出場・招集記録から当時を回顧する(オシム時代)

 さて、相変わらずJは中断したままだが、感染者数は減少傾向にあって週明けには首都圏の緊急事態宣言も解除される見通しという。Jも6月末に無観客で再開という具体的な話が報じられるようになった。という訳でこのシリーズもまだ続く。今日は前回から続いてオシム時代を。
■基本情報

・期間:2006年8月~2007年10月
・勝敗:20試合12勝5分3敗
・招集:66名(候補メンバー含む)

・前回書いたように、ジーコトルシエが遺したシドニー世代を中核に戦い、それより若い世代の抜擢には消極的だったため、このオシム時代で世代交代を図らざるを得なくなった。それ故かジーコ時代に無かった候補合宿がこの時代にまた復活し、1年半に満たない在任期間での候補メンバー含めた招集人数は66名と、これはジーコ時代の4年を通して招集された67名に匹敵。

オシムは緒戦(トリニダード・トバゴ戦)から異例の選考だった。最初12名だけ発表し、後から6名を追加招集。この試合ではドイツW杯組は川口、三都主、坪井、駒野の4名のみで、大量9名が代表デビュー(闘莉王田中隼磨鈴木啓太、山瀬、我那覇、坂田、栗原、中村直志小林大悟)。ちなみにこの試合にはいつもの国際試合同様に相手国のVIPも来ていたのだが、そのジャック・ワーナーという男は北中米カリブ海協会全体を牛耳り、数々の汚職で悪名高い人物。(後に失脚)
※当時の観戦記を
barcaw.hatenablog.com

・合宿に呼ばれた候補メンバーを除き、正メンバーとして試合に招集されながら出場機会の無かったメンバーは伊野波雅彦(9)、山岸範宏(7)、太田吉彰(6)青山直晃(3)、山口智本田圭佑(2)、野沢拓也、松橋 章太(1)(カッコ内は招集試合数)の8名。伊野波と太田はアジアカップメンバーに選ばれていたのでその6試合が加算されて多くなっている。また山岸はオシム就任後06年一杯は川口の控えGKとしてベンチ入りしていた。なお伊野波、山口、本田以外の5名はキャリアを通じてA代表キャップは無し。特に太田はアジアカップにエントリーされながら代表キャップが無い珍しい事例。

・世代交代という点では五輪代表(反町監督)との連携が取れていたのもこの時期で、06年時点で五輪世代から青山直晃西川周作梅崎司伊野波雅彦水本裕貴が招集され、07年末の退任まで、つまり北京五輪の前までに本田圭佑家長昭博水野晃樹も招集。合宿にも林彰洋内田篤人柏木陽介を呼んでいる。余談だが、オシムは本田を代表に呼びつつもそこまで評価は高くなかった節がある。GK西川、CB青山も出場機会は無かったが、本田は他の攻撃的なポジションの家長や水野、梅崎が終盤の途中出場などで代表デビューしたのに対してベンチ入りした2試合とも出場機会は無かった。本田の代表デビューは08年6月。どうもオシムは前目の選手は中村俊輔などテクニカルな選手を好んでいたようにも。

オシム時代の3敗のうち2つはサウジ相手のもの。伝統的にサウジとは相性が良い中でこの時代は1勝2敗と分が悪い。またアジアカップも準々決勝以降は豪州、サウジ、韓国相手に2分1敗(PKは引分け扱い)とアジアの強豪同士では勝ち切れず、この時点ではまだチーム作りは道半ばといったところ。

アジアカップ後は欧州でEURO2008プレ大会相当の3大陸トーナメントでオーストリア、スイス相手に1勝1分、国内でアフロ・アジア選手権でエジプトに4-1圧勝という結果。この頃から大久保、前田、松井といったアテネ世代が徐々に代表でも頭角を現し、チーム作りは次の段階に入ったかなと思った矢先に無念の退任となってしまった。ドーハや98年カズ外しなど代表における“if”は数多あれど、「もしオシムがそのまま指揮を執っていたら」もまた色々思いが巡る。

・個人的には純粋なサッカーの面白さという点で2000年アジアカップ辺りのトルシエ時代と並ぶエンターテインメント性の高さだった。パスのテンポが良く、また狭いエリアで回すだけで無く中村俊輔遠藤保仁中村憲剛といった選手達が時には逆サイドに大きく振って展開するなど、長短のパスのバランスも良かった。中盤にはテクニカルな選手を並べる一方でボランチ鈴木啓太を置いてカバーする布陣とか、後ろに走れる選手を並べたのは、ユーゴ代表でストイコビッチサビチェビッチプロシネツキらを並べつつ労働者タイプも軽視しなかったのに通じる。

・上記のifを考えてみると、あのまま指揮を執っていたらどこかで点取り屋の問題に突き当たっていたとは思う。アジアカップは高原がいたが08年以降クラブで低迷して代表にも呼ばれなくなった。後任の岡田さんは大久保や田中達也矢野貴章、興梠、森本、岡崎、J2にいた大黒まで呼んで試したが、最終的には本田が1トップで大久保、松井が両サイドからフォローという布陣でW杯を戦った。オシムならどうしただろうか。

次回はまた2週後くらいにオシムの後任となった第2次岡田時代をば。