J1第11節 横浜M×横浜FC(日産)


 この試合は今季初の年チケ対象試合ということで久々にホームゴール裏2階で。思えばここでいつもの様に友人達と飲みながら試合を見たのは去年2月の開幕戦だったが、僅か1年2ヶ月前の出来事が遠い昔に感じられる。

 リーグ戦のダービーはこれまで通算4戦2勝2敗の五分ではあるものの、マリノスホームでは8-1、4-0と大勝が続いており、今日もその通りの結果に。前半半ばまではチャンスの数はほぼ同じだったが、半ば過ぎのPKが分かれ目だったかな。先制して数分後にCKから追加点を挙げたが、六反が弾いた後誰も寄せて無かった横浜FCの守備を見るに、勝てない中で先制されるダメージは思った以上に大きかったということだろうか。
 後半は序盤こそ途中出場のマギーニョの突破でマリノスゴール前に迫るもクロスに対しては中央のチアゴが締め、決定機も高丘が上手くセーブしてゴールを割らせなかった。高丘は横浜FCユース出身だし、古巣相手に燃える部分もあったんだろうな。このところオビに代わってスタメンが続いているが、キック力を始め身体能力はあれど基本的なキャッチミスなどポカも多いオビより、安定感で明らかに上に思える。
 後半半ば以降は裏に抜け出したオナイウのゴール、クロスに飛び込んだ前田のゴール、そして前田と交代で入っていきなりゴールを決めたレオセアラなど5-0で大勝。
 レオセアラはいきなり結果を出した訳だが、出場した15分ほどのプレーを見ていて、去年のジュニサンみたくボールを集めて守備をこじ開けて点を獲るスタイルになる予感もする。やはり今は仲川の負傷もあってサイドアタッカーに事欠いており(前田も今日点に絡んだのはやはり中央でクロスに飛び込んだシーンで、サイドに居た時はそれほど脅威足り得てなかった)、サイドを深くエグるパターン化された攻撃ではなく、去年の様に水沼辺りが早めにクロスを中央に入れてそこから強引に、て感じになりそうだし、その方がエウベルも活きそう。その場合レオセアラと前田はどう共存させるのかとも思うが、まぁ前半→後半のリレー方式でも十分相手にとっては嫌だろうな。
 横浜FCは↑で書いたように、チームとして自信を失っているのかなと。時間帯によってはピッチを広く使ったいい攻撃を見せていたのだが、そこで点を取れず失点する度に消極的になってしまっていた。そうそう後半途中に渡邉千真が入って伊藤翔との新旧マリノスCF2トップが実現。思えば2人とも久保竜彦の系譜を継ぐ、エリア外から弾丸ミドルを打てる(ほどの身体能力を持つ)CFでロマンを感じたものだった。他にも武田、六反、杉本などマリノス所属歴のある選手も何人か。

 久々にいつもの場所での観戦だったが、また以前の様に観戦出来るのは当分先かな。そんなことを思いつつ帰宅。
 

出場・招集記録から当時を回顧する(アギーレ時代)

 先日のザック時代に続いて今日はアギーレ時代を。僅か半年足らず、10試合だけだったが招集メンバーだけ見ても当時の状況が見て取れる。

・期間:2014年9月~2015年1月
・勝敗:10試合7勝1分2敗(Aマッチ)
・招集:41名

・最初の2試合(ウルグアイベネズエラ)では坂井達弥皆川佑介森岡亮太武藤嘉紀柴崎岳の5人が代表デビュー。坂井と皆川の招集はサプライズだったが、その時限りの招集となったのを見るに、恐らく協会のリストにはなくアギーレ(かそのスタッフ)が視察して独自に選んだんだろうな。まぁCB、CFとしていきなり主力が揃ったウルグアイを相手にするのも荷が重かったとは思うけども。この他試合出場は無かったが林彰洋松原健も招集され、特に先日のモンゴル戦で代表デビューした松原はこのアギーレ時代に2度(15年9月、11月)に招集されていたのだが出場機会は無く、それから5年以上経てのデビュー。

・記録を追っていると先日書いたようにジーコとザックのW杯3戦の流れがほぼ同じように、歴史は繰り返す事例を見かけるのだが、アギーレに関してはファルカンのデジャブかというくらいよく似ている。

