横浜にてサッカーの記憶を辿る

 連休の最終日は友人に誘われてヨコハマ・フットボール映画祭に行く事になった。この映画祭、存在は以前から知っていてこれまでにも興味深い映画が幾つかあったのだが、個人的に“映画を観に行く”という習慣そのものが無いので腰が重く(苦笑)、また観たい映画の上映時間が他の予定と被ったりで行くのは今回が初めて。観る映画の上映は夕方からだったが、行って観て帰るだけなのもつまらないので、“前座”としてこの辺りのサッカーの記憶も辿りつつ中華街など散策するスケジュールをば。

 まずは新高島駅で降りてマリノスタウン跡地に向かった。2015年度を以て閉鎖されて以降建物の撤去が進んで更地になっていたが、現在は19年4月を目処にアンパンマンミュージアムの建設が進んでいる。ミュージアムマリノスタウン跡地の一部で、残りの土地には2万規模の音楽専用アリーナやホテル等が建設されるらしい(2021年度竣工予定)。現在の様子↓

 この新高島駅周辺もずっと空き地が広がっていたが、去年辺りから徐々に開発の話が出てきて、幾つかの建設計画が進んでいる。

 マリノスタウンはその維持費用の大きさ故に手放さざるを得なかったが、今にして思えば半ば必然という思いと同時に、もっと何か出来る事は無かったかと思ってしまう。仮にこの辺りの空き地が全て埋まっていたとしても周りの建設計画は基本オフィスビルなので平日はそれなりに人の流れはあっただろうけど、休日にどこまで人が来たか。しかもサッカークラブは基本平日に練習、週末は試合というサイクルなので土日に行っても練習場に選手がいない事の方が多い。やはり厳しかったのではないかと思う。ただ撤退する最後の年あたりからグランドを開放して花火大会の観覧席にしたりしていたのを見るにつけ、もっと早くから、もっと多くの人に開放するという観点があれば、話は変わっていたかもしれないという気もする。あの施設が失われるのを「惜しい」と思う人が多ければ多いほど、存続への力になっただろうから。今となっては詮無き話ではあるが。

 マリノスタウンの後は旧みなとみらい市民サッカーパーク跡地まで。ここは2002年の日韓W杯前後にフルコートサイズの人工芝グラウンドがあった。フットサルサイズでの貸出もあって何度も利用したのだが、あくまで暫定利用施設だったが故にW杯後に閉鎖され、更地となった。googleで検索しても殆どヒットせず(マリノスタウン隣のみなとみらいスポーツパークが検出されてしまう)、記憶を頼りに行ったのだが、今は敷地の半分は外車の販売店やニトリが入る複合施設となり、もう半分は更地のままだった。

 この空き地も神大の新キャンパスが2021年度オープンを目処に建てられるとのこと。

 そんな感じで寒風吹きすさぶ中で思い出に浸りつつまだ映画祭まで時間があったので地下鉄で中華街に行って早い夕食を。というかこの日は何も食べてなかったので唯一の食事だったが。中華街と言えば観光ガイドの定番として江戸清のブタまんや梅蘭のかたやきそばが出てくるが、実は今まで梅蘭に行った事が無かった。てことで行ってみたのだが、昼食とも夕食とも付かない微妙な時間帯だったのが幸いして?、店内は空いていて、かたやきそばを食す。その後は中華街をブラブラしつつ歩いて映画祭の会場である日本大通りの開港記念会館へ。春節も間近だったせいか通りもランタンで装飾されていた。
 

 ようやく映画祭へ。観た作品はW杯初出場を決めたジョホールバルの試合から20年ということで当時の選手、監督のインタビューを中心に構成されたドキュメンタリーだったが、あんな予選はもう2度と無いだろうし、あって欲しくないというのが正直な所だな(笑)そもそもあの最終予選はアメリカ大会みたく1ヶ所集中開催が予定されていたのを、その開催地をどこにするかで揉めた末に97年9~11月の僅か2ヶ月間でのH&A開催となった。その背景には、それまで力を持っていた西アジア(中東)vs韓国に加えて日本も台頭した東アジアという対立構造があったのだと思うが。そういった予選のレギュレーションも異例だったし、緒戦の大勝→ホーム韓国戦の逆転負け→中央アジアでの監督交代→ホームUAE戦での引き分けとその後の暴動→アウェイ韓国戦での快勝→ホームカザフ戦での圧勝→ジョホールバルへ、と書いてるだけで目まぐるしい展開が今後もあるとは思えないし、あってはならない。当時の記憶は何故か今でも鮮明で、ホーム戦は基本土日の夜開催だった中で(韓国戦のみ昼だった)、アウェイ韓国戦は土曜の昼過ぎ開始で、学校からすぐ帰って視た。後、ジョホールバルの試合を振り返る時は民放(フジ)の映像が使われる時が多く、岡野のゴールと同時に解説の清水秀彦氏の「ヤッター」という叫び声も印象深いが、自分はリアルタイムではNHKBSを視ていて、実況はあの山本アナ、そして解説は松木安太郎氏だった。当時の松木氏は今では考えられないほどの落ち着いた解説振りで(笑)、最後のゴールが決まった時もフジの清水氏よりかは抑え目に拍手していた。
 それ以外では試合会場のラルキン・スタジアムが今では改装されて、座席は当地のクラブチームのカラー(青赤)に染まって、背もたれ付の個席化されていたのが印象深い。屋根も無いし、サッカーのピッチに沿った箱形と言う訳でもないけど、なかなか綺麗に改装されていた。

 一緒に観た友人とはこの予選だけで一晩飲める位だったけど、明日からまた仕事なので泣く泣く断念し、家の近くまで送って貰って帰宅。