気候変動の過去/未来

歴史を変えた気候大変動/B・フェイガン

 本書では地球が有史以来、温暖化と寒冷化を繰り返し、それは人類にも直接的、間接的に多大な影響を与えてきた事を様々な歴史的事象を元に例示し、20世紀半ばから現在(本書の初版は20世紀末)に至るまで続く温暖化に対しても同様の影響が及ぶ事を警告し、結びとしている。

 今でも覚えているのだが、子供の頃は夏休みの昼間に外で遊んでいても平気だった。気温は30度を越えていたし、親から陽射しに気を付けるように注意された記憶もあるのだが、真昼間に1時間位外でサッカーや鬼ごっこをしていても自分を含め誰も倒れたりする事は無かった。勿論子供の無鉄砲さと片付ける事も出来るのだが、やはり今ほど強烈な暑さ、陽射しでは無かったのだと思う。今子供が同じ事をすればそれはかなり危険な事だろう。またこれも丁度20年前の話になるが、93年は記録的な冷夏で農作物が不作(凶作と言った方が適切か)となり、米不足で海外から米が輸入されたのも“タイ米”という言葉と共に記憶に残っている。今振り返ると、それは91年のフィリピン・ピナツボ火山の大噴火によって火山灰が大気圏に放出され、それが日光を遮断した為に起こったものだった。その他近年多発するゲリラ豪雨等、わずか20年程度の間ですら気候が変わりつつある訳だ。

 先ほども述べたように、本書の初版は10年以上前で、結びの論調も“人類の活動の結果として大気中の二酸化炭素や窒素の濃度が高まり、それによる温室効果の高まりによって温暖化が進展し―――”云々というもので、言わば現在進行する気候変動を原因から論じる傾向にあるが、気候の変化が目に見える形で明らかになった今はまた別のアプローチが必要かと思う。具体的にはこの変動に対して如何に適応するかと言う視点で、それにこそ本書にて過去の気候変動とそれに対する(主に中世/近世ヨーロッパ人の)適応が述べられた意義があるのではないかと。中世の温暖期が終わり、寒冷化が進んだ時も、人類は試行錯誤の上、時間を掛けて気候に適応した農業、漁業を生み出してきた訳で。ただ、火山噴火となるとこればかりはどうしようもない面はあるな。1815年にインドネシア・タンボラ山が大噴火を起こした時は欧州、北アメリカで“夏のない年”と呼ばれる程に寒冷化が進行したという事だが、またこのような大噴火が起きたらその影響度はより深刻になるかもしれない。最近でもアイスランドでの火山噴火で欧州発着の飛行機が飛べなくなり、大騒動となったが、あの程度の噴火でこれならば、という。
 ただ地震の多い国で産まれ育っていると、“いつかは・・・”という漠然とした覚悟の様なものもある。