・就任から約半年でアジアの大会でベスト8に終わり契約解除
 →ファルカンアジア大会、アギーレはアジアカップ
・上記の坂井、皆川の様にファルカンも独自に選んだと思しき招集メンバーがいて、同じくその時限りの招集となる。
・批判されつつも最終的にはそこそこ良いチームを作るが、最後は惜敗。
 →ファルカンは終了間際のPK失点、アギーレはPK戦敗退

アジアカップは最後PK戦という結果になったがあの試合自体は押し込みつつも決めきれず、PKに「持ち込まれてしまった」試合。サッカーそのものより初戦からメンバーを固定して主力の消耗を招き、最後のUAE戦では交代枠を使い切った後に長友が負傷してほぼピッチにいるだけの状態になるなど、チームマネジメントに課題があった。まぁ本来ならパレスチナ戦は主力を休ませても十分勝てる相手だったが、初戦ということで手堅く行ったのと、2戦2勝で終えてもGL突破を確定できず、3戦目も同じ面子で臨んだということなのだろう。

・このようにアジアカップではメンバーは固定されていたのだが、全4試合でスタメンが全く同じなのにはさすがに驚かされる。

GK川島
DF酒井高徳、吉田、森重、長友
MF遠藤、長谷部、本田、香川、乾
FW岡崎

これに後半途中から武藤(4試合)、清武(3)、豊田柴崎(2)、今野(1)と23名中16名しか起用されず、サブGKの西川東口はともかく昌子源植田直通太田宏介小林悠塩谷司らは出番無く大会が終わってしまった。勝ち進めば出場機会があっただろうが(特に長友が負傷したので太田は次戦スタメンの可能性が高かった)、アギーレにとって信頼に足る選手はそこまで多くなかった、後にW杯メンバーに選ばれる昌子、植田も未だその域には達して無かったということなんだろうな。植田は内田の負傷辞退による追加招集だったので尚更に。


・ザックの項で書いたように、この時期の日本はそれまでの固定化されたメンバー構成の反動で、新戦力、特に若い力が望まれていたと思うが、可能性を感じさせたのは柴崎と武藤ぐらいで、他に強いて言えば酒井高徳、清武、乾といったザック時代からの常連ながらそれまで出番の限られた中堅世代が、戦力になりつつあったという程度。UAE戦でPKを勝ち抜いていればまた違ったかもしれないが、最後にPKを外したのが香川というのはある意味で象徴的だった。リオ五輪世代もロンドン世代に比べると小粒で当時はクラブでレギュラーという選手自体が少なく、アギーレに呼ばれたこの世代は松原と植田の2人だけ、いずれも出場機会無しという辺りに当時の立ち位置が覗える。

・とは言え現有戦力で手堅いチームを作ったのはさすがだなという思いもある。アジアカップでの失点は4試合でUAE戦での1失点のみだったし、大会前に長居でオーストラリアと対戦した時は(数ヶ月後にアジアカップで優勝する)アジアのライバル相手に内容的にも完勝した。しかも岡崎のバックヒールゴールまで飛び出して笑。あのまま監督を続けていたらリオ世代の融合などどうなっていたかな。実はハリルとそう変わりないメンバー構成になっていた気もするが。

・その他西大伍が15年10月の親善試合にザック時代の11年6月以来の代表復帰を果たしているが(出場機会は無し)、この選手はザック、アギーレ、ハリル、森保と4人の代表監督から招集を受けながら、各監督とも招集は一度のみなのはなかなか興味深い(ハリル時代は17年12月のEAFF選手権メンバーに選ばれるも負傷により辞退、森保時代は19年3月の親善試合に呼ばれている)。SBながら攻撃の起点にもなれる技術の高さや視野の広さは代表監督達の目を引くものがあったんだろうけど、同時代に内田篤人酒井宏樹、また右SBもこなす酒井高徳がいた故になかなか代表のチャンスは巡ってこなかった、といったところだろうか。同じ様な立場の選手として他に水本裕貴がいる。オシム時代に代表デビューし、その後岡田、ザッケローニ、アギーレ、ハリルにも呼ばれているのだが、W杯、アジアカップエントリー経験は無し。国内屈指のCBではあるけれど、守備力、高さ、フィードなど総合的に見て中澤、闘莉王、吉田、今野、森重といった選手達が一歩上という判断だっただろうか。

