ルヴァン杯GL FC東京×仙台(秩父宮)


 この秩父宮での試合は前々から行ってみたかった。今年ここでサッカーが開催されるのはラグビーW杯で味スタの使用が制限される、言わばその代替だし、数年後には神宮とセットで建て替えという話もあるので、今のスタジアムでサッカーが開催される事は今後おそらく無いだろう。その希少な2度の機会の内、最初は三ツ沢のマリノス戦と被ったため(結局大雨で行かなかったが)、今日が最初で最後のチャンスだった。
 外苑前から青山一丁目方面に歩いてバックスタンドから入場したが、サッカースタジアムは大抵郊外の公園にあるので周りを囲むビルという光景が新鮮に映った。思えば旧国立がまさにそんな環境にあったが(バクスタ上段、聖火台付近から新宿の高層ビル群を眺めるのが好きだった)、建て替えが始まってからそんな感覚も忘れていたようだ。

ホームゴール裏の先には神宮球場、更にその先には暗くて分かりにくいが新国立が立っている。

 スタジアム自体はこれまで座席の更新などはされてきたのだろうが、基本的には昭和時代に建てられた日本の球技場の特徴を備えている。

 いつも不思議に思うのだが、何故日本の球技場はメインスタンドが四角形ではなく、このように上隅が切り取られたような形状だったり、曲線を描いたりしているのだろうか。他に三ツ沢や日本平もそう。それがその当時の流行だったとか?
 今回自分が座ったのはバクスタだったが、なだらかな角度の大きなスタンドで、こういう大きい一層式のスタンドはキンチョウスタジアムのメインスタンドもそうだが迫力がある。着いたのは開始10分程前だったが、試合前のユルネバのマフラーの掲げ具合から見るにバクスタ内で普段から味スタに通っているであろう人は前方を中心に座ってるようだった。

 ルヴァン杯は他のグループの状況を殆ど把握してなかったのだが、このBグループは仙台が首位で勝点4差で東京が追う。東京は今日勝っても仙台は抜けないが他の2チームの状況を考えるとGL突破が近付く故か5/3のリーグ戦のスタメンを6人出してきた。林、太田、小川、橋本と後ろの選手が多かったのだが逆に攻撃陣はD・オリヴェイラ、久保、東の不在が大きく、前半は単調な攻撃に終始。永井はスタメンだったが、この選手はディエゴや久保と組んで良さが出るタイプで、自分で攻撃を作り出すようなタイプでは無い。スピードはあるが、今日のような縦ポンばかりだとさすがに仙台も先を読んで対処出来る。仙台は5/3からスタメン総入れ替えでコンビネーションには多少難があったが、石原、長沢、兵藤、梁勇基といった経験豊富な選手がいるので安定した戦い振りだった。
 後半は久保を入れてきたのだが、早速ドリブルで1人抜いてボールを相手陣内深くまで運んだり、違いを作り出していた。長谷川サッカーはこういう前のタレントに依存する部分が大きいな。ガンバ時代も中盤に遠藤、倉田、阿部と技術のある選手がいるから目立たなかったが、基本は引き気味で前の宇佐美&パトリックの決定力で勝つというサッカーだったし。今はそれが久保&ディエゴと。ただ久保は今夏に欧州に戻るという話もあるし、加えて9月中旬からラグビーW杯の影響でアウェイ8連戦もある。ここから攻撃陣でブレイクする選手や途中加入で刺激を与える選手が出てこないと厳しいとは思う。
 そのブレイク候補として今日は田川がスタメンだったが、あまり見せ場は作れず。後半開始早々には仙台GK関と衝突するシーンもあった(これで関は交代)。U20W杯メンバーにも選ばれたが、どうも未だ自分のプレースタイルを確立し切れて無い感が。鳥栖で試合に出始めた頃は主に左サイドから切り込むスタイルで、若い頃の矢野貴章みたいなタイプ(長身でCFタイプと思わせて実はスピードがあり3トップのサイドで活きるアタッカー)なのかとも思ったが、その後はクラブでも代表でも2トップの一角だったりCFだったりとポジションが定まっていない。結局の所アタッカーの価値は点に絡んでナンボなので、今のままだとゴールもアシストも記録出来ず燻ってしまう懸念もある。後、恵まれた身体能力を生かし切れてないという点では若い頃の伊藤翔を思い出したりもした。
 後半半ばにはディエゴも入れて東京が何度かゴールに迫ったが関に代わって入った川浪の好セーブもあって点は生まれず、そのまま0-0で終わった。自分が座った場所からは神宮のスコアボードも見えたのだが、後半半ばに7回裏の攻撃で、終了時間が被ったら帰りは混むなと思いながらの観戦だった。幸いまだ神宮の方は終わっておらず、外苑前駅と表参道までが多少混んだくらいですんなり帰れた。
 

