日蝕解散

 日蝕とか月蝕というのは古代は何かしらの不吉な予兆と考える人も多かったと言うが、21世紀に生きる自分も、もし何の予備知識無く唐突に太陽の光が消えて辺りが暗くなったら、先ず始めに恐怖を感じ、その後太陽が再び姿を現した後も何かしらの神秘性を感じてしまうだろうと思う。今の我々が古代、日蝕が大規模な政変や動乱を巻き起こしたと考えるように、遠い未来の人々が明日の天体現象に言及する時は、衆議院解散と(これから起こるであろう)政界再編と結び付けたりするだろうか?


 今世紀最大と言う意外あまり報道されないけど、確か10歳かそれにも満たない頃、同じ様に日蝕があったと記憶している。ベランダから瓶に黒い炭か何かを塗って太陽を見た覚えがあるんだが。(その方法だと赤外線を通すから目に悪かったらしい。)それ以外の天体現象だと4〜5歳の頃ハレー彗星が接近しているはずだが、全く記憶に無い。こういう現象は何十年に一度という類のものだから、一度逃したら二度と出会えないかもしれないのは少し残念だ。


 そんな中はっきり記憶に残っている天体現象は時は流れて01年のしし座流星群となる。あの夜は某所の高台にある公園でサッカーしながら流星が流れてくるの待っていて、実際に星が流れるのを目撃した瞬間は、流れ星というものを初めて見たというのもあり、今でも印象深い。その公園は高台だけになかなか見晴らしが良く、東京の夜景が遠くに一望出来、地上ではサッカー、上空には流星、そして時は01年暮れの、02年を控えた緊張とも興奮ともつかぬ時期でどこか当時の自分の心象風景とシンクロしていたような気もする。大学に入ったばかりで未だ先に何があるかも分からなかったが、不安よりも期待の方が勝っていた時期でもあった。
 と、こんな事を書いてしまったのは先日、昔話を語る機会があったからなんだけども、今『昔話』と何気なく書いたが、話している間はそんなに“昔”の話をしているつもりなどなく、むしろつい昨日の出来事の様に話しているつもりなのだ。だが、今こうして振り返ると、やはり『昔の話』と書く他無い。不思議なものだ。