フットサル大会@千住

 昨日は遅くまでJリーグウイイレ9+ネットをやっていたせいで、(夜中3時半頃の地震には驚いた)1時間寝坊。と、いう訳でまた裏技を使って強引に集合時間に間に合わせた。


 今回参加する大会には、我が所属団体からは2チームがエントリーしており、戦力の調整等で裏では色々苦労があったようだ。俺としてはとにかく勝利あるのみ、という思いだったので、直前にエントリー変更となっても特に異論は無かった。

 いざ大会が始まってみると、緒戦×、2戦目△、3戦目×でグループリーグ3位に終わり、各グループ(全3グループ)上位2チームによって行われる決勝トーナメントには進出出来なかった。一方、もう一つのチームは順調に勝ち進み、トーナメント進出。当然これは祝福すべき事なのであろうが、同じ大会に出ている以上、対戦する可能性が有り、その意味ではライバルとなるこのチームを100%祝う事は出来なかった。そんな思いを抱いていると、グループリーグ3位同士のエキシビジョンマッチが行われる事がアナウンスされた。この瞬間、俺の中で何かが点火したと思う。勝つ為には些細な事にも妥協したくなかったし、どんな形でも良いからとにかく勝って大会から去りたいという思いだけが心中にあった。

 結果は4−0(3−0だったか?)で快勝。この動きが緒戦から出来ていれば・・・と嘆くのはいつもの光景ではあったが、とにかく勝って終わる事が出来て良かったと思う。試合を終えてもう一つのチームを観ると、トーナメントを勝ち進み、ついには優勝。仲間のスーパープレー、ファインゴール、セービングは素晴らしいと思ったし、特に、康△が決勝で見せたドリブルには、その発想、技術に思わず背筋がゾクッときた。それでも俺は心から優勝を祝う気にはなれなかった。それは何故か?悔しいからさ。同じ大会に出ながら自分たちがグループリーグで敗退して、もう片方は優勝。悔しさを抑えて拍手を送るのが大人な対応なのかもしれないが、決勝前には円陣に加わって共に戦う姿勢を見せるのが仲間としての役目なのかもしれないが、その時の俺は申し訳無いがそれがとても偽善的な行為に思えてならなかった。いや今でもそう思っている。大会後、賞品の一部をこちらのチームにも分配、なんて話があったが、受け取る気になんかとてもなれなかったね。自分で勝ち取ってもいないものを受け取って何が嬉しいのだろう。
 
 いつだったか、サッカー雑誌を読んでいたらこんな言葉に出会った。
 『サッカーは感情のほとばしりを楽しむスポーツである』
その通りだと思う。勝てば(優勝したら)心から喜びを爆発させれば良いし、逆に敗れれば(敗退が決まったら)心から悔しがればいい。負けた悔しさが次への新たな動機付けにもなる。それを隠して表面上の平穏を取り繕っても、心から楽しんだ事にはならないと俺は思う。矛盾するようだが、こうして今日の展開を振り返ってみて、悔しさ、怒り、勝利の喜び、その他諸々全てを含めて心から楽しめた。それでもまだこの悔しさは治まらないけど。次の大会がいつになるかはわからないが、必ず・・・・。


 最後に、共に戦ったメンバーや、寒い中応援に来てくれた皆、チーム編成に動いてくれた方々に感謝して締めとしたい。