J3第8節 岩手×YSCC(いわぎん)


■岩手行(3日目)
 3日目は昼からグルージャの試合を観るので午前中は盛岡市内を観光。こういう時にレンタサイクルは便利だが、行きたいスポットは駅から少し離れており、この2日間歩いて階段上り下りして結構疲労が溜まっていたので出来るだけ公共交通機関を利用することにした。
 まず盛岡駅で荷物をロッカーに預けた後、電車で隣の上盛岡駅で下車、そこから徒歩7~8分ほどの場所にある三ツ石神社に向かった。ここは鬼の手形とされるものが遺されており、これが「岩手」の由来になったという。

 そこからまた10分ほど歩くと盛岡城址があり、その中に桜山神社がある。ここに限らず岩手はさすがにソメイヨシノは時期を過ぎてはいたが、シダレザクラは見頃だった。

 ここでは三ツ石神社と併せて御朱印を頂いた。そこからは盛岡城跡公園を散策したが、そこで朝の散歩中のYSCCの選手達と遭遇。そこからバスで盛岡八幡宮へ向かったのだがこういう時にgoogleのルート検索は電車だけで無くバス路線も検索してくれるので役に立つ。盛岡八幡宮は歩けば15分以上掛かる場所にあるが、お陰で大分時間と体力をセーブ出来た。

盛岡八幡宮。ここでも御朱印を頂き、帰りもそれほど待たずにバスに乗れて盛岡駅へ。一緒に観戦する友人との待ち合わせ時間にはまだ少し時間があったので、ここで早めの昼食を摂ることにした。昨日は冷麺だったので今日はじゃじゃ麺をば。

じゃじゃ麺自体は(おそらく)これまで食べたことはあるはずだが、店で食べたのは初めてのはず。食後に卵を落としてスープにするのも初めて知った。食後に西口バス乗り場で友人と合流し、シャトルバスでスタジアムへ。

■観戦記
 今年初の未踏スタジアム制覇となったが、スタンドはメインのみで後は芝生の専用球技場という点で横浜の保土ヶ谷公園サッカー場に似ている。2つのグラウンドが背中合わせとなっており、試合が行われるAコートと隣のBコートのメインスタンドは上部通路を共有している。またメインからピッチの先には東北新幹線が走り、背後には雪を被った岩手山が広がるというなかなか雄大な景色も楽しむことが出来る。

またグルージャと言えばやはりこのマスコット、キヅールだな。

 試合について。正直グルージャの選手で知っているのはFWの宮市剛宮市亮の弟)くらいで後は監督の菊池利三くらいだったが、宮市が今岩手にいるのをこの試合で知った。U18~19の頃(他に現代表の南野、三浦弦太中村航輔らがいた)は代表常連だったのだが、クラブで結果を残せず、最初に入った湘南からレンタル先も水戸(J2)、鳥取(J3)、滋賀(JFL)とカテゴリが徐々に落ちていって今はJ3と。先輩である兄や伊藤翔然りで、どうも中○大中京出身者は身体能力がサッカーに活かされず、経験を重ねて20代後半でようやく活かす術を身に付けて開花する印象がある。兄の負傷の多さも(タックルされた時の)身体の受け方、使い方如何で全てとは言わないが一部回避出来たようにも。あのE・アザールは幼い頃に柔道を習っていてその時覚えた受け身の技術が今でも役立っているとインタビューで語っていたが、あの高校はサッカーに必要な身体の使い方という点でかなり偏りがある育成を行っている印象。今はOBの岡山哲也が監督になっているようだから変わっているのかもしれないが。

 試合はYSCCが先制してその後もやや押し気味に進める展開。両チームは7節終えて勝点1差だが、狭いエリアでの繋ぎや個人技術ではYSCCが上回っていたかな。岩手はそういう部分で苦戦し、サイドに大きく振ってそこからクロス、といった展開に活路を見出していた。観ていて高校サッカーで神奈川と岩手の高校が対戦する時はまさにこんな展開だなと。そうそうYSCCのGK古島圭人はその名前と、経歴を見たら湘南JYとあったのでもしやと思ったらやはりかつてのベルマーレGK古島清人の息子だった。高木、前川といったドーハ世代の2世もJデビューしているし、もうそれだけの年月が経ったのを改めて実感した。
 前半終了間際にはポスト直撃のシュートもあり、試合はこのままYSCCが逃げ切るかなと思っていたが、後半にCKからグルージャが同点に追い付き、終盤に右からのクロスをGK古島が捕り損なって後ろにこぼしてしまい、これを押し込んで逆転。最後はボールキープしてグルージャが逃げ切った。専用スタジアムだけに選手やコーチの声もよく聞こえてきたのだが、岩手ベンチでコーチングエリアに立って指示を送っているのは監督ではなくコーチだったのは興味深かった。ゴール時も真っ先に飛び出して喜んでいたし、事実上チームを仕切っているのはこの人なのかな。
 YSCCは逆転負けとなったが、先ほど述べた高校サッカー然りで神奈川のチームが負ける典型パターンだった。技術的な優位をスコアに反映できず、セットプレーなどで相手に少ないチャンスを決められてしまう、というもの。YSCCは監督がずっとタブレットを持っていたのが目を引いた。シュタルフ悠紀リヒャルトという人で現役時代は10ヶ国以上でプレーし、まだ30代半ばらしい。Jにも少しづつこういた経歴の人が監督になってきたということか。

