は4試合でUAE戦での1失点のみだったし、大会前に長居でオーストラリアと対戦した時は(数ヶ月後にアジアカップで優勝する)アジアのライバル相手に内容的にも完勝した。しかも岡崎のバックヒールゴールまで飛び出して笑。あのまま監督を続けていたらリオ世代の融合などどうなっていたかな。実はハリルとそう変わりないメンバー構成になっていた気もするが。

・その他西大伍が15年10月の親善試合にザック時代の11年6月以来の代表復帰を果たしているが(出場機会は無し)、この選手はザック、アギーレ、ハリル、森保と4人の代表監督から招集を受けながら、各監督とも招集は一度のみなのはなかなか興味深い(ハリル時代は17年12月のEAFF選手権メンバーに選ばれるも負傷により辞退、森保時代は19年3月の親善試合に呼ばれている)。SBながら攻撃の起点にもなれる技術の高さや視野の広さは代表監督達の目を引くものがあったんだろうけど、同時代に内田篤人酒井宏樹、また右SBもこなす酒井高徳がいた故になかなか代表のチャンスは巡ってこなかった、といったところだろうか。同じ様な立場の選手として他に水本裕貴がいる。オシム時代に代表デビューし、その後岡田、ザッケローニ、アギーレ、ハリルにも呼ばれているのだが、W杯、アジアカップエントリー経験は無し。国内屈指のCBではあるけれど、守備力、高さ、フィードなど総合的に見て中澤、闘莉王、吉田、今野、森重といった選手達が一歩上という判断だっただろうか。

 最後はスポーツ面でもそれ以外でも残念な終わり方になってしまったが、ファルカン同様に前任者の後を引く敗戦(敗退)の余波を食らってしまったのと、世代交代したくても選手がいない難しさもあってその尻ぬぐいをさせられたという意味で同情すべき点もある監督だった。

J1第10節 札幌×横浜M(札幌ドーム)


■北海道行
 この試合は日程が出た時から狙っていて早割で飛行機と宿を押さえていた。札幌ドームは13年振り、札幌に行くのも6年振りか。朝6時半の便(4時起き)で札幌に飛び、まずは小樽へ。ちなみに飛行機で自分の前3列は全員マリサポだった(ユニやグッズから判別)。こういう状況でもあるし一般的な観光ルートではなく出来るだけ行ったことの無い場所を中心に巡ることにした。
 とは言え小樽に来たからには運河は見ておくべきだろうということで寄ったが、ご覧の通り人影はまばら。

小樽運河

 その後は天狗山という小樽市街や石狩湾を見下ろせる展望台のある山に行ったのだが、バスで向かうと麓から山頂までを結ぶロープウェイが点検で運休という。タクシーを呼んで山道を登ることも出来たが、バス乗り場からもそこそこな眺めでもあったので、雪の残る山を下から見上げるに止めた。

天狗山

 駅に戻って三角市場で海鮮丼を食った後は札幌に戻り、北海道神宮に参拝、その後は比較的近隣にある大倉山ジャンプ台で札幌市街を展望しようかなと思っていたら、強風の為、頂上まで上るリフトが運休という始末。

大倉山ジャンプ台

 ただ隣接する札幌オリンピックミュージアムでは冬季スポーツ、五輪を中心にした展示でなかなか楽しめた。その後は札幌駅に戻ってJRタワーの展望台へ。ここは13年前に行った時は悪天候で殆ど何も見えなかったので今日こそはと(苦笑)

