ハロウィン考

 先週土曜は代官山〜渋谷界隈を散策していたのだが、ハロウィンは金曜夜だと勘違いし、当日に渋谷に突入する愚を犯してしまった。地下道をうまく使ってスクランブル交差点は避けて帰れたのだが、昼過ぎから既にコスプレした人々が目立っていたし、夜にはDJポリスが出動、駅のトイレは着替え禁止で宮下公園近くに特設着替えスペースが用意されるなど、ちょっと想像を越えていた。友人は一連の騒ぎについて「(リア充のイベントたるクリスマスに対する)リア充でない人のイベント」と考察していてなるほどなと思ったが、自分も少し考えてみたい。

 このブログで最初にハロウィンに言及したのはいつかと思ったら、9年前だった。当時のプロジェクトリーダーの「今日はハロウィンだね。」のあまりに何気ない発言に軽く衝撃を受けて書いた(はず)の文章なのだが(笑)、この当時はあくまでディ●ニーの秋のイベントという印象が強かったし、川崎など街単位でイベントがある場合でも仮装するのは子供がメインだったように思う。中高生以上が仮装するのはせいぜいディズ■ーの中くらいだったかなと。9年前の発言も、この人に幼い子供がいたからこそだったはず。

 これが何時あのような(あくまで年齢的な意味での)大人の馬鹿騒ぎに変わったのか―――記憶を辿ると5年以上前に外国人達がハロウィンの日に仮装して山手線車内で大騒ぎしたというニュースがあったが、調べたら07年頃の事らしい。おそらくこれが着火点になったんじゃないかと思う。
 類推するとこんな図式―――このニュースや実際の外国人のハロウィンを見聞きした日本人達の中に、子供だけじゃなく大人も仮装するのだ(しても良いのだ)と判断したものが現われ、徐々に自分達もコスプレするようになった。しかし一方で外国人達の様に電車内で騒ぐのは自分達の文化、規範には無いので、最初はクラブやレストランの貸切イベントなど限られた場所で楽しむだけだった。だが仮装のまま街に出ると、渋谷、六本木はクラブ、レストランなどイベントスペースの数が多いので自然と街中で仮装する人間が目に付くようになり、それで仮装して出歩く事へのハードルが下がると共にただ仮装して街を歩くだけという人も増え、いつしか中心部(スクランブル交差点など)はそうした人々が集い人で溢れるようになった―――こんな感じだろうか。ある意味洋食やクリスマス、バレンタインと同じくこれも外来の文化と自国の文化(規範、風習)の折衷という点であまりに日本らしいイベントとも言えるな。余談だが海外だと遠征したサポーターが電車やトラムをジャックして歌い出すってのはよくあるので、山手線ハロウィン騒ぎもその一端だろうと思う。

 後は元々コスプレに対する理解があったという背景もあるだろうな。例えばマラソン、駅伝大会では必ずと言っていいほどコスプレランナーを見かけるし、強制ではないが、非日常的な場面、あるいは非日常に切り替わる手段としての仮装、という暗黙の合意があるように思う。東京マラソンなどが典型だが、マラソンのコスプレランナーは大会規模が大きいほどその数も増えて手も込んでくるが、人数が多ければ多いほどそういう傾向が強まるというのは友人の言うとおりやはり何かを発露したいという願望があるのかもしれない。ちなみに個人的に遭遇したベストコスプレは相模原のハーフ大会で見た紙製甲冑+「愛」兜+軍配を完備した直江兼続男(推定40〜50代)。

 と自分なりの理解をしたつもりだが、マラソンと違ってハロウィンで自分より年齢上と思しき人間がコスプレしてるのを見ると感嘆するより引いてしまうのは何故だろうか。今回は推定アラフォーの女性が●ィズニーの魔女だか悪役だかのコスプレをして昼の道玄坂を歩いていたのはあまりに痛すぎて見るに堪えなかった。衣装もメイクもかなり気合の入った出来なのだが、努力(労力)の使い道を完全に間違えてるだろ、という。

※余談※
上記の07年のハロウィン騒ぎのまとめサイトを見て気付いたが、この頃はまだtwitter日本語版のサービス開始前だったんだな。今ならツイッターから簡単に目撃者の呟きや現場写真が集まると思うが、つい8年前の事なのに随分変わったものだと思わぬ所で感心してしまった。