 最後はスポーツ面でもそれ以外でも残念な終わり方になってしまったが、ファルカン同様に前任者の後を引く敗戦(敗退)の余波を食らってしまったのと、世代交代したくても選手がいない難しさもあってその尻ぬぐいをさせられたという意味で同情すべき点もある監督だった。

J1第10節 札幌×横浜M(札幌ドーム)


■北海道行
 この試合は日程が出た時から狙っていて早割で飛行機と宿を押さえていた。札幌ドームは13年振り、札幌に行くのも6年振りか。朝6時半の便(4時起き)で札幌に飛び、まずは小樽へ。ちなみに飛行機で自分の前3列は全員マリサポだった(ユニやグッズから判別)。こういう状況でもあるし一般的な観光ルートではなく出来るだけ行ったことの無い場所を中心に巡ることにした。
 とは言え小樽に来たからには運河は見ておくべきだろうということで寄ったが、ご覧の通り人影はまばら。

小樽運河

 その後は天狗山という小樽市街や石狩湾を見下ろせる展望台のある山に行ったのだが、バスで向かうと麓から山頂までを結ぶロープウェイが点検で運休という。タクシーを呼んで山道を登ることも出来たが、バス乗り場からもそこそこな眺めでもあったので、雪の残る山を下から見上げるに止めた。

天狗山

 駅に戻って三角市場で海鮮丼を食った後は札幌に戻り、北海道神宮に参拝、その後は比較的近隣にある大倉山ジャンプ台で札幌市街を展望しようかなと思っていたら、強風の為、頂上まで上るリフトが運休という始末。

大倉山ジャンプ台

 ただ隣接する札幌オリンピックミュージアムでは冬季スポーツ、五輪を中心にした展示でなかなか楽しめた。その後は札幌駅に戻ってJRタワーの展望台へ。ここは13年前に行った時は悪天候で殆ど何も見えなかったので今日こそはと(苦笑)

JRタワーよりすすきの方面を望む

 駅近くのホテルでチェックインして少し休憩し、札幌ドームへ。

■試合
 前回行った時はアウェイゾーンだったが正直スタンド以外のスタジアムの記憶が殆ど無く、今日は別にグッズも身に付けないのでメインスタンドに席を取ってコンコースなどを見学。日産同様に柱にディスプレイが設置されてタイムスケジュール等が投影されていたり、この試合が札幌の25周年記念試合ということもあって歴代ユニの展示コーナーもあった。自分の席に着いた後、場内を眺めながら思ったが、ここはサッカー、野球両方で使用するためにピッチやスタンドを移動、と言えば簡単に聞こえるが、20年以上前によくこんな発想や設計をしたものだなと。日ハムは今建設中の新スタジアムに移るから今後はサッカーモードでの使用がメインになるのかな。

 試合について。アウェイのコンサドーレ戦は近年あまり良い印象が無いなと思って調べたらリーグ戦では18年から3連敗中。今日もマリノスにチャンスは有ったもののGK菅野の好セーブでゴールに繋がらず、逆に札幌に良い形で攻撃されるシーンが目立った。今日は仲川の負傷によりオナイウが中央、前田がサイドに入ったが、セレッソ戦の観戦記でも書いたように、この選手はボールに触れないほど良さが出る(技術的な粗が出ない)選手であり、サイドでボールを受けてドリブルしても去年のエリキや一昨年の仲川の様に違いを作れる訳では無い。札幌が絶好機を逃したのもあって前半は0-0だったが、最近のゴールの少なさを考えて今日は勝点1で上出来と呼べる内容だった。
 後半開始早々にCKから札幌が先制し、以降前半と同じ流れが続いたのだが、後半30分過ぎに途中出場の天野が右サイドで上手いボールの受け方とターンでフリーになってクロス、これをオナイウが合わせて同点、そしてその数分後にまた右サイドのクロスを前田が頭で合わせて逆転と。その後札幌は福森の左足、特にCKからチャンスを作るが決めきれず、逆にマリノスはATにゴールがVARで取り消されるも、直後にエウベルが個人技で持ち込んで3点目を決め、そのまま試合は終わった。
 先制されながら数分で一気に逆転、というのは何か既視感があるなと思って13年前の試合を調べたら、前回札幌ドームに行った試合もそうだった。後半30分過ぎに大島秀夫の連続ゴールで2-1。ついでに当時の観戦記も。歴史は繰り返すというが、こういうデジャブも観戦していると出くわすものだな。
barcaw.hatenablog.com
 そんなことを調べつつの帰り道だったが、駅でエスカレーターに乗っていると前にいるグループから“大島”という単語が聞こえてきて「ん?」と思ったら同じように08年の試合を振り返っていてちょっと驚いた。

