コートジボアール戦の日

 今日は友人の家で視ていたのだが、帰り道はそのまま何処かへ出かけたくなるほどの日和ながらとてもそんな気にはなれなかった。乗り換え駅、最寄り駅、自宅までの道etc途中至る所に青ユニの人々がいて、今日はそこかしこでPVがあった(あるいは自分の様に友人宅に集まっての観戦)のを実感させたが、同時に試合を思い出して気を重くさせられもした。
 帰宅後も試合を振り返る気がせずTVもネットもオフにしたままで、代わりに掃除、洗濯、読書で気を紛らわせた。(今日の様な日は乾きが早い!)読んだのはおよそ3年前に読んだ代表専属シェフ西氏の手記の続編。

 サムライブルーの料理人 3・11後の福島から/西芳照
 西氏は代表付きのシェフとして10年来活動してきた一方で本業は福島にあるナショナルトレーニングセンターJヴィレッジの総料理長だった。“だった”と過去形なのはもちろんあの震災による影響でJヴィレッジがサッカーの合宿施設からフクイチ関連の作業基地に変わった為だ。本書は在りし日のJヴィレッジの日常とそれが失われた2011年3月11日の出来事、そして震災後一度東京へ避難生活を始めながら決意してJヴィレッジに戻り、東電原発関連の作業員向けの食堂を開業して奮闘する様が綴られている。もちろん専属シェフとしてW杯予選、コンフェデ始め代表の遠征記も記載されてはいるのだが、駆け足で語るに止まり、タイトル通りあくまで内容は福島での活動がメイン。
 そこで語られているのは決して綺麗事では無く厳しい現実そのものなのだが、それら一つ一つに地元の人々手を取り合いながら立ち向かう西氏の姿、そして小笠原、岡田氏といったサッカー関係者の支援や交流に胸が熱くなった。小笠原と言えば東北出身として被災地への支援活動に熱心な事で知られているが、それまでのイメージ(それは決して悪いものでは無かったが。)が大きく変わった選手の1人。岡田氏は昨年末にバスをチャーターして南アのスタッフでJヴィレッジを訪れ、忘年会を行った下りがこの人の人間性を感じさせるものだった。その他震災直後に心配して連絡してきた中澤、中村、食堂スタッフに向けてサインを寄贈した本田らの記載も。余談ながら西氏は代表だけでなくACLに参戦するJクラブの遠征にも帯同しているらしい。(去年は浦和の試合に帯同し、その縁で食堂に浦和のユニも飾っている。)
 
 昨日今日で一気に読了したのだが、夕方読み終え、またSNSで現地に行ってる仲間の写真を見て何か切り替えというか再起動されたような感覚になった。西氏は当然今回もブラジルに帯同しているのだが、ドイツも南アも経験し、おそらく試合がどのような結果に終わろうと前を向き、自分の仕事に集中しているであろう同氏を思えば、今日の結果だけでショックを受けている自分が馬鹿らしく思える。思えばドイツの緒戦、豪州戦も同じ逆転負けだったが、チームそのものが分裂したあの時より、苦しい時に(文字通り試合中相手のマークを受けても)前を向く事が出来てしかも点も決める選手が居る分まだ行ける。金曜までこれまで通り早起き観戦生活を。