 帰りのシャトルバスは15:45発とかなり時間が空くのでタクシーを呼んで盛岡駅へ。そこで3日目の宿にチェックインした後、友人の父が営むホルモン屋で食事し、その後何軒か連れて行って貰い、3日目が終わった。

■帰路へ
 翌日は当初平泉に寄ろうと考えていたのだが、三陸と盛岡を満喫し、旅先で友人とサッカーを観て酒も飲めて収まりが良かったのでこれ以上の観光は蛇足だと思い直し、朝の新幹線で帰宅。GW後半だけに指定は埋まっており、立ち席を覚悟していたらグリーン車が運良く空いていたので即購入(苦笑)。さすがはやぶさだけあって9時半に盛岡を出て12時前に東京に到着。

岩手行(2日目)

 2日目はまず浄土ヶ浜に向かい、遊覧船に乗船。湾内はエメラルドの澄んだ色をしていた。

 船内ではガイドさんが色々案内してくれたのだが、この船は震災時は沖合に出て津波の被害を免れたという(湾内に留まると勢いを増した津波のエネルギーを直接受けてしまうが、沖合ならば波が上下するだけで被害は抑えられる)。また船内にはウミネコ用のパンも売られていて(人間も食べられる)、途中何羽も寄ってきた。そんなこんなで見事な景勝を眺めつつ40分の船旅は終了。

 浄土ヶ浜を出た後は駅前で車を返却し、昼食へ。まだ11時前だったが、注文して出てきたのは11時過ぎだったし、店を出ると既に行列が出来ていたので早めに入って正解だった。

ウニ、エビ、ホタテだけでなく蟹の足も2本入ってる豪華さ。追加で牡蠣も注文した。マグロもよくある薄切りではなく豪快なブツ切りなのも良い。
 昼食後は盛岡に向かう予定だったが、バスで直接行くのも味気ないなと色々時刻表を調べた結果、釜石まで三陸鉄道で南下し、そこから盛岡行きの直通列車に乗る事にした。12:26の電車まで小一時間あったので、近くの神社を参拝し、御朱印を頂く。

令和最初の御朱印。ここは源義経が北に逃れた途中立ち寄ったとの伝説もあるらしい。
 そして三陸鉄道に乗車。さすがGWだけあって団体客もいてかなり混んでいて座れなかったほど。

 宮古から釜石までは1時間20分程だが、途中トンネルを抜ける度に新しい入り江と建設中の堤防が目の前に広がるのは昨日見た通り。釜石の手前の鵜住居(うのすまい)の駅前には今年のラグビーW杯開催スタジアムも見えた。

 釜石駅に到着後、その30分後には盛岡行きの快速電車に乗車。丁度J1の試合をやっている時間帯だったが、途中の遠野辺りまでは山間部を走って携帯の電波も圏外な所が多く、半分意識を飛ばしていた。遠野を過ぎる頃には電波も安定してきたのでDAZNで試合を視つつ、盛岡へ。座れたからまだ良かったが、結局2時間20分の電車旅。新幹線や特急以外の在来線でこれだけ乗ったのはそれこそ学生時代の青春18きっぷ旅以来か。

 盛岡ではまず西口の高層ビルの展望台に向かった。

 やはりこの街は岩手山の存在感が大きい。ホテルにチェックイン後は駅前に戻り、冷麺を食す。友人から薦められた店に行ったのだが、近くにある別の人気店で行列が出来ていたので嫌な予感がしたらやはり混んでいて結局50分待ち。この店は焼き肉店でもあったが冷麺だけで良いのでカウンター席かなと思っていたら、何故か4人掛けの焼き肉コンロ付席に通されたので、冷麺に加えてカルビを1人前だけ。

 冷麺自体あまり食べる機会は無く、たまにコンビニのを食べても美味いと思ったことは無いのだが、ここは麺自体に味が染みていて、スープも単に辛いだけでは無い旨味もあって初めて美味いと思った。こうして2日目が過ぎていった。

岩手行(初日)

 いつもの様に長期休暇中の旅は未踏スタジアム制覇を優先して行き先を決めるのだが、今年のGW期間中の試合開催地で行ったことが無いのは金沢、鹿児島などここ1~2年で観光したことのある都市ばかりでまた行くのもなぁと思っていると、J3グルージャ盛岡の試合が目に止った。岩手自体は2013年夏以来だが、当時は夕方に盛岡に着いて翌朝に出発するだけの短期の滞在だったので観光したことは無く、今回はここに決定。
 