 そんなことも有りつつ、試合後は友人に教えてもらったすすきのの味噌ラーメン屋で暖まった後、ホテルに戻った。翌日は天気も良くなかったので札幌駅~大通辺りを散策するだけで、二条市場で海鮮物を買い、昼はジンギスカンを食して空港に向かい、帰宅。こうして札幌の街を散策するのは初めてだったが(今迄は各スポットを点でしか把握してなかった)、街の規模感や地下街の充実ぶり、地下鉄の駅間距離の短さなどは福岡に通ずるものがあって、良い街だなと。
 羽田に戻るとリムジンバス乗り場の先にFC東京と柏のチームバスが停まっていた(今節はどちらも九州アウェイ)。

FC東京&柏チームバス

出場・招集記録から当時を回顧する(ザッケローニ時代)後編

昨日に続き今日はザック時代の後半(2013~14年)を。
・13年も招集メンバーは前年から変わらずという状況だったが、2月のラトビア戦ではロンドン五輪で活躍した大津が代表デビュー。当時の記憶としてこの選手は女子人気が凄く、ボールに触れる度にスタンドから黄色い声が飛んでたのがTVからも聞こえてきた(笑)ただプレースタイルとしてあまり周囲と連携というより単騎で戦うタイプだけに代表では機能せず、翌月(親善試合カナダ戦、W杯予選ヨルダン戦)を最後に招集されなくなった。

・前年からその予兆を感じさせたピークアウトがより顕著になったのはこの年。上記のヨルダン戦では最終予選初黒星で、次のホーム豪州戦も結果的にW杯出場を決めはしたものの、終盤に本田のPKでどうにか追い付いての引分け。この頃からボールを保持する割に点が取れない、取れないうちに失点してそれをなかなか取り返せない状況に陥ることが増えていった。

日本vs豪州(2013.6.4)

直後のコンフェデもイタリアに点の取り合いで善戦(●3-4)したりもしたが結果は3戦全敗で、チームとしてのピークを過ぎているのは明らかだった。

・この頃のサッカーを振り返ると、香川、清武、乾らテクニカルな選手が狭いスペースをパスで崩そうとしてボールを相手に渡してカウンターを浴びるシーンが思い出される。もちろんパスが通れば美しいのだが、相手も警戒してスペースを埋めている中でそう簡単にはいかず、にもかかわらず同じ形に拘り続ける姿に限界を感じた。攻める割に点が取れない一因にもなっていたと思う。それだけではないが、やはりどんな良いチームも賞味期限は1年~1年半なんだろうなと痛感した時期だった。

・コンフェデの直後に国内組で臨んだ東アジアカップが開催されたが、そこで大量13名が代表デビュー。森重真人青山敏弘山口螢高萩洋次郎工藤壮人柿谷曜一朗齋藤学大迫勇也千葉和彦鈴木大輔扇原貴弘山田大記豊田陽平とロンドン世代から中堅世代まで幅広く、ここで2勝1分で優勝(しかもアウェイで韓国にも勝利)という結果も出したことにより、森重、青山、工藤、大迫、柿谷、齊藤、豊田は直後のウルグアイ戦でも招集され、工藤、豊田以外の5名はW杯にもエントリーされることになる。

・こうした新戦力の台頭によって少し風向きは変わり、8月~10月にかけてウルグアイ戦●2-4、セルビア戦●0-2、ベラルーシ戦●0-1と5戦で3敗したものの、11月の欧州遠征でオランダ戦△2-2、ベルギー戦○3-2と山口、森重、柿谷、大迫がスタメンを張るようになりチームに馴染むにつれて結果も出るようになった。ここから親善試合4戦全勝でW杯へ。

