欧州サッカー×古代ローマ

 伊野波がハイデュク・スプリトに移籍したと聞いて、スプリトと言えばディオクレティアヌス帝の宮殿があった場所だな、等と思ってしまったのは古代ローマ好きの悲しい性よ。それでも欧州組の分布地図を眺めていると、ケルン(コロニア・アグリッピネンシス)、ミラノメディオラヌム)、ロンドン(ロンディニウム)、そしてフランス(ガリア)、スペイン(ヒスパニア)などが帝国内で、またかつてローマには中田がいて、ビザンティウムコンスタンティノープルと名を変えながら東ローマの都だったこの街には稲本、ギリシア植民起源という古い歴史を持つマルセイユマッサリア)にはナタカコがいた。その一方で、ドルトムントシャルケなど“ライン川の向こう側”は2000年前はゲルマン民族の住まう森林地帯に過ぎなかったし、スコットランドも当時は帝国外の辺境地域だったのだが、そういう古代の記憶も現代に続いているのかと思わせる動画が↓

 これはEURO2008予選のフランス×スコットランドでアウェーのパリに乗り込んできたスコットランドサポーターの動画だが、これを視るにつけ、2000年前にローマ都市を襲った蛮族の様子も、何となく窺える。