 初日はまず三陸方面に向かった。新幹線で二戸駅、そこからバスで海沿いの久慈に向かう。東京を出たのは例によって朝6時半と早く、久慈に着いたのは10時半頃。着いて知ったのだが久慈は某朝ドラの舞台の街だった(このドラマの主役はこの後岩手県内各地で目にすることになる)。ここから先日全線開通した三陸鉄道リアス線に乗るという選択肢もあったが、各拠点間の移動時間が読めないので自分の旅では珍しくレンタカーを利用することにした。久慈から海沿いに南下して翌日に宮古で返却する、という行程。ただこの日の三陸地方は天気こそ良かったもののとにかく風が強く、運転には気を付けた。東京でも突風が吹く日はあるが、悪天候でも無いのに常に強風が吹き荒れるのはあまり経験が無い。
 まずは40kmほど南にある北山崎を目指した。ここは数年前にJR東の観光キャンペーンにも使われて、駅でポスターを見て一度行ってみたいと思っていた場所。久慈からは海沿いの道を走るシンプルなルートだったが、途中何度も津波浸水地点を示す標識や巨大な堤防の建設現場を目にした。リアス式海岸だけにこのような入り江は無数にあるのだが、その数だけこうして新たな堤防が築かれている。震災から8年が過ぎたが、その痕跡はまだ生々しく、復興は未だ途上にあることを実感させられた。

 北山崎に着くと何軒か定食屋もあったのでそこで海鮮丼を食べて展望台へ。↓の様な断崖絶壁が連なる見事な景色を楽しむことが出来る。

 この景色も見事だったが、大海原の青さもまた印象深い。吸い込まれそうな一面の青。

 北山崎には幾つか展望台があって、2つ目の展望台を目指したら起伏のある階段が300段以上続いて結構消耗したので駐車場に戻った後少し休憩し、龍泉洞に向かった。

 龍泉洞は少し内陸に入った所にあるが、北山崎からは山を越えて30kmほど。さすが有名観光地だけあって団体客始め人が多く、入場券売り場でも結構並んだ。

 長い年月をかけて作り出された奇岩も勿論あったが、洞窟そのものよりもライトアップされた美しさが目を引く場所ではあったな。洞内でも途中で行列が出来るほどだったが、気温が低く暑さと強風で消耗した中でいい休息になった。

 ここからは今日の宿泊地である宮古を目指す。途中龍泉洞を出て5~6kmほどの場所にある道の駅で土産を買い、沿岸部に戻ってひたすら南下する。途中三陸北縦貫道路という専用道が部分開通しており、殆ど信号に捕まらず宮古に着いた。最初は宿に直接行こうかと思ったが、宮古市街から少し離れているので途中で翌日行くつもりだった浄土ヶ浜に寄った。

 丁度夕暮れ時で一日の終わりを感じさせる良い雰囲気。ただ駐車場は山の上にあり、ここでも浜まで階段を上り下りする羽目になったが。その後宿にチェックインし、夕食も食べて初日が過ぎ・・・たのではなく、22時過ぎに車で再び浄土ヶ浜に向かった。丁度今は新月の時期で雲も無かったので綺麗な星空が見えるのを期待して。夜明けの時間とどちらにするか迷ったが、疲れで寝たら4時前には起きられないだろうなと思ってこの時間に。実際生まれて初めて満天の星空というものを目にすることが出来たのだが、昼からの風は止むこと無く吹き続いており、あまり長居せずホテルに戻った。またスマホでも設定によってそれなりな星空は撮れるのだが、自分のスマホカメラが少し前にアップデートした影響からかシャッタースピードの上限が短くなっており、大した写真は撮れず。こうして初日が終了。

平成の観戦を振り返る

 学生の頃から観戦の記録を付けるようになった。と言ってもメンバーや展開を詳しく記載するようなものではなく、日付とスコア、得点者、スタジアム等を記載しただけの簡素なもの。これのお陰で今も過去の記録を手掛かりに記憶を辿ることが出来る。いつしか観戦数は700を越え、区切りの良い数になったら振り返ってみようと思ってはいたものの、1000試合にはまだ少し掛かるな、と思っていたタイミングで改元されるので、ここで一区切りを付けておきたい(笑)まぁ実際これまでの観戦は全て平成時代なので、ある意味丁度良い括りではあるかな。ちなみに観戦にはプロ/アマ、男女、年齢の区別は無く、高校選手権や都道府県リーグ、なでしこの試合も含んでいるし、またフットサル(代表戦、Fリーグ)、ブラインドサッカーの試合もカウントしている。