・W杯メンバーの選考だが、概ね予想通りの中で大久保のエントリーがサプライズだった。当時川崎移籍1年目でゴールを量産しており(この年26ゴールで得点王)、ザックとしては予選迄のチームを一旦壊して新しいチームを作る中で最後のテコ入れ、起爆剤として期待したんだろうなと。また予備登録メンバーにはそれまで未招集かつ候補合宿や予選の予備登録にも入ってなかった南野が入ったが、インタビュー等を見る限り最後まで本エントリーするか迷ったらしい。また落選メンバーでは原代行の時からボランチのバックアッパーとして代表の常連だった細貝の落選が驚きを持って伝えられたが、同等の守備力に加えて前に飛び出る推進力もあり、セレッソ育ちらしい技術の高さもあってスタメンも狙える山口の台頭に押し出された形だったのだろう。

・こうして臨んだW杯だが結果は1分2敗でGL敗退。キャンプ地の選定ミス(気候の影響によるコンディション不良、移動距離の長さ等)など原因は色々あるが、あまりに正攻法で臨み過ぎたし、またこのチームは香川と本田のチームであって13年以降の新戦力もチームの大枠を変えるには至らなかった、そして香川の不出来がチームの結果を決めた、というのが個人的な感想。
2006ドイツW杯に続いてW杯で攻撃的に振る舞おうとして足下をすくわれた形だが、3試合の流れも06年とよく似てるんだよな。

初戦:前半先制、後半に逆転され敗北
2戦目:欧州勢と引分け
3戦目:南米勢に●1-4

06年も中村俊輔の出来が結果を決めたのも似ているかな。

・W杯なんて相手を徹底的に研究して時には自分達のサッカーを変えてまで強みを消しにかかるのに、その点であまりに無防備だった。大会直前に対戦し3-1で勝利したコスタリカはこの結果を受けて守備を整備し、そしてイタリア、イングランドウルグアイの死の組を勝ち抜いてベスト8。これはまさに南アW杯前の日本と同じ展開だが、そうした強かさにも欠けていたなと。就任当初はチャレンジしていた343をオプションとしてものにしていれば面白かったかもしれないが、いつの間にか止めてしまったし、その意味でも好きな形に拘りすぎた感はある。

・最後は残念だったが、ザッケローニその人は好人物で今も定期的に日本サッカーに好意的な発言もしてくれるし、数年前に一度都内某所でばったり出くわした時も写真をお願いしたら気さくに応じてくれた(笑)それだけにこの結末は苦くもあるのだが。

・W杯がああいう形で終わったものの、香川25歳、本田、岡崎、長友も28歳とまだ十分活躍出来る年齢で、それだけに後任監督は新しいチームをどう作るのか難しい判断を迫られる事になる。

出場・招集記録から当時を回顧する(ザッケローニ時代)前編

 昨年の今頃、Jが中断しブログの繋ぎのネタとしてw始めたこのシリーズだが、当時は丁度(順番は前後するが)オフトから第二期岡田時代までを振り返ってJが再開してそのまま休止していた。あれからまた1年が過ぎ、思えばブラジルW杯からも7年、ロシア大会からも早3年ということで残りの代表監督達も振り返ってみる。最初はザッケローニから。書き始めたら長くなったので2回に分割し、今日はその前編として10~12年を。

・期間:2010年10月~2014年6月
・勝敗:60試合33勝12分15敗(Aマッチ)
・招集:78名(予備登録メンバー合わせて108名)

■原監督代行
ザッケローニ時代を語る前にまず原さんが指揮を執った2010年9月の2試合について。確か就労ビザか何かの問題で新監督がまだベンチ入り出来なかった為と記憶しているが、メンバーは南アW杯組主体に数名の新戦力や中堅を加えた構成。中澤はザック時代は招集されなかったため最初のパラグアイ戦が最後の代表戦となった。続くグアテマラ戦は楢崎橋本英郎の代表ラストマッチ。この2連戦では細貝永田が代表デビュー。パラグアイ戦は観に行ったが、W杯ベスト16直後、そして海外移籍した長友内田香川らの移籍後最初の代表戦ということもあってスタジアムに高揚感や期待が充満していた記憶がある。試合そのものもパラグアイ戦は縦パスを受けた香川が冷静に決めて勝つという(守備重視の)W杯時とは違うスタイルを予感させた。

