出場・招集記録から当時を回顧する(ハリルホジッチ時代)

 このblogは観戦記を書いておけば少なくとも月に一度は更新するだろうという目論見で15年以上続いてきた訳だが、気が付けば前回の更新(観戦)から約1ヶ月が過ぎてしまった。今月は今週、来週だけでも8/21マリノス×仙台@三ツ沢、8/28マリノス×鹿島@日産と試合は結構あるのだが、例によってチケ取りに出遅れて完売。同じ理由で今年の2月はblog開設以来始めて更新の無い月になってしまったので、今回は観戦記以外で更新を繋ぐ(笑)
 去年のJの中断期の更新ネタとしてオフト以降の代表監督を招集メンバーを中心に振り返っていたのだが、その最後(最新)としてハリルホジッチを振り返る。思えば解任されてから早3年か。

・期間:2015年3月~2018年4月
・勝敗:38試合21勝9分8敗(Aマッチ)
・招集:76名(試合出場69名、ベンチ入りのみ6名、その他招集されるも負傷辞退した西大伍も含む)
 ※他に予備登録やバックアップメンバー登録のいずれか、あるいは両方というメンバーが36名)

・ハリルの緒戦は15年3月のチュニジア戦だが、アギーレ時代のメンバーを中心に、それ以外だと槙野智章永井謙佑山口螢川又堅碁藤春廣輝青山敏弘宇佐美貴史興梠慎三の8名(興梠は代表辞退、赤字は代表デビュー)。10代半ばから注目されていた宇佐美は22歳にしてついに代表デビューとなった訳だが、2試合目のウズベキスタン戦(3/31)で初ゴールも決めた。当時は14年にガンバの3冠に貢献して点取り屋として覚醒しつつあった頃だし、本田、香川に続く攻撃の核がようやく現れたかという期待はあったな。その後も途中出場が多いながらも定期的に出場機会は与えられており、ハリルの期待も高かったんだろうと思う。ただ16年夏にブンデスに移籍し出場機会が減ると共に代表でも出番を失ってしまった。

・ハリル時代はトルシエオシム時代のように候補合宿が増え、試合によっては招集メンバー以外のバックアップメンバーも公表されていたのがそれまでに無いスタイルだった。アギーレの項で書いたように当時は世代交代に本格的に取り組まねばならなくなった時期で、本田、長友らの世代が30代を迎えつつもリオ世代の突き上げは弱く、中堅世代含め少しでも気になるタレントがいれば逃さずチェックしたかったのだろうなと。ブルガリアでプレーしていた加藤恒平の招集には驚いたが、これもそれだけタレントを探していた証ではないかと思う。

・サッカースタイルとしては縦への速さが重視され、メンバーも原口浅野らスピードのあるドリブラータイプが重用された。一方で柏木大島といった司令塔タイプも試してもいたが、これはポゼッションの中心というより、前線を走る味方にパス1本でチャンスメイク出来る存在を探していたのかなと。大島などは代表デビューが最終予選緒戦のUAE戦(16年9月)という大抜擢だったが、この試合での敗戦以降起用されなくなり、次に出場するのは翌年末のEAFF選手権。

・ハリル時代のベストゲームと言えばW杯出場を決めた17年8月の豪州戦@埼スタ。この試合では原口がサブで乾をスタメン起用というのが意外だったが、これが絶妙に機能して豪州に完勝。過去W杯出場を決めた試合では最も安心して観ていられた。これは持論なのだが、サッカーでは監督の志向に沿った選手を11人出すより、異なるタイプを1~2人入れた方が機能することがある。ポゼッション志向なら運動量やフィジカルに強みのある選手、また縦に速いサッカーならキープ力があり間合いを作れるタイプ。この試合はまさにそんな試合だった。ポステコグルー率いる豪州がポゼッション志向でそれまでの恐さが消えていたのも大きかったとは思うが。

