なぜ時代劇は滅びるのか/春日太一
最近またネットで見かけたor本屋で見付けた面白そうな新書を即買いしてしまう機会が多いのだが、その中から。本書は衰退の一途を辿る時代劇、特にテレビのそれについての考察本で、実名を挙げて衰退の張本人(と著者が主張する)である関係者達を斬りまくる痛快さもあって一日で読み終えてしまった。自分にとっては時代劇というジャンルはなかなか縁遠いものだが、子供の頃だったか、夏休みになると午前中にいつもテレビで三匹が斬る!という時代劇の再放送を視ていたのを思い出した。タッチと並ぶ夏休み午前中のテレビの定番だったが、あまり時代劇と言う事を意識せず娯楽として楽しんでいたように思う。著者はまだ30代後半ながらそんな時代劇の面白さに惹かれた人だが、鋭い批判の裏にはこの現状に対する哀しみが感じられて、後書きにもあるように本書は著者なりのけじめ、(時代劇に対する)介錯なのだろう。
本書で特に共感出来たのは最終章で大河ドラマの(悪い意味での)変化について語っている箇所。挙げているのは主人公の無謬性(絶対善)や超人性(史実では無関係の出来事にも影響を及ぼす)にこだわる描き方やあまりに現代人としての視点を取り込んだが故の時代劇としてのリアリズムの欠如など。本書は昨年の刊行だが、奇しくも今年の大河は著者が指摘する悪しき面が全て出ていると言えるだろうか。
そもそも一応歴史が好きな自分ですら初めて名を聞く様な人物が主人公な訳だが、そこには
・2007年:篤姫(薩摩、幕府)
・2013年:八重の桜(会津)
と来るなら長州(の女性)も、という安易さが見え隠れする。幕末の女性ならまだ坂本龍馬(土佐)の姉や将軍に嫁いだ皇女和宮が有名と思うが、誰も知らない様な人物にする意味はあったのか。まぁ“長州”なのが重要だったとは思うが敢えてこれ以上は突っ込まない。
話は飛ぶが今横須賀では三浦按針の大河ドラマ化を要望しているらしい。この人は元の名がウィリアム・アダムスというイングランド人航海士で、日本に漂流後に家康の旗本となって三浦半島に領地を与えられた為にこの名を名乗ったのだが、昔ルイス・フロイス(安土桃山時代に日本に来た宣教師)視点で信長を描いた大河があったので、そういう体なら面白そう。決して昨今の大河のように、アダムスが実は関ヶ原や大阪の陣で大活躍したとか、江戸幕府設立に貢献したとかの“主人公が実は歴史的場面に関与してました”という興醒めするほどのファンタジーでは無い事を願う。まぁこういう要望は全国で起こってるようなので実現の可能性は低いとは思うが、小泉○一郎が政治家として健在だったらもしかしたらという気はする。