日本vsパラグアイ

■ザック時代
・任期前半、特に就任からアジアカップ優勝~11年8月日韓戦○3-0~11年10月W杯予選タジキスタン戦○8-0までの1年は歴代でも(少なくとも自分が見てきたオフト以降では)強さ、主力の年齢バランスを総合的に見て屈指の充実度であり最強と言っても過言では無い。この間無敗で、何より就任初戦でメッシ、テベスマスチェラーノカンビアッソらがスタメンで途中からディ・マリアイグアインも出場とほぼベストメンバー(いなかったのはアグエロくらい)のアルゼンチンに勝ったのは大きかった。アジアカップは実はイメージほど楽に勝ち抜いた訳では無く、初戦は終了間際に何とか追い付き、2戦目は退場者を出して追い付かれた後に勝ち越し、準々決勝の地元カタール戦は逆転された後に1人少なくなったにもかかわらず終了間際に再逆転とジーコ時代の2004年大会に匹敵するスリリングな展開で、松井、香川が負傷で途中離脱する厳しい状況でもあったが、このチームなら点を取れる、最後は追い付ける、勝てるだろうという期待感があった。

・11年10月から12年10月にかけてはW杯最終予選での好調、サン・ドニでのフランス戦勝利もあったが、3次予選での北朝鮮ウズベキスタン相手の2敗、12年10月ブラジル戦●0-4など少しづつピークアウトを予感させる期間でもあった。
当時のスタメンは

GK川島
DF内田、今野、吉田、長友
MF長谷部、遠藤、岡崎、本田、香川
FW前田

これにGK西川、権田、SB駒野、酒井高徳酒井宏樹、CB栗原、伊野波、ボランチ細貝、高橋秀人、トップ下中村憲剛、清武、FWハーフナーらがそれぞれ控える形でメンバーはほぼ固定されていた。特にこの時期はロンドン五輪があり、五輪前からU23世代が代表招集されて層の厚みを加えており、結果的には13年以降W酒井、清武の台頭によって駒野、中村憲剛といったベテランは代表を外れる形となるが、12年時点では共に代表に呼ばれていた。従って今挙げたメンバーは計22名と招集人数とほぼ同数となり、それ以外の選手がここに割って入るにはかなりハードルが高い状況でもあった。

・その間ザックも全く新しい選手を呼ばなかった訳では無く、海外組のいない親善試合、特に12年2月のアイスランド戦では近藤直也田中順也増田誓志が代表デビューし、その他山本海人林卓人谷口博之の中堅、磯村亮太(20歳)、柴崎岳(19)、久保裕也(18)ら若い選手も招集している。ただやはり上記の選手達の序列を越えるまでには至らず。思うにこの頃から今に至る海外組と国内組のバランスやレベル差といった問題が始まったと思う。主力は欧州で経験を積んで更に成長し、国内で少し活躍した程度では代表入りさえままならず、選ばれる頃には既に十分な実績=それなりの年齢に達している、という状況。まさに先月の代表の国内組が軒並み20代半ばから後半だった状況と符合する。まぁ代表のレベル向上という意味では良いのだが、後編で述べるがメンバーの固定化は停滞も招く訳で12年はその辺如何にバランスを取るかという新しい問題に直面した時期とも言える。

・12年は広島が初優勝し佐藤寿人が22ゴールで得点王となった年だったが、招集は12年10月のフランス、ブラジル戦のみ、それも前田の負傷による追加招集によるもの(出場は無し)。ザック時代を通じて招集はこの時だけなのだが、プレースタイルが合わなかった故にこの時期の代表と縁が無かった選手は結構いる。闘莉王もまさにそうで、当時はCBの層が薄かったので呼んでも良いのにと思っていたが、後に様々な媒体で闘莉王の深く守るプレースタイルがラインを上げる代表のサッカーと一致しなかったのを知り納得。

