何故サッカーなのか

 昨日の代表戦の後、某代表が“世間的にはサッカーは↓だが、この団体は↑であるべき”みたいな事を言った。言わんとする事を分かっているようで、一方で現実感に乏しくもあった。何故なら俺に↓など有り得ないだろうから。



 サッカーに魅入られたのは多分92年の秋頃だったと思う。親父が読んでいたビジネス誌に興味も無いのにページをめくっていたら、何故か“世界のベストイレブンを選ぶ”的な記事があり、単純に選手の写真を見て格好良いな〜と思った。(後から察するにEURO92の写真を使っていたのだと思うが、北欧での開催という事もあり、どれも夕日(白夜?)の光を浴びた、惹き付けるには十分な写真だった。)それがきっかけ。覚えている限りのそのメンバーは
GK:シュマイケル
DF:マルディーニバレージ、コーラー、?
MF:レドンド、へスラー、フリット
FW:ファン・バステンバティストゥータ、R・バッジォ
(右サイドバックジョルジーニョだったっけな・・・忘れた。)

 丁度同時期に日本代表もオフトが監督になって上昇気流に乗り、プロリーグも開幕というタイミングだったので、益々惹きつけられていった。

 で、何故これほどまで取り付かれたのか自己分析してみると、代表に関してはまずドーハ〜ジョホールバルをずっと見続けたのが大きかったかもしれない。フランスの予選も本当に苦しい道のりだったが、最後は岡野のゴールデンゴール、という訳で、今までの苦しみが報われたような気がしたものだ。そんな事を言いながら、ファルカン時代はメンバーが大幅に入れ替わった事が理解出来ず、結構アンチになってたんだけど。特にチャラそうな岩△が10番背負ってるのは許し難かったな(苦笑)当時は監督が代わればメンバーも代わるし、世代交代も必須なんだという事が分からなかった。最近W杯組を懐かしむ声がチラホラ聞こえてくるが、当時の俺と似たような心境なんだろうと思う。
  ではサッカーそのものに何故魅かれたのか?多分、この競技こそ本当の意味で“世界”を感じる事が出来るから、かな。今でも忘れられない母校の教師の言葉で、“国籍不明の国際人でなく、国際的日本人となれ”というのがある。だからって別に海外勤務希望、って訳じゃないが(苦笑)、個人としてだけでなく、日本という国も“国籍不明な国家(おかしな表現だが)ではなく国際的な日本”となって欲しいという思いがあり、好きなサッカーが世界の国々と戦う(決して“世界と”ではない。よく使われる世界の壁という表現は好きじゃない。昨日敗れたのも決して世界の壁云々ではなく、“ガーナ”が強かったからであり、強いて言えば“ブラックアフリカの”身体能力が凄かったからだろう。そう伝えないと本質を見失う。)という↑の思いをまさに具現化するが故に、引き込まれたんだと思う。普段イエメンやトリニダード・トバゴなんて国々を知る機会はあるだろうか。せいぜい4年に1回、五輪の開会式でアナウンサーの一言紹介で耳にする程度だろう。知らないところで地道に交流している方々はいるかもしれないが、代表が1試合戦っただけで、多くの人がその国名、プレースタイルを知る事が出来る等、その影響力は大きい。多くは試合後に忘れ去られるのも事実だが、試合展開によってはずっと印象付けられる事だってある。例えばカザフスタンは、フランスの予選で終了間際に追い付かれ、それが加茂解任に繋がったのでそれ以来完全に頭に刻み付けられている。
 という訳で、代表が負けようがサッカー界がどうなろうが俺のサッカー熱が↓にはならない。湧き出る思いがある限りずっとこの競技を観続けるだろう。今の団体にいるのも、まさかこんな思いの人間はいないだろうが、全身からサッカー好きが伝わってくる人間が多かったのも1つの理由ではある。昨日の発言を聞く限りそれも変わりつつあるという事か。そろそろレッドブックに記載されるかもしれない。まぁ昨日書いたとおり、それもまた時間が経てば起こりうる必然なのかもな。


 なーんて長々と書いたが、単純に、想像を超えた個人技、思わずため息が出るようなパスワーク、素晴らしいゴール、それに試合後の(試合中でもOK)1杯があれば(笑)もう最高。ただ、blogを始めて以来いつかはこのエントリーを書く日が来るだろうとは思っていて、丁度良い機会なので書いてみた。