JRタワーよりすすきの方面を望む

 駅近くのホテルでチェックインして少し休憩し、札幌ドームへ。

■試合
 前回行った時はアウェイゾーンだったが正直スタンド以外のスタジアムの記憶が殆ど無く、今日は別にグッズも身に付けないのでメインスタンドに席を取ってコンコースなどを見学。日産同様に柱にディスプレイが設置されてタイムスケジュール等が投影されていたり、この試合が札幌の25周年記念試合ということもあって歴代ユニの展示コーナーもあった。自分の席に着いた後、場内を眺めながら思ったが、ここはサッカー、野球両方で使用するためにピッチやスタンドを移動、と言えば簡単に聞こえるが、20年以上前によくこんな発想や設計をしたものだなと。日ハムは今建設中の新スタジアムに移るから今後はサッカーモードでの使用がメインになるのかな。

 試合について。アウェイのコンサドーレ戦は近年あまり良い印象が無いなと思って調べたらリーグ戦では18年から3連敗中。今日もマリノスにチャンスは有ったもののGK菅野の好セーブでゴールに繋がらず、逆に札幌に良い形で攻撃されるシーンが目立った。今日は仲川の負傷によりオナイウが中央、前田がサイドに入ったが、セレッソ戦の観戦記でも書いたように、この選手はボールに触れないほど良さが出る(技術的な粗が出ない)選手であり、サイドでボールを受けてドリブルしても去年のエリキや一昨年の仲川の様に違いを作れる訳では無い。札幌が絶好機を逃したのもあって前半は0-0だったが、最近のゴールの少なさを考えて今日は勝点1で上出来と呼べる内容だった。
 後半開始早々にCKから札幌が先制し、以降前半と同じ流れが続いたのだが、後半30分過ぎに途中出場の天野が右サイドで上手いボールの受け方とターンでフリーになってクロス、これをオナイウが合わせて同点、そしてその数分後にまた右サイドのクロスを前田が頭で合わせて逆転と。その後札幌は福森の左足、特にCKからチャンスを作るが決めきれず、逆にマリノスはATにゴールがVARで取り消されるも、直後にエウベルが個人技で持ち込んで3点目を決め、そのまま試合は終わった。
 先制されながら数分で一気に逆転、というのは何か既視感があるなと思って13年前の試合を調べたら、前回札幌ドームに行った試合もそうだった。後半30分過ぎに大島秀夫の連続ゴールで2-1。ついでに当時の観戦記も。歴史は繰り返すというが、こういうデジャブも観戦していると出くわすものだな。
barcaw.hatenablog.com
 そんなことを調べつつの帰り道だったが、駅でエスカレーターに乗っていると前にいるグループから“大島”という単語が聞こえてきて「ん?」と思ったら同じように08年の試合を振り返っていてちょっと驚いた。

 そんなことも有りつつ、試合後は友人に教えてもらったすすきのの味噌ラーメン屋で暖まった後、ホテルに戻った。翌日は天気も良くなかったので札幌駅~大通辺りを散策するだけで、二条市場で海鮮物を買い、昼はジンギスカンを食して空港に向かい、帰宅。こうして札幌の街を散策するのは初めてだったが(今迄は各スポットを点でしか把握してなかった)、街の規模感や地下街の充実ぶり、地下鉄の駅間距離の短さなどは福岡に通ずるものがあって、良い街だなと。
 羽田に戻るとリムジンバス乗り場の先にFC東京と柏のチームバスが停まっていた(今節はどちらも九州アウェイ)。

FC東京&柏チームバス

出場・招集記録から当時を回顧する(ザッケローニ時代)後編

昨日に続き今日はザック時代の後半(2013~14年)を。
・13年も招集メンバーは前年から変わらずという状況だったが、2月のラトビア戦ではロンドン五輪で活躍した大津が代表デビュー。当時の記憶としてこの選手は女子人気が凄く、ボールに触れる度にスタンドから黄色い声が飛んでたのがTVからも聞こえてきた(笑)ただプレースタイルとしてあまり周囲と連携というより単騎で戦うタイプだけに代表では機能せず、翌月(親善試合カナダ戦、W杯予選ヨルダン戦)を最後に招集されなくなった。

