イラク戦

 TVを観ながらジーコ時代を思い返していたんだが、あの頃の代表は序列が明確で、クラブで少し活躍しただけではまず招集される事は無かった。アテネ世代(81〜84年生)はそれで割を食って、当時からJで活躍してた阿部や長谷部、田中(達)、今野などは五輪後にようやく招集されるも『国内組のサブ』に留まってドイツ大会に出られなかったし、闘莉王は当時既にJ屈指のCBだったけど結局招集すらされ無かった。結局ドイツW杯に行ったのは駒野と茂庭だけか。しかも茂庭は田中誠の怪我による代役だったはず。

 一方で代表メンバーを固定化する事で連携だったり、結束が強まる面もあったのだが、こういうチーム作りはブラジル人に多い気がする。よく“チームはファミリー”的なコメントは大抵ブラジル人監督が発している印象で、W杯とかでもブラジルはゴールの度にベンチ総出で喜んでるシーンが記憶に残ってる。エゴの強さも世界最強レベルの選手の集まりなのにあのまとまりは、勝つにはどうすれば良いかの経験が共有されてるんだろうな。

 今の日本は当時以上に海外組が増えて、オシム/岡田路線(選手を発掘して育てながら戦う)よりもそれこそジーコのようなタイプが適しているのかもしれないが、海外組をスタメンに並べるのは今と同じでも、国内組も毎度同じメンバーでやはり最後はマンネリに陥って崩壊してたかなとも思う。その意味でちゃんとJを視察して活躍していれば少なくとも合宿に呼ぶザックで良かった。ジーコの場合確か関西以西のJを自ら視察した事すら無かったはずだし。