貸出期限ギリで読破

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神/M・ウェーバー


 これもまた、タイトルは有名でも実際には読んだ事の無い数多くの書物の一つ。
【要約】
 近代資本主義の前提として考えられる精神面、倫理面の変化は一見“利潤を追求する心”の発生であるかのように思われるが、実はプロテスタント(特にカルバン派)の禁欲的な労働倫理(人は予め神に運命を定められており、その運命を真摯に全うする事で(≒勤勉に働く事で)救いの確かさを得られる。)こそが資本の蓄積を生み、さらには資本主義社会を支える「労働者」を成立させるに至った、という話。


 内容そのものについては異論も多くあるようだがそこまで深く理解してる訳ではないので読んで額面通り受取るしかないんだが、途中から、では日本ではどうなのかという問いが消えなかった。
 日本人の多くは基本的にモノ作り(製造業)信仰が強くて、「儲ける」、「金を稼ぐ」事に対して今でも幾分かの躊躇い、もしくは遠慮が根底に流れているような気がする。士農工商なんて言葉も有るが、今もそれを引き摺っているというか。少し前にNHKでマネー資本主義というリーマン・ショックの当事者を取材したドキュメンタリーを視たが、欧米の学者やビジネスマンが(勿論その暴走にたいする反省も多かったが)反省の主対象が金融商品そのものではなく、それを制御出来なかった点にあった一方で、取材者(NHK)の視点は基本的にああいったサブプライム・ローンの存在そのものに対する否定的感情が前提にあったように思う。ライブドア事件の時だって非難されたのはその違法性についてというよりも、(物も作らず)簡単に金を稼ぐ事への反感(あるいは嫉妬?)が多分にあったろうし。
 一方で江戸時代には今で言う先物取引が既に行われていたりとか、単純なモノ作り信仰とは言い切れない面もあって、そんな中で資本主義を発展させてきた日本において、ウェーバーの言うプロテスタンティズムに相当するものは何だったのか?神道?あるいは仏教儒教?それとも宗教ではない別の何か?


 と考え始めたら現実世界に戻って来れなくなる様な寒気を感じたのでこの辺で止める事にした。今の身にはそういう論題は重過ぎるし、まだ月曜なのに飛ばし過ぎても週末まで持たない(笑)


 この前のフットサルで現在RAT方面では読書プロレスなる戦いが行われていると聞いたが、某氏がこの前方法序説を読んだと知った時はびっくらこいた。この本もそうだが、こういう類の本は行き帰りの電車内とかで読むにはやっぱ重くて週末にまとめ読みするしかないので、しばらくペースを抑えるつもりだ。