・前年からその予兆を感じさせたピークアウトがより顕著になったのはこの年。上記のヨルダン戦では最終予選初黒星で、次のホーム豪州戦も結果的にW杯出場を決めはしたものの、終盤に本田のPKでどうにか追い付いての引分け。この頃からボールを保持する割に点が取れない、取れないうちに失点してそれをなかなか取り返せない状況に陥ることが増えていった。

日本vs豪州(2013.6.4)

直後のコンフェデもイタリアに点の取り合いで善戦(●3-4)したりもしたが結果は3戦全敗で、チームとしてのピークを過ぎているのは明らかだった。

・この頃のサッカーを振り返ると、香川、清武、乾らテクニカルな選手が狭いスペースをパスで崩そうとしてボールを相手に渡してカウンターを浴びるシーンが思い出される。もちろんパスが通れば美しいのだが、相手も警戒してスペースを埋めている中でそう簡単にはいかず、にもかかわらず同じ形に拘り続ける姿に限界を感じた。攻める割に点が取れない一因にもなっていたと思う。それだけではないが、やはりどんな良いチームも賞味期限は1年~1年半なんだろうなと痛感した時期だった。

・コンフェデの直後に国内組で臨んだ東アジアカップが開催されたが、そこで大量13名が代表デビュー。森重真人青山敏弘山口螢高萩洋次郎工藤壮人柿谷曜一朗齋藤学大迫勇也千葉和彦鈴木大輔扇原貴弘山田大記豊田陽平とロンドン世代から中堅世代まで幅広く、ここで2勝1分で優勝(しかもアウェイで韓国にも勝利)という結果も出したことにより、森重、青山、工藤、大迫、柿谷、齊藤、豊田は直後のウルグアイ戦でも招集され、工藤、豊田以外の5名はW杯にもエントリーされることになる。

・こうした新戦力の台頭によって少し風向きは変わり、8月~10月にかけてウルグアイ戦●2-4、セルビア戦●0-2、ベラルーシ戦●0-1と5戦で3敗したものの、11月の欧州遠征でオランダ戦△2-2、ベルギー戦○3-2と山口、森重、柿谷、大迫がスタメンを張るようになりチームに馴染むにつれて結果も出るようになった。ここから親善試合4戦全勝でW杯へ。

・W杯メンバーの選考だが、概ね予想通りの中で大久保のエントリーがサプライズだった。当時川崎移籍1年目でゴールを量産しており(この年26ゴールで得点王)、ザックとしては予選迄のチームを一旦壊して新しいチームを作る中で最後のテコ入れ、起爆剤として期待したんだろうなと。また予備登録メンバーにはそれまで未招集かつ候補合宿や予選の予備登録にも入ってなかった南野が入ったが、インタビュー等を見る限り最後まで本エントリーするか迷ったらしい。また落選メンバーでは原代行の時からボランチのバックアッパーとして代表の常連だった細貝の落選が驚きを持って伝えられたが、同等の守備力に加えて前に飛び出る推進力もあり、セレッソ育ちらしい技術の高さもあってスタメンも狙える山口の台頭に押し出された形だったのだろう。

・こうして臨んだW杯だが結果は1分2敗でGL敗退。キャンプ地の選定ミス(気候の影響によるコンディション不良、移動距離の長さ等)など原因は色々あるが、あまりに正攻法で臨み過ぎたし、またこのチームは香川と本田のチームであって13年以降の新戦力もチームの大枠を変えるには至らなかった、そして香川の不出来がチームの結果を決めた、というのが個人的な感想。
2006ドイツW杯に続いてW杯で攻撃的に振る舞おうとして足下をすくわれた形だが、3試合の流れも06年とよく似てるんだよな。