累計観戦数:754試合(2019/4/30現在)
■初観戦試合
1995/6/10 ペプシカップ 鹿島×パリSG(東京ドーム)
初めて観に行ったサッカーの試合はJでも天皇杯でも高校選手権でもなく、東京ドームに人工芝を引いて行われた親善試合。当時のパリSGは直前の94ー95シーズンにジョージ・ウェアやジノーラ、ライーらを擁してCLベスト4に行くレベルにあったが、こうした親善試合のご他聞に漏れず出場したのは控え選手中心だった(はず)。メンバーの詳細は分からないのだが、もしかしたら当時若手FWの一人だったエムボマがいたかもしれない。スコアは3-2で鹿島勝利だったのだが、ゴールは序盤に集中して後半は退屈だったのは覚えている(笑)

■Jリーグ初観戦
1998/3/25 J1 1stステージ第2節 横浜F×浦和(横浜国際)
 初観戦から約3年が経過した98年に2試合目、かつJリーグ初観戦。丁度横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)が出来たし、学校が春休みなので行ってみようかなという動機だったと思う。この試合で覚えているのは何と言っても小野伸二だな。当時は清商からプロ入りして1年目だったが、既にA代表入り、フランスW杯のメンバー入りも囁かれる存在だった。そしてこの試合で1対1を冷静に決めてJ初ゴール。フリューゲルスの監督はクライフのバルサでコーチを務め、後に監督にもなるレシャックで遠藤保仁も出ていたが、バルサ流のパスサッカーといいつつパススピードが遅く原博実監督の浦和に何度もカウンターを浴びていた。浦和の2トップは岡野と大柴という快足コンビで。思えばこの時点では原氏も三菱重工からの生え抜きでコーチから監督に昇格というまさに「浦和の人」だったが、その後の解任→FC東京監督就任→協会やJでの要職という経歴を経てもはやそのイメージは薄い。

マリノス初観戦
1998/3/28 J1 1stステージ第3節 横浜M×広島(三ツ沢)
 マリノス戦は上記のフリューゲルス戦から3日後の三ツ沢の試合。この試合ではフリオ・サリナスが4点決めて4-0で圧勝した。当時のマリノスは他にアスカルゴルタ監督、ベギリスタイン、バルディビエソらスペイン、南米路線だった。2年目の中村俊輔も出場。このシーズンで覚えているのは上野良治ボランチで開花したこと。伸び悩むトップ下の選手がボランチにコンバートされてブレイクという点であのピルロの事例を先取りする形だったと思う。引退後は全く消息を聞かないが今どうしているのだろうか。前にも書いたがこのコンバートとか、その後の岡田監督時代に試合で使わないと宣言されながら自力でスタメンの座を勝ち取ったりとか、そういう経験は特に若い選手の指導に活かされると思うのだが。

■ユース年代初観戦
1999/1/2 高校選手権 滝川第二×青森山田(三ツ沢)
 これも冬休みだから近場の試合に行ってみたという経緯で、主目的は佐野裕哉擁する第2試合の清商だった。第1試合のこのカードは両チームとも選手は全然知らず、青森山田にブラジル人留学生がいたのでこちらが有利かなと勝手に思っていたら滝川第二が4-1で圧勝。この試合で2点決めたのが後にジェフやトリニータで活躍する滝川第二林丈統だった。この大会で得点王を獲得。

■日本代表(男子)初観戦
2001/11/7 親善試合 日本×イタリア(埼スタ
 初めて行った代表戦は埼スタのイタリア戦。当時から帰りは混むという評判でルート開拓に東川口から歩いてみたらエラく時間が掛かった事、遠くから埼スタが見えた時、そしてスタンドに入ったら目の前でブッフォンネスタらイタリア代表選手達がアップしていたのを観た時の感動、試合前には当時ローマでチームメイトだったトッティと中田が談笑しているシーンが映像装置で映し出され盛り上がった事、目の前で観た柳沢の先制ボレー、イタリアの同点ゴールも目の前で、決めたのがトッティでもデル・ピエロでもインザギでもなく地味な(笑)ドニだった事、帰りは結局一緒に観た埼玉の友人宅に泊まった事・・・今も忘れられない思い出。

■日本代表(女子)初観戦
2003/7/12 W杯予選プレーオフ 日本×メキシコ(国立)
 なでしこの試合、というか女子サッカーを初めて観たのは、まだその愛称が付けられる前、2003年のW杯予選プレーオフだった。アウェイで引き分けた後ホームに戻ってきた試合。この試合で2-0で勝利して予選突破を決めたのだが、得点者は澤と丸山という8年後にW杯優勝の立役者となる2人。この2003年W杯ではGL敗退に終わるのだが他に宮間ら後の主力選手が台頭し始めて、翌年のアテネ五輪でベスト8。そして08年北京五輪で4位になった頃から黄金期が始まった。

