J1第9節 横浜M×鹿島(日産)


 平成最後という言葉もこの数ヶ月間で使い古された感もあるが、この試合が自分にとって平成最後の観戦試合となる。思えば丁度1年前のこの日も鹿島戦だった。天野のFKなどで3-0の快勝だった試合。
 前売りで34,000枚も売れてたので開門に並んだが、13時開始なので列整理が9:45と早く、いつもと変わらない時間に起きてスタジアムに向かうのも久々だった。天気も良く、並びの列からは写真の様に富士山がよく見えた。この時期は新緑が目に映える。

 今日の試合はお互い降格経験の無いチーム同士ということで東ゲート広場に特設ブースが設けられていたりもしたが、両チームの対戦成績、タイトル獲得実績を見れば鹿島がマリノスを上回っている。それはやはりこのプロ化以降の約30年における継続性―――監督、選手が変わっても受け継がれるもの―――の有無が違いを作ったのだろう。
 ただ今日の両チームスタメン22人の中で最も選手を輩出した高校/ユースはヴェルディだったのは興味深い。マリノスの畠中、和田、鹿島の安西、三竿の計4名。両チームとも近年ヴェルディから積極的に選手を獲っているという事情もあるが、この4名の中で3名が森保ジャパンに招集歴があるように、個人としてもJ2から引き抜かれるだけのレベルにある。その他現代表の小林、中島然りで、ヴェルディユースの92~96年生まれの世代は好選手が多い。殆どが小学生、中学生の頃から在籍していて、この世代がジュニアユースになったのは00年代半ば以降だが、当時の指導者が優れていたのかな。
 次に多かったのがマリノスと共に川崎のアカデミー出身者だったのも興味深かった(マリノスユース:喜田、天野、遠藤、川崎U18:三好、仲川、永木)。川崎の3人は世代が異なるが、それぞれの時代の川崎のアカデミー、あるいはクラブそのものを表していて面白い。永木(88年生まれ)は川崎がユース組織を整備した初期の選手で大学経由でプロになり、少しずつ実績を積んで30歳近くで代表に選ばれたいわば叩き上げ、仲川(92年生まれ)はユースから昇格は出来なかったが大学ではトッププレーヤーになってプロ入り、三好(97年生まれ)はユース時代から世代別代表で世界大会を経験しそのままトップに昇格というエリート、とフロンターレのユース組織が強化されていく様を体現している。永木は横浜、仲川、三好は川崎出身だが、フロンターレのユースが強化されるにつれて、マリノスユースのトップ昇格者に川崎、横浜北部出身者が減って、より南―――横須賀や藤沢、大和―――の出身者が増えつつあるというのもまた気になる点ではあるが。

 で、試合は安西のゴールで鹿島が先制。永木が右SBで安西は左だったのだが、中盤を追い越すフリーランの質で取ったゴールだった。全体的にはマリノスがボールを支配する展開だったのだが、要所を締める鹿島の強かさとでも言うか、危険なエリアには人数を掛けて守る、被カウンター時には全力で戻る、といった基本事項を徹底するのはこのチームらしかった。前半の中頃だったか、丁度名古屋戦の同点ゴール時に似たマリノスの中央からのカウンターがあったのだが、自陣ゴール前に複数人戻ってシュートに持ち込ませなかった守備などはまさにその典型。マリノスとしては水曜の湘南戦同様にボールを支配しても最後の仕上げの質で違いを作れてなかったかな。
 後半も同じ展開が続き、ほぼマリノスがボールを支配していたのだが、ゴールは生まれず。そんな中で生まれた同点ゴールは中盤で鹿島のパスをカットしてからのパス2本、そして逆転ゴールは中盤からの縦パス1本で決めたもの。ボールを支配するチームでも、決まる時はこうしたシンプルな形が多いな。たまにポゼッション型チームの「パス○本繋いで決まったゴール」動画が出回ったりもするが、それは珍しいから話題になるのであって、割合としては今日のようなパターンが多いように思う。
 鹿島はベンチにレアンドロセルジーニョら攻撃の手札を持っていて実際投入してきたがマリノスは最後までゴールを割らせず2-1逆転勝ち。振り返れば鹿島はCBコンビ犬飼&町田が他のポジションに比べて相対的にウィークポイントになっていた感もあった。植田、昌子が立て続けに欧州に行ったが、CBの様な経験がより重要なポジションではそう簡単に後釜も見付からないし、ブエノも負傷という状況では今後もこうした1つのミス、1つの失点に泣く試合があるのではと思う。

 ハーフタイムには友人の誕生祝いをして、帰りは新横で串カツ屋に行こうと思ったら定休日だったので隣の牛角で軽く祝勝会をして帰宅。牛角は学生の頃はよく行ったが10年以上行ってなかった。それこそ2010年代で初めて行ったと思う(笑)