ブラジルW杯展望番外編(スイス)

 昨日は夕方の中途半端な時間に寝てしまい、起きたら丁度スイス×エクアドルの後半途中だったので、そのままフランス×ホンジュラスまで視てしまった。時差12時間だけに早起き健康生活と思いきや、欧州時間に合わせると日本時間深夜だから結局夜更かし不健康生活になるという。
 そのスイスを見ていて以前にも増して移民系と思しき選手が増えたなと思ったので、今日は番外編を。

何時もの様に世代別メンバー表。カッコ内はそれぞれのルーツとなる国。ルーツと言っても定義は色々あるが、ここでは両親(父)の民族を指す。(例えば父がセルビア人、母がクロアチア人でボスニア生まれ、という場合はセルビアと言う風に。)

1983:V・ベルゲン、D・ベナーリオ(ポルトガル
1984リヒトシュタイナー、インラー(トルコ)
―――――――――――――――↑今年30歳↑―――――――――――――――
1985:センデロスセルビア)、ベーラミアルバニア)、バルネッタ(イタリア)
1986:ツィーグラー、ジェマイリアルバニア)、G・フェルナンデス(カーポ・ウェルデ)
1987:ジュルー(コートジボワール
1988:ゾマー
1989:シュトッカー
1990:ガブラノビッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ
1991:ビュルキ、ラング、メーメディ(アルバニア)、シャキリアルバニア)、シェア
1992:セフェロビッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、ドルミッチクロアチア)、R・ロドリゲス(スペイン)、シャカ(アルバニア

23人中15人が移民の子弟。移民の子弟というとフランス、オランダ、後最近ではドイツが知られているが、スイスも相当その割合が高く、もしかしたら一番かも知れない。特に目立つのはアルバニア系選手と90年以降の若い世代。アルバニアは旧ユーゴに隣接するが、ユーゴ内戦に直接巻き込まれてはいないと記憶している。だからクロアチアボスニアの様に内戦を逃れた訳でも無いし何故だろうと思ってアルバニア系選手のwikiページ(英語版)を見てみると、殆どが旧ユーゴのコソボマケドニアで生まれた、もしくは両親が当地から移民後に生まれた選手たちだった。ベーラミシャキリコソボジェマイリとメーメディがマケドニア出身。コソボセルビアからの独立を巡って紛争が起きたが、当地はアルバニア系が大多数を占める。おそらくベーラミシャキリの両親はこうした内戦を避けてスイスに移住したのだろうな。
 90年生まれ以降の旧ユーゴ系選手の多さもやはりユーゴ内戦の影響と思われる。現在29歳のセンデロスからシャカまでの世代は内戦を避けて幼い頃に、あるいはまだ生まれる前に両親がスイスに渡ってきた家族だったのだろう。それより上の世代にいるトルコ、ポルトガルあるいはバルネッタの様にイタリア系というのは政治的理由というよりも出稼ぎでスイスにやって来た人々の子弟かと思われる。かつてのハカン・ヤキンとか、以前はトルコ系選手がもっと多かった。

 こうして見るとスイスの政治状況が反映されていて、得てして移民系選手の多さは右派から攻撃されやすいものだが、その国を反映という意味ではこれこそ真の代表と言えるだろう。
 ちなみにだが、92年生まれのセフェロビッチ、R・ロドリゲス、シャカは09年U17W杯代表で日本と対戦している。日本はあの宇佐美、柴崎、宮市らのプラチナ世代。試合は日本が内容では押し込んだものの、高さ対策が殆ど出来ずに3−4で敗れた。そしてスイスはそのまま優勝という。もしあの試合で結果が逆だったら日本とスイスの選手たちのキャリアは変わっていただろうか?日本の92年世代の現状を思うとそう思いたくなる。