デル・ピエロについて

 この選手を語る時、いつもその“距離感”を掴みかねていた。
 過去このblogでも何度か書いているが、俺がセリエAやリーガを最初から見始めたのが1994−95シーズン、そしてまさにそのシーズンに(R・バッジョを押しのけて)現れたのが若き日のデル・ピエロだった。当時はバッジョやゾーラといった名手ですら戦術至上主義の下でベンチやポジション変更の憂き目に遭ったような時代だったが、そんな中でも若い彼は“組織でも活きるファンタジスタ”としてクラブ/代表で立場を確立していった。今思えばカカ、トッティ、C・ロナウドetcの様なタイプ―――テクニックとフィジカルの融合―――の先駆けとも言えるかもしれない。
 その一方でユーベのフィジカル重視姿勢の下、数年の内に肉体改造で筋量を得た半面、デビュー時の様な動きの柔軟性を失い(この点は中田英にも通ずるものがある。)、また代表でもW杯やEUROで主役級の活躍が出来なかった事もあって、いつしか俺の中で“組織でも活きる”は『組織に取り込まれた』の意に変化していったのも事実。後に大スキャンダルに発展する事になるが、当時のユベントスは審判の判定を始め、常に権力の匂いと共にあったという事情もあり、その印象も徐々に彼自身のイメージと同化した面もある。このように、デル・ピエロという選手に対しては常にこうした愛憎半ばする感情があった。


 それを変えたのがあのB落ちと再昇格なのは間違いない。Bに落ちてもチームに残って得点王となり、再昇格後に再び(自身初の)A得点王獲得。年齢による衰えはあっても、自分の技術を確実にゴールに結び付ける術は年々精度が上がり、今季などはまるで悟りを啓いたかのようにCLでも量産してる。
 そんな姿を見てるともはや過去にあった感情などどうでもよくなって、応援したくなってくる。いや応援というよりアンチ的感情が消えたというのが正確かもしれない。今あるのは丁度セリエAを初めて開幕から見始めた時の若々しい姿(の思い出)とそれから約15年が過ぎたという感慨。


 レアル戦で2ゴールを挙げ、あのサンチャゴ・ベルナベウでスタンディングオベーションを受けた映像を視た時、そんな思いが頭を過ぎった。そしてこれは決してこの例に限った事ではなく、数多の感情の起伏を越えた先には必ずやある種の繋がりに昇華され得るものだ。例えそれがアレッサンドロ・デル=ピエロという選手が世に現れて今に至るまでと同じだけの時間が掛かろうとも。