閉会式を視てて

 一体どれだけ金を掛けたのか想像も付かないあの閉会式、そして開会式を視てると、いくら体制が転換しても、たかだか数十年では人間の習性、性(さが)は易々と変わるものではないし、人が変わらなければその集まりである国家というのも変わらず、歴史を投影してしまうのかなーと思ってしまう。五輪が始まった途端にドサクサに紛れて隣国に侵攻した国もそうだが、体制が共産主義であれ資本主義であれ、そして元首が大統領や国家主席という名に変わっても、結局の所は、皇帝/ツァーリと官僚が支配する国なのは不変なのかもしれない。 


 開幕したばかりの頃、開会式を見た次回ロンドンの関係者がそれに圧倒されたが、色々偽装が発覚してイギリスのタブロイドが批判、というニュースを見たが、元とか清を訪れた西欧の宣教師や商人(まさにマルコ・ポーロみたいな)がその圧倒的な豊かさ、規模感に驚愕する、っていうパターンそのままだと思った。そう考え始めたらマスゲームに動員された人民は、かつての長城や大運河建設に動員された民衆で、あの美女軍団も後宮の側室、女官集団に見えてきたのは、今こういう本を読んでるせいだろうか(苦笑)けど面子の為なら口パクとか多民族共存アピールが実は全員漢民族だったとか、CG合成花火を平気で実行出来る神経も、そう考えると何となく分かる。


 あんなセレモニーは今回で最後だろうな。これから先初のアフリカ開催とか、南米開催、とか開催都市が特に力を入れそうな大会はあるだろうけど、今回ほど金は掛けられないと思う。16年に立候補してる東京はどうなるんかね。本気で開催狙うなら16年は試し受験で20年に本命という線だと睨んでるけど。日本に日産を越える8〜9万規模のスタジアムが出来るのはイメージ出来ないが、現国立が専用スタジアムになるのも、ちょっと想像出来ない。


 
 という感じでやっと夏休みなんだが、今年は首都圏を脱出する事にした。行先の天気があまりよろしくなさそうなのが何とも。