適度な距離感と成熟した社会

 大会後の初ラン。スタジアム大外周路×2=5km走。10日間のブランクは―――例え間にフットサルを挟んでいたにせよ―――想像以上に重く、感覚を思い出すのに1周分費やされて息も上がってしまった。ただ、苦しくなったら自然と無理の無いペースにチェンジ出来たのは大会の教訓を生かせたのではないかと(笑)次の出場予定大会まで半年もあるが、いつも残り2か月を切ってから焦って練習ペースを上げるやっつけ調整なので、今回はこれから無理せずしっかり走り込みたい。


 それはさておき、半月程前の話になってしまうが、4/15はヒルズボロの悲劇から20年という事でアンフィールドで追悼式が行われ、その中で下の映像にあるように政府を代表して文化相がスピーチを始めた時、スタンドから声が沸き起こった。

 正確な意味は聞き取れないが“96(犠牲者の数)”と言っているところから、被害に対する政府の対応の責任を問うたものではないかと思う。これを聞いた時、これこそがイングランドのChantなのかと思った。コールとも声援とも形容できない自然発生的な“声”。だが、この映像を見て感じたのはそれだけではない。


 スピーチの間、上記のような大きなチャントやブーイングもあったが、それと同様に盛大な拍手もあったという光景にこそ圧倒された。抗議の意思は伝えるけども、スピーチの内容に対しては称賛を送る―――とかくこの前の全裸事件といい、政府の逆を張る事が役割だと勘違いしてる野党といい、何にでも“極”に傾きがきなこの国でもこういった成熟した姿をもっと見たい。勿論それはサッカー界でもだ。


 例えばJだと移籍していった選手はただそれだけの理由で元のチームサポからブーイングされる傾向にある。身近な例を挙げれば、明日日産でフロンターレの谷口は選手紹介時などで一際大きくブーイングされるだろう。が、川崎入団の経緯(マリノスユースから昇格出来ず川崎へ。)を少しでも知ればブーイングに値するのはむしろ当時のマリノスのフロントだと思うのだが、違うだろうか?金に釣られたとか、残留明言しながら移籍とかならともかく、チームを去る理由は様々あって、例えば戦力外通告を受けて、監督から干されて、フロントと対立して、という場合もある。そういう選手にブーイングするのはどうしても不自然に思えて仕方無い。愛情の裏返しという表現もあるが、裏返さずとも普通に拍手で迎えた方が自然な気がするのだが。昔デッレ・アルピで観た『レアルの』ジダンは拍手で迎えられていたし、かつて等々力でも柏サポがフロンターレにいた元柏の選手(名前失念)に対して同様の態度を示していた。


 私の考え、スタンスが全てとは思わない。重要なのは何がそれに値するのか自分で「考える」事だ。今回の例で言えば、自分が一人の選手に対してどう接するかは他の誰でもなく自分が決める事なのだが、今はどこか『移籍した選手=ブーイング“しなければならない”』という観念に凝り固まってるようで、この観念が溶解すれば、クラブ、選手、サポが適切な距離感を保って、もう少し成熟したリーグを形成出来るのではないかと思う。そしてそれが少しでも成熟した社会に繋がれば―――この映像のような光景が日本でも見られるかもしれない。勿論、こうした悲劇は繰り返さずに。