・実は宇佐美はザック時代にも代表に呼ばれており、上記の柴崎、久保同様にJの若手もしっかりチェックしていたのをうかがわせる。初招集は11年6月のキリンカップ(ペルー、チェコ)で当時はバイエルンに移籍する直前でまだ19歳。そして12年11月のオマーン戦(W杯予選)にも呼ばれているが、この3試合で出場機会はなく、代表デビューするのは初招集から実に4年経った15年3月(ハリルホジッチの就任初戦)となる。

・Aマッチでは無いが、この時期で忘れてはならない試合が11年3月の東日本大震災チャリティーマッチのJリーグ選抜戦。元々予定されていたモンテネグロ(国立)、ニュージーランド(エコパ)戦が中止となった代替として長居で開催されたもの。あの試合はカズのゴールの印象が強いが、代表もアジアカップ組を主体にベストメンバーだった。この試合では招集された3人のGK(川島、西川、東口)がそれぞれ30分づつプレーするというAマッチではなかなかお目にかかれない展開で、第3GK東口もラスト30分に出場。東口はこの後キリンカップや日韓戦に招集されるも出場機会は無く、Aマッチデビューとなるのは4年を経た15年8月の東アジアカップ

 こんな感じで後編へ。

J1第8節 横浜M×C大阪(日産)


 3日前に行ったばかりだし、水曜はともかく火曜はどうも(GWや連休は別として)観戦日という感覚が無いのでDAZNに傾いていたのだが、今日チケット見てみたらバクスタ2階が前日より値下がりして3000円を切っていたのが後押しとなり、行くことに決めた。クラブとしても観客制限による収入減をカバーしようというのは重々承知しているし、自分としても年チケの継続だったり、招待券(最近は貰う機会も殆ど無いが)よりは出来るだけチケを買って行きたいとは思っているが、毎試合チケ代だけで5000円を越えるとさすがに行く試合を選んでしまう。そんな訳で17時半には仕事を切り上げてスタジアムに向かったのだが、今日は思いの外冷え込んでおり、東ゲート広場のスタグルではちゃんこと牛すじ煮込み丼を選択。この煮込み丼は以前も食べたがなかなか美味かった。

 セレッソはクルピも久々だなと思っていたらコロナ感染者が数名及び濃厚接触の疑いで監督も横浜に来れずと。別に誰が感染したか詮索するつもりは無いが、先日は原川、坂元が負傷で代表辞退し今日も大久保、瀬古、丸橋が不在でおまけに監督もいないとあってはなかなかつらい。
 だが序盤はセレッソペースで前半半ばくらいまでに2~3回チャンスを作り出した。大きくサイドチェンジして右からオーバーラップした松田陸に合わせ、そこからのクロスに合わせるなど形はシンプルなのだがこれが結構効いていた。ただ半ば以降はマリノスが押し込むようになって前半終了。
 後半は前半よりもマリノスが押し込んでセレッソはなかなか攻撃の形を作れなかったのだが、マリノスも押す割に決定機と呼べるシーンはあまりなかった。湘南戦でもそうだったが、やはり両サイドの仲川とエウベルが機能していない。今のサッカーだとこのポジションは独力で1人、2人抜いてチャンスを作り出さないと攻撃全体が手詰まりになるのだが、2人とも1対1でもなかなか突破出来なかった。仲川は先日のルヴァン広島戦で調子上げてきたかなと思いきやリーグ戦は今日含め7戦ノーゴール、エウベルも湘南戦で感じたようにやはりサイドアタッカータイプでは無さ気。攻撃に関してはマルコスの回復とレオセアラ待ちになるのかな。セアラが中央だとするとサイドはやはりネックになってしまうのだが。前田をスライドさせても、この選手の場合、今のようなボールの無い所でのスプリントや、ダイレクト/ワンタッチ中心のプレーが技術の粗を隠す形になっており、サイドでボールに触れる時間が長くなるほど今の良さが消える可能性が高い。
 押し込む時間が長くなるにつれ、セレッソも守り慣れてきた感があるなと思っていた中で後半途中から中島、加藤、山田といった若いアタッカーを入れてきたのだが、そこから少しづつ押し返すシーンが出てきた。全体的にはマリノスが押しているのだが、セレッソの前線にボールが入ると独りで持ち込んだりしてシュートまで行くシーンが増えた。加藤はJ2(金沢)から加入した選手で他の2人はアカデミー出身でレンタルも経験しているのだが、3人とも試合経験積んでるのは大きいんだろうなと。中島、山田はU23J3経験もある。スタメンのCB西尾(19歳)も含め、勿論トラップなど技術も高いが、ピッチ上でビビらず堂々とプレーしているのが印象的だった。その一方でスタメンだった西川はちょっと印象が薄かったな。
 そんな展開だったので今日も引分けかなと思い始めた後半40分過ぎにCKの混戦からオナイウが押し込んでマリノスが先制。友人も言ってたが今日のマリノスで点を取るならこういうパターンだなと。その後は落ち着いてボールを回して1-0勝ち。