初戦:前半先制、後半に逆転され敗北
2戦目:欧州勢と引分け
3戦目:南米勢に●1-4

06年も中村俊輔の出来が結果を決めたのも似ているかな。

・W杯なんて相手を徹底的に研究して時には自分達のサッカーを変えてまで強みを消しにかかるのに、その点であまりに無防備だった。大会直前に対戦し3-1で勝利したコスタリカはこの結果を受けて守備を整備し、そしてイタリア、イングランドウルグアイの死の組を勝ち抜いてベスト8。これはまさに南アW杯前の日本と同じ展開だが、そうした強かさにも欠けていたなと。就任当初はチャレンジしていた343をオプションとしてものにしていれば面白かったかもしれないが、いつの間にか止めてしまったし、その意味でも好きな形に拘りすぎた感はある。

・最後は残念だったが、ザッケローニその人は好人物で今も定期的に日本サッカーに好意的な発言もしてくれるし、数年前に一度都内某所でばったり出くわした時も写真をお願いしたら気さくに応じてくれた(笑)それだけにこの結末は苦くもあるのだが。

・W杯がああいう形で終わったものの、香川25歳、本田、岡崎、長友も28歳とまだ十分活躍出来る年齢で、それだけに後任監督は新しいチームをどう作るのか難しい判断を迫られる事になる。

出場・招集記録から当時を回顧する(ザッケローニ時代)前編

 昨年の今頃、Jが中断しブログの繋ぎのネタとしてw始めたこのシリーズだが、当時は丁度(順番は前後するが)オフトから第二期岡田時代までを振り返ってJが再開してそのまま休止していた。あれからまた1年が過ぎ、思えばブラジルW杯からも7年、ロシア大会からも早3年ということで残りの代表監督達も振り返ってみる。最初はザッケローニから。書き始めたら長くなったので2回に分割し、今日はその前編として10~12年を。

・期間:2010年10月~2014年6月
・勝敗:60試合33勝12分15敗(Aマッチ)
・招集:78名(予備登録メンバー合わせて108名)

■原監督代行
ザッケローニ時代を語る前にまず原さんが指揮を執った2010年9月の2試合について。確か就労ビザか何かの問題で新監督がまだベンチ入り出来なかった為と記憶しているが、メンバーは南アW杯組主体に数名の新戦力や中堅を加えた構成。最初のパラグアイ戦は楢崎の代表引退試合となり、中澤もザック時代は招集されなかったためこれが最後の代表戦となった。また橋本英郎も同様にグアテマラ戦が最後。この2連戦では細貝永田が代表デビュー。パラグアイ戦は観に行ったが、W杯ベスト16直後、そして海外移籍した長友内田、香川らの移籍後最初の代表戦ということもあってスタジアムに高揚感や期待が充満していた記憶がある。試合そのものもパラグアイ戦は縦パスを受けた香川が冷静に決めて勝つという(守備重視の)W杯時とは違うスタイルを予感させた。

日本vsパラグアイ

■ザック時代
・任期前半、特に就任からアジアカップ優勝~11年8月日韓戦○3-0~11年10月W杯予選タジキスタン戦○8-0までの1年は歴代でも(少なくとも自分が見てきたオフト以降では)強さ、主力の年齢バランスを総合的に見て屈指の充実度であり最強と言っても過言では無い。この間無敗で、何より就任初戦でメッシ、テベスマスチェラーノカンビアッソらがスタメンで途中からディ・マリアイグアインも出場とほぼベストメンバー(いなかったのはアグエロくらい)のアルゼンチンに勝ったのは大きかった。アジアカップは実はイメージほど楽に勝ち抜いた訳では無く、初戦は終了間際に何とか追い付き、2戦目は退場者を出して追い付かれた後に勝ち越し、準々決勝の地元カタール戦は逆転された後に1人少なくなったにもかかわらず終了間際に再逆転とジーコ時代の2004年大会に匹敵するスリリングな展開で、松井、香川が負傷で途中離脱する厳しい状況でもあったが、このチームなら点を取れる、最後は追い付ける、勝てるだろうという期待感があった。

