継承者

 ローマ人の物語第6巻「パクス・ロマーナ」の巻頭で塩野七生は、ユリウス・カエサルの言として伝えられている“人は誰にでも現実の全てが見える訳ではない。多くの人は見たいと欲する現実しか見ていない。”を引き合いに出し、こう語っている。
 要約すれば『それでも見たくない現実も見せようと試みたのがカエサルであり(それ故に暗殺された。)、見たくない者はそのままにしておいて、自分だけは現実を直視し続けたのがアウグストゥスである』と。


 彼はいつも独りで何かと対峙しているように見えた。対峙していたもの、それは我々の世代の多くが一線から退いた後、この組織が一世代で完結する“作品”に終わるか、世代を越えて永続するかの分岐点、という微妙かつ困難な時期において後者に舵を取るという困難な事業ではなかったかと思う。カリスマや独創性とは違う、これもまた一つの才能であり、適切な時期にそういった適切な人材に恵まれたのは、この団体にとって本当に幸運だったと言えるだろう。


 『継承』の意味する所が単に前任者の維持・模倣に留まらず、発展をも含むとするならば、本当の意味で我々の世代を継承した数少ない一人。あの世代に言及すると4年、いや5年近く前の頃を思い出したりして、特にこんな日は感傷的になってしまうが、そんな彼に対しては祝福よりもむしろ―――これまでの労いこそ相応しいのではないだろうか。今日会えなかったのは残念でならなかったが、この場を借りて


 お疲れ様でした。そして有り難う。