■最も多く試合を観たスタジアム

1位:日産スタジアム(257試合)
2位:国立競技場(117試合)
3位:ニッパツ三ツ沢球技場(90試合)
4位:等々力陸上競技場(51試合)
5位:埼玉スタジアム(49試合)

やはり日産スタジアム(横浜国際)が一番多いが2位が旧国立だったのは意外だった。かつては年代別を含む代表戦の開催が多かったし、天皇杯ナビスコ杯、高校選手権の決勝などによく行っていた為かな。三ツ沢もマリノス戦に加えて選手権で結構行ってるし、等々力はフラッと川崎の試合を観ることが多かったが故か。埼スタが味スタより多かったのも意外だったが、思えばここも浦和絡みの試合だけでなく代表戦で結構行ってる。

■最も多く試合を観た年

2008年(63試合)

 2007~2009年は61試合、63試合、54試合とその前後に比べて多く、マリノス戦に加えて代表戦も近場で開催されたら行ってたし、マリノスが遠地アウェイの週は埼スタ、等々力、味スタなどにふらりと出掛けて観に行っていた。その他年末年始には高校選手権があり、ほぼ毎週何かしらの試合を観に行っていた年だったな。ここ10年ほどは年間40試合前後。マリノス戦以外は(優勝、昇降格争いなど)展開的に面白そうなカード、未見のチーム、未踏のスタジアムに行くことに重点を置いている。まぁ未踏スタジアムは殆ど遠地なので長期休暇中しかチャンスが無いのだが。

■その他色々
以下観戦記録を振り返って印象に残る試合をば。
2004/8/1 親善試合 鹿島×バルセロナ(国立)
 この04年から06年頃にかけては欧州クラブがマーケティング目的でシーズンオフやプレシーズンに日本を訪れることが多かったのだが、この試合もその一環。何故この試合を挙げたのかというと5-0でバルサが勝ったこの試合の5点目を決めたのが当時17歳のメッシだったから。当時からマシアの天才少年としてそこそこ名を知られてはいたが、そういう選手は過去も今もいる中で、その中の一人以上の認識は無かった。途中出場で点を決めて凄いなとは思ったが、まさかあれほどの選手になるとは当時は夢にも思わなかったな。当時はトップチームに昇格したばかりで公式戦デビュー前だったが、もしかしたらこの鹿島戦のゴールがトップチーム初ゴールだったかもしれない。

2005/3/8 CL決勝T1回戦 ACミラン×マンチェスターU(サンシーロ
 海外初観戦試合。卒業旅行はイタリアで1週間で4試合観るという怒濤の観戦行だったのだが、この試合は当初チケ代が高額で諦めていた。ただマンチェスターから来た連中がミラノのドゥオモ前広場を占拠して騒いでいたのを目にし、この雰囲気の続きを味わいたくなって友人と少なくともスタジアム迄は行こうと決めた。間の悪いことに丁度地下鉄がストライキで止まっていて、トラムもマンUサポが占拠していたので結局サンシーロまで歩いて行った(今googleマップで測ってみたら6kmほどあった)。スタジアムに着くと、同じ日本から来た学生がチケを安く入手する方法を教えてくれて、6,000~7,000円程度でゲットし、開始直前に入場することが出来た。あれだけミラノの街で我が物顔で騒いでいたマンUサポも巨大なサンシーロでは片隅に押し込められ、ミランティフォージが圧倒的なホームの空気を作り出していたのが印象深い。試合はクレスポのゴールでミランの勝利。

※ドゥオモ前のマンチェスター・Uサポーター

2006/12/17 クラブW杯決勝 インテルナシオナル×バルセロナ(横浜国際)
 (おそらく)最もチケ代が高かった試合。普段のマリノス戦は年チケだし、Jや代表戦でも2,000~4,000円程度に収まっている訳だがさすがにこの試合は高かった。はっきりとは覚えてないがメインスタンドなのでおそらく10,000~12,000円程度したのではないかと思う。やはりFIFAが絡んで試合のグレードが上がるとチケ代は一気に高騰する。普段年チケで平均2,000円を越えない程度で観ているスタジアムでその5倍以上の価格で観るのも馬鹿らしくなってくるが(しかもトラック付で決して観やすいとは言えない)、さすがにバルセロナは観たかった。結果はインテルナシオナルに敗北(苦笑)

2015/5/23 J1前期第13節 松本×横浜M(アルウィン
 ベスト遠征試合。これまで友人達とマリノス戦で日本各地に旅することも多々あったが、旅程や試合内容、天候等を総合的に評価してこれを上回る試合は無い。早朝に新幹線で長野に行って善光寺に詣でた後に電車で松本に向かい、松本城を巡った後でスタジアムという旅程、超満員のスタジアム、開始前にアウェイゴール裏の背景にそびえる南アルプスの夕景、と全てが素晴らしかった。試合も3-0で快勝し、19時開始の試合にもかかわらず友人車で(日付は越えたが)夜中に帰れたというのも含めて。

