映画公開のついでに

文庫版で上中下3巻構成だが3日程で読破。映画としてはダヴィンチ・コードに続く第2作の扱いだが、原作はダヴィンチ〜より早かったようだ。
以下所感。


ダヴィンチ〜がより歴史作品寄りであったとするならば、これはどちらかと言えば娯楽的。ただ、それ故か物語のテンポが性急過ぎた感は否めず。
穿った見方をすれば最初から映画化を見越して書かれたような、さらに言えば映画シナリオの小説版を読んでるような印象だった。いかにも映像化されそうな場面が山ほど出てきて、途中からトム・ハンクスの顔がチラついて仕方なかった(苦笑)まぁブックカバーからして映画の宣伝だったけど。


で、ここからは本作の主題等等について色々と。

前回は聖杯伝説という欧米・キリスト教文明圏以外の者にとっては少し縁のないテーマではあったが(ゲーム、ファンタジー小説ではお馴染みではあるけども。)、今回は宗教vs科学というもう少し普遍的なテーマ。


・時限装置付きの反物質による大爆発を阻止、という流れに、少し前に流行った韓国映画(寒流の走り?)シュリを思い出した。確かあれも熱を持つと大爆発する新物質を巡っての話だったが、どうも現実味が薄くてそれがテーマの割に話に重みが感じられない理由の一つではないかと思う。


・ハサシンというのはどうやらアラブ系のムスリムらしいが、結局その背景自体は主題と何の関係も無かった。所謂アラブ人、ムスリムに対する欧米人の視点が垣間見えたが、それは決してポジティブなものではない。よく“十字軍”という言葉が出てきたが、詰まる所お互いに(それとも一方的に?)それが全ての源流であり、未だ本音ではその構造から抜け出せていないという事なのか。


・そう、ここでの宗教とはイコール一神教、それもキリスト教であって、ダヴィンチ〜と同じく結局キリスト教文明圏の中のお話だろうっていう“外の世界”からのある種醒めた視点はどうしても拭い去る事は出来なかった。作中ではキリスト教に限らず他宗教を含めて“宗教”と一括りにした表現もあったが、そもそも同じ宗教でも一神教多神教で根本概念は大分異なるので、どうだかね、という感じ。敢えて曖昧にしたのか、単に無知なだけなのかは分からないが。


キリスト教以前の多神教世界はもっと縛りの無い大らかな世界で、ローマ人などは何でも神格化して神殿を建ててしまっていた。ユピテル(ゼウス)、アポロンとか現代でも有名なギリシア神話の神々だけでなく、歴代皇帝、果ては“寛容”とか“融和”みたいな抽象的な概念ですらも。おそらくその観点からいけば科学ですらも守護神を付けるなり科学そのものを神格化したかもしれない。つまり、今回の主題である宗教vs科学という対立そのものが発生しなかったかもしれないのだ。倫理との鬩ぎ合いは続いただろうにしても。


・と、ここで序盤に登場するパンテオンが思い浮かぶ。このローマ時代からの姿を現代に留める唯一の建造物は、“全ての神々の神殿”の意味が示す通り、まさしく多神教世界の象徴的な存在。作中ではラファエロ絡みでしか言及されなかったが、これは主題にも関わる大きな意味を持ってくるのでは?てかキリスト教で言う“悪魔”自体かつての異教の神々を含む訳なんだが・・・まぁそれを言ったらテーマが深遠になり過ぎて作品が成立しないか。


・作品を通して人が殺され過ぎていて、あまりいい気分はしない。教皇、侍従、枢機卿4名にスイス衛兵の隊長・副隊長・・・世が世ならダン・ブラウンはそれこそガリレオのように異端審問にかけられたり、フスやジャンヌ・ダルクのように火刑になってもおかしくない。こういう書が世に出る事自体が既に宗教と科学の鬩ぎ合いの一端なのかもしれない。


・てな感じで歴史作品だと思って読むと色々抜けが多いなーというのが正直なところ。その意味ではやはりアクション・娯楽作品だ。映画も少しテーマが荘重なダイ・ハード位に思った方が良いかもしれない。