上期の終わりに

 ローマ人〜も文庫版でもう40巻にもなるから、たまに過去の章を拾い読みしたりしてるんだが、丁度カエサルが出てくる直前、マリウスとスッラの抗争の中で登場するルクルスは改めて読むとなかなか興味深い。


 この人はスッラの部下で小アジア制覇行を担当して戦えば常に勝ち、ローマの将軍として初めてカスピ海にまで到達した功績もあるのだが、著者曰く「コミュニケート」力がないばかりに兵士の心が離れ、勝ち続けているのにそれ以上進軍出来ずに退却する前代未聞の事態に陥ったという。引用すれば

ルクルスは、努めて兵士たちと交わり、行軍でも戦闘でも常に先頭に立ち、野営をしなくてはならない地方では、総司令官の彼も、兵士たちと同じ条件で野に寝た。それでも兵士たちは彼には不満だった。ただ、戦うと勝つから不承不承にしても従いて行ったのである。

あるいはこうだ。

ルクルスは、自らの才能の優秀さに自信を持っていた。それはそれで悪くないが、優秀な自分が耐えているのだから、兵士も同じく耐えるべきと考えていたのである。〜〜中略〜〜自分にまかせておけば良い結果につながるという自信が強すぎたために、兵士たちを積極的な参加者に変えるに必要な、心の通い合いの大切さに気づかなかったのであった。


 周りの関係諸氏は読んでて気付いた人もいるかもしれないが、こういうタイプは今も身近にいる。あまりに言い当ててて本当に驚いた位。今日も本人は言葉を重ねてるのにそれが伝わって来ない悲しさよ。あんまり一方的にまくしたてるのに頭に来て反論したら多少は大人しくなったので、この手のタイプはあまり喋らせないように少しでも多くこちらが話すのが有効なのかもしれない。ただ今はまだいいが、今後この人の下で専任になったら本当に潰されてしまうかもしれないので気を付けたい。こういう時こそ(社)外の世界――それは観戦だったりフットサルだったりする訳だが――の繋がりは大切だわ。

 
 まぁそんな事は今更言うまでもないので置いといて、21世紀のこういう輩と違ってこのルクルスがどこか憎めないのは、政界引退後の以下の様な生活振りから。

季節の移り変りにつれてそれに適した家に移り住みながら、独り身の優雅な貴族は、集めた芸術品や書物を愉しむのを、他人にも開放する。ルクルス邸内の図書館は、それに関心をもつローマ人や、ローマ在住のギリシア人の寄り集うサロンになった。

そしてこの人の名は今でも食通の代名詞らしい。確かに「lucullan」という英単語には「豪華な」とか「ぜいたくな」という意味があった。

食事をとる部屋の装飾、食事中に奏せられる音楽、読み上げられる詩文、食卓で交わされる会話、それに適した客の選定、これらすべての調和ある総合が、ルクルスにとっての「食」であったのだ。


こうした優雅な10年を過ごし、この人は生涯を終えた。こういう秋の夕暮れに吹き抜ける一筋の風の様な、涼しくも儚い人生も悪くないが、やっぱ「コミュニケート」は重要なのは言うまでもない。


 という感じで2010年の上期も終わり。