スタジアムでこれほど美しい光景にお目に掛かったことはない。

 その他色々な思い出があるがこの辺りで。今の観戦ペースなら1000試合到達は6年後かな。

J1第9節 横浜M×鹿島(日産)


 平成最後という言葉もこの数ヶ月間で使い古された感もあるが、この試合が自分にとって平成最後の観戦試合となる。思えば丁度1年前のこの日も鹿島戦だった。天野のFKなどで3-0の快勝だった試合。
 前売りで34,000枚も売れてたので開門に並んだが、13時開始なので列整理が9:45と早く、いつもと変わらない時間に起きてスタジアムに向かうのも久々だった。天気も良く、並びの列からは写真の様に富士山がよく見えた。この時期は新緑が目に映える。

 今日の試合はお互い降格経験の無いチーム同士ということで東ゲート広場に特設ブースが設けられていたりもしたが、両チームの対戦成績、タイトル獲得実績を見れば鹿島がマリノスを上回っている。それはやはりこのプロ化以降の約30年における継続性―――監督、選手が変わっても受け継がれるもの―――の有無が違いを作ったのだろう。
 ただ今日の両チームスタメン22人の中で最も選手を輩出した高校/ユースはヴェルディだったのは興味深い。マリノスの畠中、和田、鹿島の安西、三竿の計4名。両チームとも近年ヴェルディから積極的に選手を獲っているという事情もあるが、この4名の中で3名が森保ジャパンに招集歴があるように、個人としてもJ2から引き抜かれるだけのレベルにある。その他現代表の小林、中島然りで、ヴェルディユースの92~96年生まれの世代は好選手が多い。殆どが小学生、中学生の頃から在籍していて、この世代がジュニアユースになったのは00年代半ば以降だが、当時の指導者が優れていたのかな。
 次に多かったのがマリノスと共に川崎のアカデミー出身者だったのも興味深かった(マリノスユース:喜田、天野、遠藤、川崎U18:三好、仲川、永木)。川崎の3人は世代が異なるが、それぞれの時代の川崎のアカデミー、あるいはクラブそのものを表していて面白い。永木(88年生まれ)は川崎がユース組織を整備した初期の選手で大学経由でプロになり、少しずつ実績を積んで30歳近くで代表に選ばれたいわば叩き上げ、仲川(92年生まれ)はユースから昇格は出来なかったが大学ではトッププレーヤーになってプロ入り、三好(97年生まれ)はユース時代から世代別代表で世界大会を経験しそのままトップに昇格というエリート、とフロンターレのユース組織が強化されていく様を体現している。永木は横浜、仲川、三好は川崎出身だが、フロンターレのユースが強化されるにつれて、マリノスユースのトップ昇格者に川崎、横浜北部出身者が減って、より南―――横須賀や藤沢、大和―――の出身者が増えつつあるというのもまた気になる点ではあるが。

 で、試合は安西のゴールで鹿島が先制。永木が右SBで安西は左だったのだが、中盤を追い越すフリーランの質で取ったゴールだった。全体的にはマリノスがボールを支配する展開だったのだが、要所を締める鹿島の強かさとでも言うか、危険なエリアには人数を掛けて守る、被カウンター時には全力で戻る、といった基本事項を徹底するのはこのチームらしかった。前半の中頃だったか、丁度名古屋戦の同点ゴール時に似たマリノスの中央からのカウンターがあったのだが、自陣ゴール前に複数人戻ってシュートに持ち込ませなかった守備などはまさにその典型。マリノスとしては水曜の湘南戦同様にボールを支配しても最後の仕上げの質で違いを作れてなかったかな。
 後半も同じ展開が続き、ほぼマリノスがボールを支配していたのだが、ゴールは生まれず。そんな中で生まれた同点ゴールは中盤で鹿島のパスをカットしてからのパス2本、そして逆転ゴールは中盤からの縦パス1本で決めたもの。ボールを支配するチームでも、決まる時はこうしたシンプルな形が多いな。たまにポゼッション型チームの「パス○本繋いで決まったゴール」動画が出回ったりもするが、それは珍しいから話題になるのであって、割合としては今日のようなパターンが多いように思う。
 鹿島はベンチにレアンドロセルジーニョら攻撃の手札を持っていて実際投入してきたがマリノスは最後までゴールを割らせず2-1逆転勝ち。振り返れば鹿島はCBコンビ犬飼&町田が他のポジションに比べて相対的にウィークポイントになっていた感もあった。植田、昌子が立て続けに欧州に行ったが、CBの様な経験がより重要なポジションではそう簡単に後釜も見付からないし、ブエノも負傷という状況では今後もこうした1つのミス、1つの失点に泣く試合があるのではと思う。

