同い年

 その言葉にはどこか仲が良い、悪いの関係を越えた妙な連帯を感じさせる響きがある。冷静に考えれば錯覚の場合が多い、と頭(理性)で納得させようとしているにも関わらず、だ。高校までと違い、会社や所属団体ではあまり年齢の壁を感じない交流が多く、それはむしろ好ましいとすら思っているが、ふと同年代の面々が揃った時などは、いつもと違う感慨深さ(?)があるな。
 サッカー界では常にこの世代は“谷間”呼ばわりされてきた事もあり、同年代の選手に対する思いは他の選手とは全く違う。阿部、鈴木(啓)、山瀬、松井、野沢・・・皆、これまでのサッカー人生で何かしらの回り道をしてきた者ばかりだ。怪我、レギュラー争い、W杯や五輪のメンバー落ち、J2降格etc.上に“黄金”が君臨していた事もあってこれまでなかなか日の当る事の無かった世代だが、今や潜在能力を発揮してそれぞれの所属クラブで主力となり、オシム就任後はようやくにして代表でも主役になりつつあるのが心底嬉しい。
  振り返って周りはどうだろうか?バイト先で会った唯一の同期とは今でもフットサル、サッカー観戦で関係が続いているし、所属団体で出会った同い年はなかなか濃ゆい面子が多く、はっきり言ってそれぞれ長所と同じ位の欠点も兼ね備えた(含自分)素晴らしき面々であるが、だからこそこれまで関係が続いてこれたのかもしれない。


 “同い年”だから出来ない事がある。

 “同い年”だから言える事もある。

 思いを伝えるのに、道は1つとは限らない。どんな道を選んだとて、伝えるべき思いに変わりは無い。

 
 明日はナビスコ決勝かー。秋晴れの国立、またあの素晴らしい雰囲気を楽しめると思うと嬉しい限り。