 水曜だと週の折り返しだが、まだ火曜なので何とも言えない感覚。終了後はすぐスタジアムを出て帰宅した。

J1第7節 横浜M×湘南(日産)


 Aマッチデー明けのリーグ戦。マリノスのスタメンに前田がいて驚いたのだが、3/17に負傷して全治2~3週間だからまぁ予定通りってことか。
 前半はマリノスに2度ポスト、バー直撃のシーンがあったのだが、全体を通してみると湘南のアグレッシブさに手を焼くという45分だったな。良い形でボールを奪えず、逆に湘南にボールを拾われるシーンが多かった。あまり良くない流れでも先制さえすれば主導権握れたと思うが、負傷明けの前田、今季リーグでは未だノーゴールの仲川、エウベルでは迫力に欠けた。そういう中で岩田はもはや欠かせない戦力。今日のポジションは右SBだったが、左足でポスト直撃のミドルありと試合の度にこのポジションも出来て、こんなプレーも出来るのかと新しい発見がある。今回のU24には選外だったが、後ろの枚数3にも4にも対応出来てボランチもこなし、更に守るだけでなく前に出て行くことも出来る万能性は登録18人の五輪では重宝するはずなので、選ばれるだろうと思う。
 湘南のメンバーは半分くらい分からなかったので名鑑片手の観戦だったが、3バックの左にいた田中は19年のU17W杯メンバーなんだな。今年まだ19歳という世代だけどU24に選ばれた鳥栖の中野や徳島の藤田、C大阪の西川、浦和で西川のサブとしてルヴァンで出場機会を得ている鈴木など既にJ1レベルで試合に出てる選手が多い。今年のU20W杯が無くなったのは残念だが、このパリ世代は東京世代以上に期待している。

 後半も同じ様な流れだったが、半ば頃に中央で前田が落としたボールをエウベルがダイレクトボレー、それがゴール右隅に決まってマリノスが先制した。正直エウベルはサイドアタッカーとしてはかなり微妙な出来だったが、このゴールを観る限りでは、サイドから切り込んでシュート、アシストするより中央寄りの位置でゴール前に飛び込んでダイレクトで合わせるプレーが得意ということなのだろうか。もしそうなら遠藤渓太にタイプが近い。このタイプはポジショニングが難しく、周囲と連携が深まって初めて本領発揮なんではないかなと。
 先制したのでいつもの湘南戦ならこのまま押し切るかなと思ったのだが、その10分後に右クロスを山田直輝が頭で合わせて同点。このゴールは古林のクロスが素晴らしかったな。右サイドを斜め前方にドリブルして巻くようなクロス→ヘッドという流れは日韓W杯チュニジア戦の市川→中田英寿のゴールを思い起こさせた。その後はマリノスが押し込むようになったが最後は湘南が踏ん張って1-1で終了。

 今年は去年と違って降格あり、しかも4枠なのを改めて実感させられる湘南の粘りだった。今年はこういう勝点1、1ゴールをせめぎ合う試合が増えるんだろうな。選手個人で言うと最後まで走っていた湘南の選手ばかり印象に残っているが、谷のようなハイボールに強くキック力もあるGKがいれば終盤のような押される展開では心強いだろうなとは感じた。個人的にU24世代のGKとしては大迫よりも上と思ってるのでOAを利用しない限り五輪の正GKはこの選手なんじゃないかと。

 今年は桜の散りが早く、日産スタジアム周辺も葉桜が目立ったが、スロープを上っていくと両脇の緑が目に映えて春を感じさせた。