伝える力とは

 上司の1人に、いつも物凄い勢いで喋りまくる人がいる。一言で済む話でも、その前提やら他の可能性やら全て会話に詰め込むから、聴いてる方は段々ウンザリして最後はいつも適当に相槌を打って切り上げようとする。それは書き言葉―――メールでも変わらず、不必要に長い文章になるので、ある人など「(文が)長過ぎて最後まで読んでません。」と本人にはっきりと言ってた位で。ついでに言えば皆が聴く耳を持たないのは、やたらカタカナ語を多用する怪しいコンサルみたいな匂いにも原因があって、誰かが「何だか胡散臭いですね。」と本人に言っていたのにはさすがに笑った。まぁ万事そんな感じだから基本的に信用されてないんだけど、好意的に解釈すれば頭の回転が早い人なので、本人の中では考えが整理されているのだろうが、残念な事にそれを伝える力、あるいは相手に理解して貰うという視点が欠落しているのだ。


 そういう人が仕事で動くとどうなるか?いつも立上げから1人で動いてもう後戻り出来ない時点でやっと周りに報告なり説明を行うので、周りは何を言っても変わらない無力感で(再び)ウンザリして関わる気も起こらず、そしてまた単独で動いては深みにハマって最終的には手段が目的化し、多くの場合不幸な結末を迎える。また、何か指示を出す場合でも、常に突発的なものになるから、本人はその場で背景なり着地点を伝えている(つもり)でも、聴く側はその長い喋りに気が滅入りながら“何故自分がこれをする必要があるのか?”という根本的な疑問が解ける事は無いままでスポット的な対応で終わってしまう。


 ここ最近そういうのが頻発した中で、昨日メールでまたいつものような指示が飛んできた。夏バテの中社外でそんな(長い)メールを読まされていい加減頭に来つつも「背景の見えない突発的な指示が多いように感じますが。」「(今関わっている)○○の件もいつのまにか論点が摩り替わっていませんか?」とやんわり返信したら、今日は一言も話し掛けてこなかった。とても分かり易い。あれだけ喋って思いを伝えられない人が黙ればすぐにその意が伝わる―――何たる皮肉。まぁでもそういうものなのかもしれないな。自分も無駄に語を費やしたりカタカナ語を多用するような恥ずかしい真似はせず、一語で一言で、思いを伝えられるようになりたいものだ。『以心伝心』なんて言葉もあるけどまさにその通り。


 
「伝」の字違いだが、YMOのカバー。イギリスのバンドがカバーしたらしいが、気だるい感じの日本語ボーカルが良い。