 ハーフタイムには友人の誕生祝いをして、帰りは新横で串カツ屋に行こうと思ったら定休日だったので隣の牛角で軽く祝勝会をして帰宅。牛角は学生の頃はよく行ったが10年以上行ってなかった。それこそ2010年代で初めて行ったと思う(笑)

ルヴァン杯GL 横浜M×湘南(三ツ沢)


 今日は行く予定は無かったが、思ったより早く仕事を上がれたのと、西から来る雨雲が試合中は横浜まで届かなそうだったので三ツ沢へ。まぁそれでも横浜駅に着いた時点で開始の19時半を回っており、タクシーで向かった。

駅ビルも一部覆いが取れてその姿が分かるようになってきた。ただこの工事が始まってから西口のタクシー乗り場が1台づつしか客を乗せられないようになって待ち時間が長くなったのには閉口する。以前は車列が4列くらいあって並んでいても次々に乗車出来たのだが。結局三ツ沢に着いたのは前半30分頃。ホーム側はまず空いてないのでバクスタアウェイ寄りに向かったのだが、裏で建設中の病院の建設も進んでいて、球技場との間にあった高い仕切り柵も一部低いものに置き換えられて様子が分かるようになっていた。

かつては古河電工の社宅があって試合日には手摺りにチームフラッグが掲げられた映像が中継に映り込んだりしたものだが、この病院ではどうだろうか。

 開始に間に合わない時は大抵着く前に点が入っているのだが、今日はまだ0-0で、着いてから10分程後に遠藤がエリア内で倒されてPK。大津のキックはGKに止められたが弾いた球がまた大津の前に転がってこれを押し込んだ。
 ハーフタイムに改めてスタメンを見たが、やはりもうこれ以上ルヴァン杯で勝点を落とせないので、先週末のリーグ戦でスタメンだった飯倉、畠中、三好、天野を入れてきた。湘南も杉岡、齊藤、鈴木、梅崎とリーグ戦で一定の出番を得ている選手が4名で、お互いのターンオーバー度合いはほぼ同じといったところ。
 後半はマリノスが押し気味で、GKからの繋ぎでも自陣でボールを奪ってからのショートカウンターでも湘南ゴールに迫っていたのだが、ある時点から全く点が入る気がしなくなった。湘南がシュートに身体を当てたり上手く守っていたのもあるが、とにかく最後のクロスなりシュートの精度が低く、攻め込んだ回数の割にGK富居を脅かしたシーンは少なかった。あれだけ相手陣内で前を向いてボールを持ちながら最後の最後でトーンダウンしてしまう。監督も相手ゴールエリアまでのサッカーは教えられてもそこから先はもう個々のセンスなり技術の世界だよなぁ。ここにマリノスとマン・Cの違いというか、一見試合を支配しているように見えてゴール数や勝点が伸びない理由があるようにも。
 シティにはデブルイネ、ザネ、スターリング、アグエロといった相手ゴール近くで違いを作れるタレントがいて、そのタレントと組織の高度な融合があのサッカーな訳だが、言い換えればこのサッカーを実現するには個々の選手に相当高いスペックが求められる。これは攻撃陣だけでなく守備も同じ。繋ぎを苦にせず、裏を取られるリスクを軽減出来る速さを持つチアゴや畠中がいてこそ最終ラインを高く保てる。今日ドゥシャンが退場したのも、高く上げた最終ラインの裏を抜け出されて後ろから倒したことに因る(最初黄紙が提示され、その後赤に変わったのでその事情を知りたいところだが、このプレー自体は一発レッドでもおかしくは無かった。)。怪我人が多いという事情はあるが、今後も1点勝負のシビアな試合が続くことになるのではないかな。大分や湘南の様によく鍛えられたチーム、名古屋、川崎といった個々の力でマリノスを上回り、組織力も一定水準以上あるチームに苦戦するのを見ても。ルヴァン杯に限って言えばA組は混戦なので残り2試合でGL首位も4位も有り得ると思うが。
 今日は両チームとも目を引いた選手はいなかったが、ティーラトンが攻撃参加を自重気味だったのはやはりここ最近の出来(フリーダムに上がりすぎて裏を取られ失点直結)を踏まえたものかな。ある試合でミスをしてもその後の試合で改善した姿を観ると嬉しいものだ。逆に何度も同じミスを繰り返す選手に対してはその将来性に疑問も湧いてくるのだが。湘南も個人で目立つ選手はいなかったがチーム全体でサボらず走り続けるのはさすがだった。自陣でボールを奪い攻撃に転じる瞬間、ボールホルダー近くの選手が全速力で前に駆け上がるシーンはこのチームならでは。

 試合はこのまま1-0でマリノスが逃げ切ってルヴァン初勝利。後半30分過ぎから霧雨が降ってきてAT突入直後にスタジアムを出てバスに乗車。最寄駅に着いたら普通に降っていたが、どうにか試合中は持って何より。