・予選突破後はホームでNZに○2-1、ハイチに△3-3、欧州遠征でブラジル、ベルギーに連敗、17年末のEAFF選手権でホームで韓国に完敗と低調な試合が続き、年が明けてもそれは変わらず、18年3月の欧州遠征でマリに△1-1、ウクライナに●1-2という結果が最後となってしまった。因みにウクライナ戦は相手のサッカーが素晴らしく、その後EURO2020予選を突破したのも納得。この遠征では中島翔哉宇賀神友弥が代表デビューしたのだが、左SBの宇賀神は右で出場。当時のSBは長友、酒井宏樹酒井高徳が確定で出来ればあと1人欲しいという状況で、車屋紳太郎もテストされていたが、SB探しの一環であると同時に、人材不足という状況も表していたと思う。

・最後の解任だが、真相は関係者しか分からないのを前提として、W杯後というタイミングでは無く、前任者の予想外の退任で急遽探さざるを得なかった部分は影響したのかなとは思う。しかも日本に来たのは前協会会長時代、更に言えば当時の責任者原さん、霜田さんは協会を去って、コミュニケーションで間を繋ぐ人がいなくなってしまった。T嶋会長は「(解任は)最後は自分で決めた」とは言っていたが、それは協会トップとして最終承認したという意味であって、主導したのは別にいる(1人とは限らない)と今でも思っている。ロシアの初戦で勝った後涙ぐんでいたという記事があったが(同席したスポーツ庁鈴木長官の発言)、自分で解任を主導してW杯初戦で勝ったらむしろ満面の笑みでガッツポーズの1つくらい見せそうなもの。会長自身も誰かに最後押し切られての決断だったのかなと。まぁ後20年位したら真相が分かるかもしれないが。

・ただあの解任は日本にいる、ある種の人々を炙り出した面はあったな。直前に解任することの(チーム作りなど)スポーツ面での影響を懸念しての批判なら分かるが(自分としては“今解任して大丈夫なのかよ”とは思いつつ、どう突貫工事でチームを作るのかちょっと楽しみな思いがやや勝る、という感じ)、日本サッカーそのものを否定するような論説には正直閉口した。言うなれば歳と経験を重ねたトルシエのような、喜怒哀楽の激しい、面倒くさいが憎めないというとても人間臭いキャラだったハリルが、いつの間にか「正しい教えを布教する気高い心を持って異国に来たものの現地の(未開な)異教の民に討たれ列聖された宣教師」の様に祭り上げられ、それと反比例して協会や日本サッカーそのものが悪しき風習に囚われた未開の蛮族として扱われる、そんな風潮。そんな人々にとってハリルの解任はまさしく殉教に等しかったのだろう。欧州のトレンド(と彼らが考えるサッカー)と少しでも異なる振る舞いをすることが本当に我慢ならないんだなと呆れたのはよく覚えている。結局日本と欧州(世界)という単純な世界観でしか捉えられないことが問題であって、世界には様々な国があり、それぞれに独自の気候、風習、そしてそれに基づいたサッカーがあるという事実に少しでも気が付けば、あんな自意識過剰な反応はしないはずなのだが。

・ハリルがそのまま指揮を執っていたらというifだが、何とも言えない。予選後の試合が低調だったのは事実だが、本大会に向けて敢えてコンディションを落としていた、対戦国の目を欺くためのカモフラージュだったのかもしれない。南アW杯の前も低調振りはそう変わらなかった。また予選突破を決めた豪州戦然り、本大会では相手を徹底分析して弱みを突く戦いが功を奏したかもしれない。メンバー選考に関しては井手口陽介久保裕也浅野中島といったリオ組にとってはこの監督交代が逆風になってしまった。まぁ井手口は欧州で出場機会が減り厳しい状況ではあったが、ハリルの志向する強度と縦へのスピードを体現するメンバーにとっては厳しかった。まぁロシアに行ったリオ世代(遠藤航、大島、植田、中村航輔)も出場時間0だったけど。

 3年前とは言え前任であり、ある意味今にも影響を与えているとも言える。いつまでも引き摺るのもどうかと思っているのだが、恐らく一部の人にとっては今の協会の体制が刷新されない限り変わることはないんだろうな。それが良いかはともかくとして。