何故に

 代表絡みの試合結果で翌日の気分が左右されなくてはならないのか?


 本来開放的なはず(笑)の金曜ですら、通勤中・仕事中、時折ふと心に影が差す。


 最近、大試合の開始直前になると得体の知れない不安感が湧き起こり、いっそ中継など視ずにネットのテキスト速報で済まそうとすら思う時がある。よく試合中のPKでキッカーを正視出来ずに背を向ける味方の選手がいるが、それに近いかもしれない。昨日は北関東(=ホーリーホックの本拠地)まで行ってたから良くて特急内ワンセグ観戦かなと思ってたら、さっさと地元(=グランパスの本拠地)に帰りたい関連会社の部長のお陰で出張先を出たのが15:00→帰宅17:30というミラクルだったが、それでも18時になるまでTVのリモコンを動かす気になれなかった。まぁ付けた後は勿論最後まで視たんだけど。


 こんな思いをする位なら、いっそ無関心を装えばどんなに楽かしらん。こういった感情の起伏で最たるものは、やはりフランスW杯予選なのだが、あれは最後に岡野のゴールで終われたからこそ救済された訳で、常にそうなるとは限らない。アテネ、ドイツ―――実は未だにオーストラリア戦、ブラジル戦はDVDのHDに入ったまま日の目を見ていない。だが、いやだからこそ観てしまうのか?常にハッピーエンドで終わるのが分かっているならそんなものにどれ程の価値がある?勝つ時もあれば敗れる時もある。圧倒しながら負ける事もあれば、ワンチャンスで勝つ事もある。そうした現実を受け入れなければ今に至る事は無かった。それに―――脳内に描かれる理想のサッカー、理想のプレーをこの眼で観たいが故にスタジアムに行き、TVを付ける中で、それが代表の国際大会で現されるならばどんなにか素晴らしいか。そういう思いがある限りは日曜もまた幾らか逡巡した後でTVを付ける。多分。