週の終わりに

 自省録マルクス・アウレリウス・アントニヌス

 
 内容は殆ど哲学書なので、読破まで随分と時間が掛かってしまった。今にして思えば時間に追われる平日ではなく、休日など、より落ち着いた時間に読むべきだったかもしれない。ただ、そのせわしない平日に読むとまた何故か不思議な落ち着きを得られたりしたのもまた事実で、この周囲が加速して全て自分に降ってくるかのように錯覚してしまう状況で、大分助けられた。読後に湧き起るのは歴史好きとして、そして一個人としての、2つの相反する思い。


―――歴史的視点
 これだけの深い知性を持つ人の治世が仮に平穏に終始したならば、現代において「五賢帝の一人」以上の評価を得ていてもおかしくない。だが実際は天災や蛮族との戦いに忙殺され、その最期もローマでは無くドナウ河畔の前線基地(現ウィーン)で迎える事になった。
 

 そういう歴史的事実を知る故の先入観もあるかもしれないが、全体的にあまりにもその「内省度」が高過ぎて、多民族、多宗教を統べる世界帝国の主のあるべき姿から離れているように感じられた。別の言い方をすれば、繁栄を極め、後は緩やかに衰退するしかない帝国を個人として体現しているようにも。これは出版を企図したものでなく、プライベートな記録だからある意味当然と言えば当然なんだが、社会・文化が高度に成熟すれば人々の興味対象はより自己に向かっていくというのは時代に関係の無い不変の法則のようにも思うが、そうした内面への深化は一方で社会全体の活力、外部への関心を減退させてしまうのかしらん。
 政治、統治、言い方は何でも良いが、それに必要な能力とは結局の所、時代の要請に応えているか否かであるのかと。そして残念ながらこの人は生まれてくる時代を間違えた不幸な一人であったと言えるかもしれない。 


―――一個人として
 ただそれは歴史好きの視点であって、一個人としては尊敬すべき人物、という思いもまたある。より正確に言えばその苦難に満ちた境遇と内面性のギャップにある種の同情が湧き起こってしまう。実際、殆ど軍務経験が無いにも拘らず、また病に苦しみながらも過酷な前線で指揮を執って皇帝としての責務を果たし続けた姿は軍団兵の尊敬を集めたというし、この書の全編を通して流れる人間性への追求は今の時代でも十分に通用する。何より読んで不思議な落ち着きが得られる本というだけで何かしら価値を持ってると言えないだろうか。


『正気に返って自己を取りもどせ。目を醒まして、君を悩ましていたのは夢であったのに気づき、夢の中のものを見ていたように、現実のものをながめよ。』