J開幕記念日

 15年前のあの試合は確か途中から視た。既にマリノスが逆転した後からだったか、それともTVで生得点シーンを視れたのかどうかも記憶が定かでなく、ただサッカーの事など何も分からない母親が松永のプレーに凄い凄い連発してたのだけは覚えてる。


15年後の今日はとても清々しい気候で、そしてこれには最高に笑わせて貰った。


>旅してる場合じゃない!旅なんて誰も感動しないヨ!


 あー言っちゃったよ。語尾に“ヨ”とか“YO”を付けただけで全てラモス節に聞こえてしまうのも凄いが、これを今まで誰も表立って言わなかった(言えなかった)のも実は恐ろしい事なのだ。先日主演ドラマの初回視聴率がごく□んに負けたのが少し話題になった人もそうだが、ある時期においては確かにモウリーニョが言うところの“The Special One”だったかもしれないが、今はその地位を維持する為の仕掛け、楽屋裏、あるいはその必死な様が見え隠れして、築き上げた地位・イメージからの転落をかえって早めている事に気付いていない。


 現役時代からずっとそうだけど、この人の周りは常に“閉鎖”されてるし、自らを“一般世界から超越した存在として位置付けたいという志向”を感じる。今はベッカムみたいなメディアスターも誕生したりして、有名であればある程、スターであればある程にファンから距離が遠のいてしまっているご時世な訳だが、どんなクラブ、選手であれ、毎日練習場で地元の人々が見守る中で練習し、練習が終わったら待ち構えるファンから声を掛けられ、サインを書いたり、写真撮ったりするのがやはり根本にあると思う。勿論そういう地元のファン/サポーターというのは常に見守ってくれている訳でも無くて、無様な試合をすれば勿論ブーイングや野次を飛ばされる事もある。だが、ファン/サポーターというのはそれを引っ包めて、の存在だし、喜怒哀楽すべての感情をぶつけ合うのが本当の『コミュニケーション』てやつだろう?
 この人の場合は常に自分に支持賛同する者こそがファンであって、それ以外とはっきり線引きした。自分のサイトを立ち上げたサッカー選手の先駆者でもあるけど、極端に言えばそのページに会員登録している人々がファンであり、『それ以外』との間に厚い壁を築いてしまった。確かに「壁の中」は心地良い楽園かもしれないが、そこに居るのはファンと言うよりもむしろ信者と呼ぶべきものであり、本当のコミュニケーションは存在しない。
 今世界中を『旅して』行く先々で行っている活動自体は確かに高潔だと思う。それは頭では分かってるのだが、例えるならばまるで神が下界に降りて民の苦しみに手を差し伸べるかの様にあまりにも無味無臭で、(そこにあるはずの)感情の発露/交わりという臭いが感じられないのだ。だから現実感が無いし、信じられない。最後のW杯の直前になって急にリーダーシップを取ろうとして、それはそれで仲良し79年組を始めとする弛んだ雰囲気を引き締める意味でも賞賛されるべき行為ではあったが、結局周りが付いてこなくて空回りした感があった。あの場合も同じで、どちらが良い/悪いではなく、周りの選手からしたらやっぱ心から信じられなかったんだと思うよ。
 

 若い頃は少しクールなだけで普通に話せば色々TVカメラの前でも語っていたのに、こうなったのはやはりあの女社長の存在が大きかったんだろうなぁ。例の会社のHPを見て引いたわ。「ムーブ■ント製造業」ってここまであからさまに謳うとは。あれは全てのサッカーを愛する者にとっての敵であり、反サッカー的なものの最たる存在である。



 ・・・・・・とは言ってもあの人ほど頭の切れて海外のサッカー界に人脈のある(元)サッカー選手はいない訳で、上手く『使いこなせる』存在がこの国のサッカー界に1人でもいれば、とは思う。あ、勿論金■達仁とかじゃなくて(苦笑)