継続について

 年始のTVは天皇杯決勝を除いて強いて視たいと思う番組が無いが、そんな中でも物事を考えるきっかけを与えてくれた番組が2つ程あった。1つはNHKで放映された「ハーバード白熱教室」で、そこで論じられる議題そのものよりも、物事についての考え方、1つの事象についての多面的な物の見方に付いて様々なヒントを与えられたように思う。そしてもう1つは箱根駅伝。今年はレース展開そのものも面白かったんだけど、途中から日テレの実況が気になって仕方なかった。
 この局は駅伝であれサッカーあれ何であれ、サイドストーリー重視と言うか選手個人の話を強調し過ぎる嫌いが有る。「高校時代は無名で大学4年にして箱根エントリーを勝ち取った雑草魂」、「高校のエリートが大学入学後に挫折を経験し、復活した。」みたいなやつ。こういう話が番組中間断無く挿入されるのだが、90分間展開が流動的なサッカーでは邪魔でしか無いこの手の話も、駅伝なら時間を繋ぐ貴重なネタとして重宝される。ただ、今年改めて聴いてると、この手の逸話が挿入されるタイミングとか時間があまりに完璧過ぎるように感じられて成らなかった。朝から昼過ぎまでの長丁場を1つの作品とするならば、完成され過ぎててこれ以上の伸びシロが無いようにも。では伸びシロが無くなった後は一体どうなるのだろう?来年はリベンジを期す東洋vs早稲田の図式が成り立つのだろうし、また新たなスターを作り上げるのだろうが、結局それは今まで辿ってきた道の焼き直しでしかなく、このまま行けば早晩ネタが尽きてマンネリに陥る危険性が有る。それとも笑点とか仮装大賞みたいな偉大なるマンネリの域を目指すのか、いやスポーツにそんな図式は当てはまらないのでは?―――9区と最終区で東洋が早稲田を追い上げる展開を視ながらそんな事ばかり考えていた。


 人間、仕事でも何でも完璧、完全を目指そうと努力する。それはある意味当然の事だが、太陽が南中を迎えた後は日没に向けて傾く他ないように、自分は「完璧(=究極)」を迎えた後はその先が無いという恐れ、怖れが頭から離れない。1つの到達点に達したら、また別の目標(頂)が見えてきてそれを目指すという考えもあるが・・・。
 “極”に到達する事でなく、それを目指す過程こそ意義があるのでは・・・最近ふとそんな考えが頭を占め始めてる。そもそもそういった極地など永遠に到達し得ない見果てぬ夢なのかもしれないが、それを目指す姿勢や過程こそ重要なのかも―――まるでサッカーにおける結果至上主義者(exカペッロモウリーニョ)に対する負け惜しみのようにも聞こえてこういった表現は好きではないのだが、偽らざる思い。卑近な例を挙げれば、昨年末のフットサル&忘年会は皆楽しんでくれた(ように見えたし、)自分自身も楽しめたけど、色々と課題も露見した。ならば次回(があるとするならば)はそれを踏まえてより楽しい時間を作ろう―――そういう事だ。かれこれ5年近く続いてきたこのコミュニティをいかに毎回少しずつVerUPさせながら持続させていくか、29日が終わってから少なくとも大晦日までは、そんな事ばかり考えていた。たった2日と侮る無かれ、普段は目まぐるしく時間が動く中でこのような事を考える時間が如何に貴重であるか。


 それはさて置いて、もしバルサグァルディオラやマン・Uのアレックス・ファーガソン卿の回顧録でも出たら迷わず買ってしまうだろう。1年目でいきなり3冠を達成したチームを如何に(レアルの猛追をかわして)リーグ連覇に導いたのか、どのようにして20年の長きに渡ってプレミアのトップクラブに君臨していられるのか、そのヒントだけでも是非知りたい。


 つらつらと書いてきたが、以上を2011年の抱負に替えさせて頂きたい。