・11年10月から12年10月にかけてはW杯最終予選での好調、サン・ドニでのフランス戦勝利もあったが、3次予選での北朝鮮ウズベキスタン相手の2敗、12年10月ブラジル戦●0-4など少しづつピークアウトを予感させる期間でもあった。
当時のスタメンは

GK川島
DF内田、今野、吉田、長友
MF長谷部、遠藤、岡崎、本田、香川
FW前田

これにGK西川、権田、SB駒野、酒井高徳酒井宏樹、CB栗原、伊野波、ボランチ細貝、高橋秀人、トップ下中村憲剛、清武、FWハーフナーらがそれぞれ控える形でメンバーはほぼ固定されていた。特にこの時期はロンドン五輪があり、五輪前からU23世代が代表招集されて層の厚みを加えており、結果的には13年以降W酒井、清武の台頭によって駒野、中村憲剛といったベテランは代表を外れる形となるが、12年時点では共に代表に呼ばれていた。従って今挙げたメンバーは計22名と招集人数とほぼ同数となり、それ以外の選手がここに割って入るにはかなりハードルが高い状況でもあった。

・その間ザックも全く新しい選手を呼ばなかった訳では無く、海外組のいない親善試合、特に12年2月のアイスランド戦では近藤直也田中順也増田誓志が代表デビューし、その他山本海人林卓人谷口博之の中堅、磯村亮太(20歳)、柴崎岳(19)、久保裕也(18)ら若い選手も招集している。ただやはり上記の選手達の序列を越えるまでには至らず。思うにこの頃から今に至る海外組と国内組のバランスやレベル差といった問題が始まったと思う。主力は欧州で経験を積んで更に成長し、国内で少し活躍した程度では代表入りさえままならず、選ばれる頃には既に十分な実績=それなりの年齢に達している、という状況。まさに先月の代表の国内組が軒並み20代半ばから後半だった状況と符合する。まぁ代表のレベル向上という意味では良いのだが、後編で述べるがメンバーの固定化は停滞も招く訳で12年はその辺如何にバランスを取るかという新しい問題に直面した時期とも言える。

・12年は広島が初優勝し佐藤寿人が22ゴールで得点王となった年だったが、招集は12年10月のフランス、ブラジル戦のみ、それも前田の負傷による追加招集によるもの(出場は無し)。ザック時代を通じて招集はこの時だけなのだが、プレースタイルが合わなかった故にこの時期の代表と縁が無かった選手は結構いる。闘莉王もまさにそうで、当時はCBの層が薄かったので呼んでも良いのにと思っていたが、後に様々な媒体で闘莉王の深く守るプレースタイルがラインを上げる代表のサッカーと一致しなかったのを知り納得。

・実は宇佐美はザック時代にも代表に呼ばれており、上記の柴崎、久保同様にJの若手もしっかりチェックしていたのをうかがわせる。初招集は11年6月のキリンカップ(ペルー、チェコ)で当時はバイエルンに移籍する直前でまだ19歳。そして12年11月のオマーン戦(W杯予選)にも呼ばれているが、この3試合で出場機会はなく、代表デビューするのは初招集から実に4年経った15年3月(ハリルホジッチの就任初戦)となる。

・Aマッチでは無いが、この時期で忘れてはならない試合が11年3月の東日本大震災チャリティーマッチのJリーグ選抜戦。元々予定されていたモンテネグロ(国立)、ニュージーランド(エコパ)戦が中止となった代替として長居で開催されたもの。あの試合はカズのゴールの印象が強いが、代表もアジアカップ組を主体にベストメンバーだった。この試合では招集された3人のGK(川島、西川、東口)がそれぞれ30分づつプレーするというAマッチではなかなかお目にかかれない展開で、第3GK東口もラスト30分に出場。東口はこの後キリンカップや日韓戦に招集されるも出場機会は無く、Aマッチデビューとなるのは4年を経た15年8月の東アジアカップ

 こんな感じで後編へ。